傑と二人で任務を終え、土産を持っていたので談話室に顔を出そうとしたころ、なまえの話し声が聞こえてきた。前にいた俺が足を止めると、後ろの傑も同じく立ち止まる。
「何?」と問われた声色は純粋な疑問を含んでいたが、振り向いた俺が口の前で人差し指を立てると、親友は即座に意味を理解してくれたようだった。揃って足音を立てないよう入り口に近付き、部屋の中を覗き見てみる。
「男全員ってクラスの奴らだけ?」
「うん、そう言ってた。なんだかんだでお世話になってるからって」
「へぇ、先輩って案外義理堅いんだね」
なまえの途切れ途切れに聞こえた会話の相手は硝子だった。そこにホッとしたのも束の間で。今の俺にとって聞き捨てならないワードが、彼女の口から飛び出す。
「それゆえに、完全なる義理チョコだって——」
思わず身を乗り出しそうになった。だがそこは、親友が右肩に手を置き制止をかけてくれたおかげで、なんとか踏みとどまることが出来た。所々聞き取れていないが、今のは彼女自身のことではなく、先輩の話のはずである。焦りすぎだろ、俺。
「あとね、補助監督の——さんが学生だった頃は——」
幸いにもなまえのお喋りは続いており、俺達の存在には全く気付いていないようだ。今だけは彼女の鈍さを有難く思いつつ、硝子に注意を払いながら俺は傑にアイコンタクトを送る。
ラフな私服姿の女子二人は部屋に戻る途中だったのか、少しずつ遠ざかり始めていた。今は部分的に拾える盗み聞きも、女子の部屋が並ぶ寮の二階への階段を上られたら完全にアウトだ。
しかしほぼ立ち話をしているような二人の歩みは遅く、さらにはこちらに背を向けたまま話しを続けるようで。俺達は思い切って、身を屈めながら素早く談話室の入り口付近にある大きなソファー裏まで移動した。そして、より鮮明になった二人の会話に耳をそばだてる。
「参考になったよ。色々聞いて回ってくれてありがと」
「ううん、気にしないで。それで私達はどうしよっか?」
「五条と夏油?」
「うん、五条くんと夏油くん」
二人の口から自分達の名前が上がり、再び心臓が跳ね上がった。ここまで聞き耳を立てていれば、彼女達の話題が来週に迫ったバレンタインだということが俺にもわかる。まさに女子二人から自分に下される、日頃の評価が直結していると言っても過言ではないだろう。
確かになまえに対しては未だに虚勢を張ってしまうため、褒められた態度ではないという自覚が俺にもある。けれどそこは素直になれない男心を硝子には汲んでもらい、願わくばフォローをいれてもらいたい。クラスメイトという特権で、最悪傑とひとまとめにされた義理でもいいから、俺はとにかくなまえからバレンタインチョコを貰いたいのだ。
「アイツらクズだけど土産とかは無駄にいっぱいくれるしな」
「そのお返しと日頃の感謝を兼ねてチョコレート準備しよっか。私は二人にいっぱい迷惑かけてる自覚もあるし」
その言葉を聞いて、俺は心の中でガッツポーズを決めた。これぞ日頃の行いが成した功である。今すぐ傑と手を取り合ってこの感動を分かち合いたいところだが、ここで見つかってしまっては全てが台無しだ。ニヤける口もとを手のひらで覆い、今度は自分勝手に彼女達がさっさと去っていくことを願う。
「あ、でも。あの二人相当モテるから、そういう名目でも渡される方が迷惑かな」
「は?」
「コラっ」
飛び出した頭を傑に小突かれた。いやいや、そんなことより。
「んー、迷惑とは思わんだろ」
「多分夏油くんは多少困ってても笑顔で受け取ってくれるだろうけど、五条くんは……」
「いや、嬉しがると……」
硝子が口ごもるのは、俺の気持ちを知っているからだと信じたい。なまえから渡してくれるなら素直に受け取るし、ちゃんと礼も言う。それにホワイトデーは金に糸目をつけず、何倍にもして返す。だから頼む硝子。引くな、押せ、押せ、押し切れ。
「面と向かっていらないって言われたら、さすがに私もつらいなあ」
視界に捉えたなまえの横顔は、いつも俺に見せるように困ったまま笑っていた。それだけで締めつけられるように胸が苦しくなる。多分これは罪悪感だ。
「……それならいっそさあ。浮かれたイベント事って私苦手だし、どうせアイツら、やってもやらなくても面倒なことに変わりはないじゃん?だからそんな習慣作らないようにするために、私達は最初からバレンタインは無しにしとく?」
