夜蛾学長から今夜は垣根なしの無礼講だとお達しがあったけれども、結局は見知った顔の補助監督同士で同じテーブルに集まってしまう。すごく負い目がある訳ではないが、やはり術師と私達補助監督とでは現場の危険度がまるで違う。今日限りの命だなんて想像もせず、彼らを送り出す恐怖を私は知ってしまった。
同期の話に相槌を打ちつつ目の前の大皿から鶏の唐揚げをつまみ、私は遠慮がちにもぐもぐと口を動かす。けれどふた口あれば、それも食べ切ってしまう。近くにあるのは揚げものばかりでサラダ類も食べたいなあと思いながらも、隣の術師ばかりのテーブルとシェアする形になっているため、端の席に座った私はなかなか言い出せない。
仕方がないので、先輩とひとまとめに注文された度数低めの甘いチューハイをちびちびと口にする。嫌いではないが、あまり口には合わない。やっぱり来なきゃ良かったと私は思い始めていた。
「はい!こっちのテーブルにも刺身の盛り合わせ!」
突然にドンという効果音が聞こえそうなほど豪快に、特級術師である五条さんと共に立派なお造りがやって来た。わーと歓声が上がったところで、これだけ置いて去って行くのかと思いきや「詰めてつめて」と言って、彼は私を奥の壁際へ追いやる形でその場に腰を下ろした。日々大忙しの五条さんは本日の主役の一人であり、お偉いさんばかりの別のお座敷に席があるので、こんなしみったれた場所に入り浸る義理はないはずだが。
「唐揚げあるじゃん。向こうは魚ばっかでさあ。食べさせて」
そのうえ辺りを見回すが、どうやら彼は私に向けて話し掛けているらしい。今思えば久しぶりのアルコールで、この時点から私の判断力も鈍っていたのだと思う。突拍子もないお願い事に対して、術師の世話を焼くのも補助監督の仕事だしね、と私は自身で正当性を掲げた。五条さんといえば公私混合で伊地知さんの担当という共通認識があるが、特別な彼からの頼まれごとはやはり特別で。私はほんのちょっぴり心が浮かれた。
だが理性もきちんと働いている。取り皿の上で渡し箸となっている自分のものを使用するのも気が引けて、私は席を立って新しいものを貰いに行こうとした。
しかし私の手の甲を覆うかたちで、上からひとまわり大きな手が重なる。そして彼は私をもう一度座らせて「僕そういうの気にしないから」とニッコリ笑った。あっけなく離れていったが、五条さんの手の温もりはすぐには忘れられそうにない。
周囲の目線を気にしつつ、大皿からひとつを選び私が箸先を恐るおそる彼へ差し出すと、鶏唐は見事にぱくっとひと口で五条さんの体内に吸い込まれるように消えていった。すぐにもうひとつとせがまれ同じようにすると、この人は再び大きなひと口で同じサイズのものを瞬く間に平らげてしまう。こんな風にしていても下品に思えないのは、やはり彼の育ちの良さからだろうか。
「なんか浮かない顔してるね。なまえも唐揚げ食べたら?」
「近くにあったので十分いただきましたよ。ありがとうございます」
「そ?じゃあ次はポテサラ持ってきて」
新しい取り皿と箸をもらってから特級術師様のご所望品を調達し、私はもとの席へと戻る。本能的にこのまま雰囲気にのまれるのはまずい気がした。だから少し大回りして時間を稼いだのだが、五条さんは誰と話すでもなく律儀に私を待ってくれていた。
「……すみません、お待たせしました。スタンダードなポテトサラダと明太子入りの二種類もらってきました」
「ありがと。なまえも食べるでしょ?ほら、となりにおいで」
手前の席でいいのに、五条さんはまた私を奥の壁際へと誘導する。彼の体格も相まって、まるでボディガードに周囲から護られているみたいだ。
でも立場は真逆で、目上の彼が食べ始めたのを確認してから、お言葉に甘える形で私も箸をつけさせてもらった。さすが個人経営の居酒屋だけあって、ジャガイモのマッシュは甘めだが具材がゴロゴロと入っておりしっかりおいしい。
「美味そうに食べるね」
