その頃の俺は完成した人間関係のなかに、ほぼ般ピーと変わらない呪いを知ったばかりの人間が来ることに対し、かなりナーバスになっていた。ようやく張り合いのある友人が出来たというのに、そこに無知で弱い人間が加わることによって、今の心地良い関係性が崩れてしまう気がしていたのだ。
おおかた俺の嫌な予感は当たり、まだ見ぬ転入生に対し傑はさっそく世話を焼く準備を始め、意外ではあったが硝子も貴重な同年代の同性とあってすでに歓迎ムードを醸し出していた。それを見て俺はさらに憂鬱な気分になる。
当然こちらから歩み寄る親切心など、自分は持ち合わせていない。俺だけは徹底的した態度を貫いてやろうと決めていた。
だがその考えが一転する。夜蛾先生に続き教室へ入ってきたなまえを一目見た瞬間、他の人間とは明らかに違って見えた。それは六眼を通して見る呪力や容姿云々ではない。もっと人の本質の部分——生命に宿る魂とでも言おうか。それが俺にとって特別であると確信させられたのだ。
ほんの一瞬、後光が差して見えたのもきっと目の錯覚だろう。けれども俺は直感的に、彼女自身をなぜかとても神聖なもののように感じ取ってしまったのだった。
心が落ち着かぬまま担任に促され、各々の簡単な自己紹介を終える。若干声が上擦ったが、隣にいた傑や硝子に気付かれていないようなので、外面だけは上手く取り繕えていたと思う。
するとさっそく夜蛾先生指揮のもと、この場で彼女へ向けたオリエンテーションを行うことになった。術式は呪術師の数だけあると言われているが、つまるところ一般家庭出身の少女には入りが肝心であり、呪霊のことはひとまず置いておいて最初にわかりやすい手本を示すようだ。
まず俺が呼ばれ、担任が並べたペットボトル二本それぞれに呪力と呪術をぶつけろと言われた。きっと電気と家電に例えるいつものアレである。
純朴な瞳に見られている緊張感もありつつ指先を構える。そして指示どおりに、片方には呪力をぶつけて吹っ飛ばし、もう片方は俺の術式で捻り潰した。中身は入っていなかったのでペットボトルだったものの残骸と、乾いた音だけがその場に残る。
掴みとして、無垢な女の子に対しては少し残虐的だっただろうか。怖がらせるつもりはないが、俺の術式は呪霊だけでなく対象を人体に向ければ同じように出来てしまう訳だし。
「——わあ、すごい」
けれどもすぐに、鈴のような感嘆の声が上がった。無論このようなテンションの高い声が出る友人達ではない。声の方に顔を向けると、なまえは丸い目をさらにまんまるにして結果を見ていた。
「私も同じことが出来るようになるんですか?」
今度は期待と不安が入り混じった表情が、担任と俺を交互に見る。先程感じた神々しさとは一変して、なぜかその姿には既視感を覚えた。彼女と俺は今日が全くの初対面であるはずだ。
だがそんな想いとは別に、夜蛾先生が「無理だ」と告げて流れを作ると、硝子がお得意の擬音だらけの説明を始めようとするので、俺と傑で慌てて止めに入った。呪術を学び始めようとしている者に、出だしから全てを「ひゅーひょいっ」で片付けられてはたまらない。なまえには代わって俺から理論立てて呪力と呪術、それに術式についての話をした。
彼女は最初小難しい顔をしていたが徐々にそれも緩んでいき、最後には俺に向けて「五条くんはすごいんだね」と言った。鬱陶しいと思うほど幼い頃から褒め言葉は聞いてきたのに、こんな風に心が浮き上がる感覚は初めてだった。さらに「ありがとう」と付け加えられると、柄にもなく学ランの下で胸の奥がギュッと締めつけられた。
:
彼女の笑った顔が見たいと思うのは大前提で。褒められたいと思う。感謝されたいと思う。さらには名前を呼ばれたうえで、撫でてもらいたいとさえ思った。
これはここ数日で俺が、転入してきたばかりのなまえに対して抱いた感情だ。際限なく——それも違和感なく湧き上がってくるため、たまったもんじゃない。なまえに対する気持ちの正解がわからないまま、俺は悶々とした日々を過ごしていた。
そんなある日、四人で行った課外授業が思いの外早く済んだため、現場近くだった原宿で遊んで帰ることになった。人の多さに嫌気はさすが、人生初だと言ってキラキラ目を輝かせるなまえを見ていると、そんな感情はなかったことになる。
クレープを食い、服屋をハシゴして、ゲーセンで遊んで、俺となまえはまたクレープを食った。満足そうに笑っている彼女を見て、俺の心にも表現しにくい暖かいものが満ちていく。溢れ出る感情は止められそうにないため、これをいつまで隠しきれるのか、そっちの方に自信がなくなってきた。
すると帰り際ふと『占いの館』という看板が目に入った。足を止めたことで、すぐ後ろを歩いていたなまえの鼻先が俺の背中にぶつかる。
「ぴゃっ」
「悪ぃ」
「どうしたの?五条こういうの興味あるの?」
「いや、たまたま目に入っただけだけど」
「ふーん、そう」
女子って決まって占いとか好きそうなのに、硝子の食いつきはイマイチだ。まあコイツはそういうタイプではないか。なまえは鼻先を押さえながら、興味津々とまではいかないものの、もの珍しそうに俺と同じ看板を見ている。妙に気になるのは同じなのかもしれない。
「面白そうだし入るだけ入ってみる?」
「そうだね、せっかくだし」
誰もその場を動こうとしないので傑が改めて提案すると、彼女が案外ポジティブな反応を寄越したため、全員で覗くだけのぞいてみようという事になった。
:
「意識してるとは思ってた」
「……くくっ、確かに反応待ちみたいなとこあったよね」
「ご主人様に褒められることが至福だったらしい」
「フフ……案外健気だね」
「忠実って言ってやれ」
「オマエらさあ!」
胡散臭い占い師によると、どうやら俺の前世はなまえに飼われていた犬だったそうだ。愛情深く育てられた結果、飼い主である彼女のことが好きで好きで仕方がなく、来世では絶対に人間に生まれ変わってなまえと番になると心に誓って死んだらしい。
「ぷっ、ここ最近思い悩んでた感情が腑に落ちたんだろ?良かったじゃないか」
腹立たしいが事実であり、にやけ面に返す言葉がないのは、なまえもなぜか初対面から俺のことが気になって仕方がなかったと漏らしたからだ。顔を真っ赤にして「可愛くて仕方がない」と言われた時には、嬉しさと恥ずかしさで死ぬかと思ったが。
しかしこれで開き直り、なまえの心が手に入ってからは、思う存分彼女に愛でてもらえる生活が始まったのだった。