なまえは縦とも横とも言えないような首の振り方をした。俺と傑は思わず顔を見合わせる。
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さて硝子の提案どのように覆し、俺達にバレンタインチョコを贈ることが、いかに女子二人のメリットになるのかを考えに考え抜いた結果。俺は熱を出した。寝込んでしまい行動を起こせぬまま、今日は二月十四日のバレンタインデー当日。体調は最悪を更新し続けており、熱はまだ下がらない。
病欠の時点でどうせ俺は、今日なまえからチョコを貰える可能性はひとつもないのだ。だから彼女が自分以外の男に渡してさえいなければと、もう諦めはついた。それでも心のモヤモヤは続き、朝飲んだ解熱剤の効果が切れてきたのか、やけに思考がまとまらない。何にせよすることもないので、布団の中から意味もなく部屋の天井を見つめる。
するとコンコン、と部屋の入り口から二度ノックの音が聞こえた。時計は見ていないが多分昼時で、傑が食事を運んできてくれたのだと思う。ずっと施錠はしていないので適当に返事をかえすと、慣れたように扉が引かれて親友が入ってきた。
「五条くん、調子はどう?」
「……は?」
ふざけているのは俺で、こんな華奢な女の子がガタイのいい相棒の男な訳がなかった。目には絶対的な自信があるのに、どんな勘違いしてんだよ。
なまえは昼食の乗った盆を机の上に置きながら「夏油くん任務だから代わりに私が」と言ってから「ごめんね」と、なにも悪くないのに謝罪の言葉を述べる。そしてあろうことか、彼女は不意に寝転んだままの俺の顔を覗き込んだ。表情は知ったものなのに、いつも怯えるように見上げられてばかりなので、なんだか違う人物のように思えてしまう。
「顔も赤いし、まだ熱も高そうだね。このまま下がらないようだったら、明日くらいにお医者さんに来てもらうって夜蛾先生が言ってたよ。——大丈夫?」
顔が赤い理由の半分はオマエだと言ってやりたい。けれど「大丈夫」とぶっきらぼうに答えてから俺は毛布を引き上げて、恨めしく彼女を見つめた。どうもいつもの調子になれないのは、自分が弱っているせいだと結論づける。俺さえなまえにキツく当たらなければ彼女も普通に接してくれると、この一年ほどで嫌なくらい学んでいるのに、だ。
せっせと食事や薬の支度を進めるなまえの姿を目で追う。本当可愛い。まじで好き。俺が万全だったら……いや、出来ないか。純粋に心配して来てくれたであろう彼女と反するように、不純な想いばかりが俺の胸のなかで渦巻く。
すると突然なまえがこちらを振り返った。余計なことを口走ったかと一瞬焦るものの、目が合うと彼女はなんてことない小さなビニール袋を、俺の前に掲げた。
「あとアイスクリームも持ってきたから、冷凍庫に入れさせてもらうね。夏油くんからチョコ味がいいって聞いて——」
「今!いま食いたい!」
チョコという単語で鉛のように重かった身体が嘘みたいに軽々と持ち上がり、おでこに貼られていた冷却シートが俺の勢いについて来れず、くたびれた姿で毛布の上に落ちた。傑が手回ししてくれたのは、まさに俺が求める最高の見舞いの品であった。我を忘れたように食いついてしまったが、持つべきものは友人だと俺は心の底から親友に感謝する。
「まずはごはん食べてからの方が、」
「いや、いい。大丈夫だから」
なまえは慌てた様子で俺を嗜めるが、今日は年に一度のバレンタインデーである。今俺の目の前には、好意を寄せる女子とチョコ(味のアイス)のセットが並んでいるのだ。そりゃ必死になるだろ。
しかしそんな愉快な気分から一転するように、視界が揺らぎ始めた。起き上がったつもりでいたが寝たままなのか、なぜか自分の居場所が分からなくなっている。最後には、近くに迫ったなまえの泣きそうな顔だけが見えていた。
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だから次に目覚めたときに、俺の顔を覗き込む人物が夜蛾先生に変わり、そのうえなまえに差し入れてもらったはずのアイスクリームは、溶けきってしまったので処分したと聞かされ。人生でこんなにも損をした気分になったのは生まれてはじめての経験だった。
それに退院祝いだと言って、なまえが硝子と一緒にくれたチョコレート菓子も、実はバレンタインの品だったという疑惑が拭いきれていない。