「そうですかね。初めて言われました」
「今度僕と一緒の任務のときは、なにか食べに行こうよ。ご馳走するからさ」
「ありがとうございます。機会があれば、お願いします」
「機会ねぇ。そういえばなまえさ、補助監督辞めたいんだって?」
「……どなたの差し金でしょうか」
次へ行きかけていた箸を置き、頭の中で真っ先に新田ちゃんあたりだろうなと思った。ドキドキしながら膨らんでいた心が、すっと萎んでいくのが自分でもわかる。冷静に判断すれば、あの五条悟が私なんかに構う訳がないのだ。
先月、私がその日送迎担当にあたった術師が任務先で亡くなった。道中は中身が思い出せないくらい取るに足らない世間話をしていた、とだけ覚えている。だから彼の最後の会話の記憶が私だったと思うと、心底居た堪れなくなった。
それが全てではないが間違いなくきっかけとなり、私は理不尽な呪術界から距離を置くことを決断した。休職でも良いと打診を受けているが、窓として協力する事できっと折り合いがつくだろう。
だから本当は飲み会などもあまり得意ではないけれど、これが最後になるならばと今夜は思い切って参加することにした。まさか普段なかなかお目にかかれない彼が、意図して私のとなりにやって来るとは思いもしなかったが。
依然目元を隠している五条さんの表情は読み取りにくく、さらには何も言わないので私の方がこの空気感に耐えられなくなってきた。私の質問のあとからずっと黙っているのも、卑屈で勝手な女だと内心呆れているからかもしれない。
逃げ癖というのはきっと一生付き纏う。先に会費も払ってあるので、いっそこのまま帰ってしまおうと思った。明日から残り数日出勤したとしても、多忙な特級術師様とは永遠に会うことはないだろう。五条さんとの思い出はいくつか持っているが、私はこれが最後でも構わないと思った。
けれど予想に反して、彼はいつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「リークした人物は言えないけど——、そうだね。僕の気になってる女の子が、手の届く範囲から居なくなっちゃいそうだから今必死で引き留めてる、って言ったら信じてくれる?」
「そんなの、信じるわけ——」
だが五条さんは速かった。反論なんて物ともせず、強引に私を跨いだ反対側に手をついて、こちらとの距離を力技でぐっと縮める。瞬きを終えると、うっかり動いてしまったら鼻先が触れ合いそうな近さまで、彼は私に迫っていた。
比喩ではなく五条さんしか見えない。先程から周囲の雑音が聞こえないほど、バクバクと大きな音で鳴り続けている心音まで聞かれてしまいそうだ。
非力にも押し返そうとした。だが当たり前に、彼は揺るがなかった。そして私と向き合ったそのままの体勢で、目の前の男性は言葉を続ける。
「人の命が失われた事に対して仕方がないとは言いたくないけど、オマエの力じゃどうしようもならなかったから、やっぱり仕方がない事なんだよ」
目元を覆った布越しだけど、五条さんは真剣に私を見ていた。この人は私を許してくれている。それだけはわかった。
泣きそうになっている私の頭を、彼の優しい手がぽんぽんと撫でる。周りの誰の言葉も受け入れられなかったのに、色んな感情で溢れ返っていた心が整理されたかのように、この人の言葉だけはすっと胸に入ってきた。
こてんと五条さんの肩に額を寄せると、ちゃんと私の気持ちは伝わったようで今度はよしよしと撫でてくれる。この夜だけで私が彼の体温をこれほど知ってしまうとは、自分も含め誰一人想像しなかっただろう。
「それか僕の専属になる?絶対に戻ってくるよ」
「……よく言い切れますね」
「僕、最強だからね」
強がりで睨んでも怯んでくれないし、私が隠れてしまうほど五条さんは大きいし。まるで立派な要塞に囲われているみたいだ。
というか、ここが忘年会の場ということをすっかり忘れていたが、私達の姿は周囲にはどう映っているのだろうか。