だだっ広い敷地を有する呪術高専だが、いくつかの制限を持つ少女の行動範囲など、たかが知れている。その狭い水槽のような世界で、たったひとりの少女の行方が知れないというのは、人為的なものに巻き込まれたと考えるのが妥当だろう。拐われた、匿われた、あるいは——。
僕のことをよく思っていない人間が、高専内に多数いることも承知の上でなまえを連れてきた訳だが、そうでない術師もここには一定数存在する訳で。呪術界の要となるこの場所で、頭の固い連中がこれほどあからさまな僕に対する挑発行為を行うのかと問われると、どうもしっくりこない。
では、あくまで僕に何らかの条件をのませるために、少女を人質として取ったのだとしよう。だがなまえは特別な術式を持っている訳ではない。だから冷酷さを持ち合わせる僕にとって、ただの婚約者である彼女にはその価値がないのだと知っているはずだ。
そうなってくると、僕に対する悪意の対象が余計に絞れなくなった。考えがまとまらないからこそ、僕は冷静を装って電話口の憂太へ問う。
「朝から授業だったんでしょ?なまえは一度も顔を出してないの?」
『はい。連絡もつかないし、真希さんから寮の部屋にもいないって』
「部屋に制服は?」
『掛かったままだから、五条先生のところじゃないかと……』
的確に質問への答えを返す、僕の優秀な生徒に非はない。けれど手掛かりひとつ得られないことに、ふつふつと苛立ちが募る。
「僕もすぐ出る。なまえの行きそうな場所やその経路に残穢が残ってないか徹底的に調べて」
自身が経験した死に際とはまた違う焦燥感が、僕の胸を襲い続けていた。
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まずは全体を見通せる場所へ。部屋を出て視界を覆う包帯を外しながら、僕は空中への階段をのぼっていく。
木々や建物が眼下に広がり、高専結界の中心までやって来たところで僕は足を止めた。やけに人の気配が多いと思ったら、現在高専は修復作業のために外部の業者が多く出入りしているのだった。傑と憂太が衝突した場所を中心に、まだ瓦礫の撤去途中といった様子だが着実に復旧は進んでいる。
「は?……居る」
するといとも簡単に、僕は上空からなまえの呪力を視界に捉えた。まさかとは思いつつも、作業員が集中するところとは少し離れた場所に彼女の色が見える。林の近くに停められた車の中で、気配はそこにポツンとひとつだけ。遮蔽物があっても術師と一般人とでは呪力の流れが違うため、見間違いはまずないはずだ。
そこまで一気にトぶと、業者が乗ってきたと思われる一台の車の前に降り立った。周囲に人影はなく、施錠された軽バンのスライドドアを無理矢理こじ開けて、僕は車内へ乗り込む。そして作業道具と思われるものと共に、乱雑に置かれた麻袋を勢いよく素手で破った。
「……なまえ」
彼女は僕の部屋を出た時と同じ格好で、手足を縛られ口には布を噛まされていた。名前を呼んでも反応はなく、瞼が落ちたままの幼い婚約者を僕は袋の中から抱き上げる。
口元の布切れを解いてやり、頬から首筋にかけて触れると最初は少し冷たかったが、しばらくするうちに慣れた人肌の温度へ戻っていった。呼吸は穏やかで脈も安定し、呪力も普段どおりきちんと循環している。手足の縄を切って身体にも触れて確認したが、縛られた跡が残っているだけで幸い大きな外傷はないようだった。
あとから発動するような呪いもあるので気は抜けないが、ひとまずといった形で少女を保護することが出来て、僕の口からも安堵の息が漏れる。あまり大ごとにしたくない思いもあるが目を覚さない以上、一度硝子に診せて——。
「彼女から離れろォ!」
数秒前から背後に現れた気配には気付いていた。大声と共に僕の後頭部へと、トンカチのような工具が振り下ろされる。
だが当たるはずもない。身体を返すまでもなく指先で軽く呪力を飛ばすと、男は面白いくらい大袈裟に数メートル先まで吹っ飛んだ。
怒りで逆に神経が研ぎ澄まされているのかもしれない。そこへ向かって歩く、自分の足音がやけにはっきりと聞こえる。歩みを止めなまえの小さな身体をしっかり抱いたまま、痛みで蹲る男の肩に僕は足裏を乗せて無理矢理地面に押しつけた。
すると、うめき声と共にバキバキと骨が割れるような音が聞こえる。もし彼女が今こうして自分の腕の中に居なかったならば、僕は感情に任せてこの男を本当に殺していたかもしれないと、過ぎたことのように思った。
「この子を狙った理由は」
「か、可愛かったから……」
「は?」
作業現場はすでに結界内であり、修繕区域以外にも部外者が入りやすい環境になっていたのは確かである。男は完全な非術師で、呪術界との関わりは一切証明出来なかった。