結論なんて出ているに等しく、いくら少女でも正味十分くらいで戻ってくると思っていた。だが僕がうたた寝をしていた時間を足して約三十分後。なまえは目元を赤く腫らして、再度僕の前に姿を見せた。
 何がいけなかった、とすぐさま自問する。利己的な理由だけでなく少なからずこの子のためを思い、僕は彼女を五条の実家から遠ざけるつもりだった。けれど花嫁修業という名目で軟禁されるより、僕のいる高専へ来る方が幼い婚約者にとっては、泣くほど嫌な事だったのだろうか。
 部屋の入り口から足袋でこちらへ向けて進む一歩は、小さくとても頼りない。自ら膝を折ったのか崩れ落ちたのか判断しかねるまま、彼女は再び僕の足元で正座をした。そして理解の追いついていない僕を差し置いて、なまえは言葉を紡ぐ。
「至らない点も多数あるでしょうが、どうか五条様のいる呪術高専でご指導下さい」
 着物姿の少女は姿勢正しく、畳の上で深々と頭を下げた。しかし解答としては正解でも、僕が欲した言葉は間違いなくこれではなかった。期待に膨らんだ心が音を立て、もの凄い速さで萎んでいく。
 僕は幼い婚約者に対して、顔を上げさせた。それからしゃがんで彼女と同じ高さに視線を合わせ、両手で頬を持ち上げる。小さな輪郭だとは思ったが、僕の手だと顔面全部覆い隠せてしまいそうだ。
 見つめ合うと小さな瞳は潤んでいて、ぐずぐずと鳴る鼻先も赤い。また泣き出してしまうのも、時間の問題かもしれないと思った。

「それでなまえは高専で何をするつもりなの?」
 けれど、ここで相手を試すような事を口にしてしまうのが僕である。逆に幼い婚約者に対して、自分の何が気に入らないのだと問いただせていたら、ここまで拗れた大人にはなっていなかっただろう。
 僕を見上げる丸い目は、さらに不安で揺れた。無理もない。きっと今は必至で答えを探している。ここに第三者がいれば、過ちを咎められるのは間違いなく僕だった。
「……花嫁修業です。それから妻となるための務めを果たし、立派な世継ぎを——」
 こんなにも近い距離にいるのに、語尾が聞き取れなかったほど細い声で少女は言う。いや、言わせてしまった。
 けれども自分のことを棚に上げて、新たな疑問と憤怒が込み上がる。なまえにはついさっき、高専に来るなら僕がなんとかしてやると伝えたばかりのはずだが、それをこの短時間で塗り替えたのは一体どいつが吐いた妄言なのだろうか。吹き込まれた思想は間違いなく今夜、五条家の使用人が口にしたものだ。
 僕は怒りを押し込めて、なまえの頬をひと撫でする。また項垂れてしまいそうだったので、手は離せなかった。
「ねぇ聞いて。僕は君との事を家の人間に干渉されたくなくて、高専に来ないかって言ったんだけど。それを上書きしたのはどこの誰かな?」
「えっ?」
「へ?」



 他人から説明不足を咎められるのと、自ら失態に気付くのでは反省度がまるで違う。それに回りくどい伝言ゲームの弊害が出たとでも言おうか。とにかく両者の間には認識の違いしかなかった。
 僕が使用人に、なまえの家へ伝えるよう言った言葉はというと『今後について話し合いましょう。当人同士が決めることですから、五条悟本人を向かわせますので』である。
 しかし何人かの人間を介し、最終的に少女の耳へ伝わった言葉はというと『五条家での今後の話し合いの結果、本人同士の事だからと五条様が直接なまえ様を迎えに来ることになりました。今すぐ支度をお願いします』だったそうだ。
 そして何も知らないなまえも『今しがたいらっしゃった五条様より、花嫁修業の場所を五条家から呪術高専へ変更する提案がありました』と両親に報告したという。さらに聞けば、彼女はこのまま僕に高専へ連れて行かれる体で、両親としばしの別れとなる挨拶をしてきたらしい。それでなかなか涙が止まらなくて大変だったとかどうとか。
 代わって項垂れる僕のそばで、幼い婚約者は用意されたものではない年相応の謝罪を並べ、ただただ慌てふためいている。このままでいたら、彼女は僕の顔を上げさせるために一体何をしてくれるのだろうか。また少女を試そうとする捻くれた心が顔を出す。もうこれは一種の病気で、きっと持病として生涯付き合い続けるより他ないのだ。さすがに今回は僅かに残る良心によって、その感情は押し殺されたが。
「あのね、高専の人間はみんな呪霊の対応に追われてて忙しいからさ。僕の家の人間が言う花嫁修業みたいなつまらないことに、付き合ってくれるほど暇な人はいないかな」
「!——そうですよね。私、何も知らなくて勝手な勘違いを」
 僕が話し出すと、落ち着きなくあわあわとしていたなまえも動きを止め、きちんと話を聞く姿勢をとってくれた。けれど縋るような上目遣いで僕を見るのはやめてほしい。いつか本当に、歯止めが効かなくなる日が来るような気がしてならない。
 勝手に伸びた指先の行方を誤魔化すべく、僕は少女の頭を撫でた。綺麗に結われた髪が崩れるのも厭わずに目いっぱいしてやる。
「つまり僕はね、授業でも任務でもとにかく理由をつけて少しでも君と過ごす時間を作りたいから高専へ来ないか、って言ったんだけどちゃんとその意味は伝わったかな?」
 僕の言葉のあと、茹ったかのように耳まで真っ赤にした幼い婚約者を見れば、言葉での返事はいらなかった。
New moon A