例年通りならば、ほとんどの参加者が五条を名乗るそれぞれの家の妻や子どもで、小一時間決められた席で出された茶菓子を食うだけのはずだった。だがなぜかその場には、この家でそこそこの権力を持つ人間が席についており、隙あらば俺と彼女を好奇の目で見ていた。全員もれなく睨み返してやったが、本当に気色が悪い。
変わり映えのしない廊下をどれだけ行けど、どこまでもついて回る視線にチッと舌打ちをした。それでも気配が消えないため、俺は仕方なくなまえを適当な部屋へと引き込む。
扉を閉めて、勢いよく掴んでしまった細腕から手を離し彼女と向き合うと、不安を孕んだ丸い目が俺を見上げていた。またやってしまったと己の行いを悔いるしかないのだが、咄嗟に他人を慮る言葉を出せないのが俺のいう人間である。
「文句でも何でも聞き入れるけど」
甘い関係を築けていたならば、ここでコイツを抱き寄せながら耳元でごめんねと囁くのだろう。しかし現実は、高圧的に彼女を見下ろす俺の姿があった。
「……ごちそうさまでした。出してもらったもの、全部美味しかったです」
「なんで敬語?」
実際は茶会という名目での分家の人間による手土産のマウント合戦で、⚪︎⚪︎様より老舗の——とか△△様から皇室御用達の——とかで、出てくる品に間違いがないことは確かであったが。いやいや、そうじゃなくて。
「……みんな、五条くんこと見てたから。私なんかが軽い気持ちで付いてきちゃったせいで、五条くんにまた嫌な思いさせちゃったかな」
いつだってそうだ。なまえは自分自身のことは簡単に卑下してしまうのに、相手を見下す言葉だけは決して口にしない。弱者であることを認めているくせに、そこだけはきゅっと口を噤んでしまうのだ。
「そんなの全部俺の都合だし、俺が勝手にしたことでオマエが何か——。
……もてなすとか言っといて悪かったよ」
今度は素直に伸びた手が、俯いてしまった
彼女の髪を撫でる。ちょうどいい牽制なったと思ったのも全て俺側の都合で、結果的になまえを危険から遠ざける事が出来ていたとしても、ちっともコイツの気持ちを汲んでやれていなかった。
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送迎の車を降りてなまえのでかいキャリーケースを俺が引き、フロントを介さず最上階から一つ下の階を目指す。エレベーターを出たところで突き当たり左奥の部屋にカードキーをかざして、彼女を部屋に招き入れた。
「わあ、すごいお部屋」
ここは五条家専用として借り切っている部屋で、一応も何もスイートルームである。本家でも一部の近親者のみしか知らず使用人を経由するため、誰でも自由に使える訳ではない。まあ目的については、各々が抱えた事情でということで想像したくはないが、俺のように友人の宿泊先として健全な目的で使用するならば、誰にも文句はつけられないはずだ。
「腹減ったらルームサービスで好きなもん頼めよ。明日の朝、迎えにくるから」
「え、五条くん帰っちゃうの」
「当たり前だろ!」
純粋に驚いた顔をするなまえに、こちら方が信じられないという表情を向ける。十代後半の年頃の男女二人が、密室で一晩共に過ごす方が普通にありえないだろ。俺とどうにかなるとか一線を越えるとか、あるいは俺に組み敷かれて襲われるとか、コイツの能天気な頭は全く想像に及ばないのか。逆に苛立ってきた。
「お着物もどうしたらいいの」
この女、おまけにこんなことまで言い出す始末である。俺に脱がせろってか。
……マジでそういう意味だったらしく、後ろに回って帯だけ解いてやると、なまえは前を押さえてそそくさと脱衣所へ逃げ込んで行った。そこは俺を男と認識して、着替えを恥じらう気持ちを持っていたようだ。しかしすぐに今度はどうやって着物をたたんだらいいのかと、扉の隙間から顔だけ出してこちらを見つめてきやがった。
オマエにやるもんだから好きにしろ!俺はそう吐き捨てて、入り口へと向かったのだが。扉に手を掛ける直前に、ふにっと何か柔らかい感触のものが一瞬背中に触れる。
「五条くん、ありがとう」
俺が理性の働く男であったことに感謝してほしい。
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翌朝、メールを入れてからなまえを昨日のホテルへ迎えに行った。部屋を覗くと荷物をまとめ支度を終えていた彼女は、ちょこんと広いソファーの端に腰掛けて、律儀に朝のニュース番組を流しながら俺を待っていた。
ちなみに着物は見事なまでに綺麗に折りたたまれており、なんだ知ってんじゃねぇかと思ったら、携帯で動画を見ながら見様見真似でやったらしい。真面目ちゃんかよ。
それから案の定、遠慮したのか夜はろくに食っていないようだったので、早速外へ連れ出すことにした。
入店時に響く軋む床の音も、今朝はざわめく人の話し声で聞こえない。数年ぶりに足を運んだ喫茶店は、朝食の時間帯も大盛況らしくとても混雑していた。だが家の人間から事前に耳打ちされていたのか、はたまた昔を思い出したのか。俺の顔を見ると、すぐに一般席とは切り離された店舗の奥へ通された。
席につき、なまえも同じものをと言うので定番のモーニングセットを注文し、古い窓枠の外へ目をやる。朝陽を反射した鴨川のきらきらひかる水面に、俺はサングラスの奥で目を細めた。
「五条くん、疲れてる?」
「まあ、それなりに」
彼女の問いかけに視線を戻すと、こちらを見上げる表情は純粋に心配してくれているようで。気丈に振る舞いたい反面、幼子のように感情のままコイツに全てを委ねてしまいたい思いに駆られる。この五条なまえという女は、同級生のなかで誰よりも頼りないくせに、自身を差し置いて他人の心配ばかりするのだ。
「……なあ、俺の事もっと嫌いになった?」
カチャリと食器が音を立て、それぞれの前にコーヒーカップと、この店の名物である厚焼きたまごのサンドウィッチのセットが並べられる。俺は彼女を直視出来なくて、香りとともに漂うコーヒーの白い湯気を目で追った。
自分でもどうしてこんなことを口走ったのかはわからない。敢えて理由を充てるならば、憂鬱な帰省と彼女に関する拗らせた想いで気疲れがピークに達し、情緒が不安定になったとでも言おうか。
「嫌いだったことなんて一度もないよ」
「そうなんだ」
「うん」
それ以降、向かい合って食事をするだけでなまえと会話らしい会話はしなかった。しかしずっと落ち着かなかった心がここにきて、この穏やかな川の流れと同じく凪いでいくのを俺は実感した。
そして帰りの新幹線ではすぅすぅと寝息をたて、無防備な寝顔を晒して寄りかかられるくらいには、彼女は俺のことを信用してくれているらしい。