「ああ、そうだ」
夜蛾先生は腕を組んだまま深く頷く。右隣にいる悟くんの口もとが一瞬引き攣ったのを、私は見逃さなかった。
星漿体任務の概要は知っているが、あの当時の彼らが深く語らなかったので、私は今もその内側を知らない。けれどあの任務の結果が、親友だった二人の決別に至る原因だったと言っても過言ではないだろう。先生も分かっているはずなのに。
すると悟くんは制服のシャツを捲った腕を伸ばし、私の左肩を掴んで彼の方へ引き寄せた。私の不安が伝わっていたのか、必要以上に明るい口調だった。
「せっかく彼女と沖縄なのに一泊二日じゃ遊ぶ時間ほとんどねーじゃん。もう一泊くらいなんとかならないの?」
「目的が違うだろ!何度も言っているが、オマエら学生らしい付き合いをせんか!」
指導という名の雷が落ちると、悟くんは反省の見えない顔でべっと舌を出す。私も思わずクスッと笑ってしまったけれど、夜蛾先生もどこかほっとしているようだった。
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電車と飛行機を乗り継ぎ、私達は昼過ぎに沖縄本島へと到着した。諸経費節約のため、今回現場への送迎等は全て現地の窓の人が行ってくれることになっている。
空港内の立体駐車場へ向かうと、タイミング良く悟くんの電話が鳴り、その人とはスムーズに合流することが出来た。その後の任務も、彼が最初に大物を祓ってくれたおかげで、私も封印や結界といった仕事を順調に終えられた。
しかし流れが良かったのはここまでである。私達は当然のように、沖縄名物である夕方の渋滞にハマってしまったのだった。
「しばらく動かないだろうねぇ。着いたら起こしてあげるよ」
「そうなんだ」
それだけ言うと、陽が落ちかけた車内で悟くんは私に凭れかかった。すでに繋がれている右手から、彼の左手の体温が伝わってくる。本当に眠いようで、目蓋を伏せた悟くんの手はいつもより温かかった。
さて。高専に勤務する補助監督さんからは、空港近くのホテルを一室ずつ手配してもらったと聞いていたのだけれど。現地の窓の人が送り届けてくれたのは高級リゾートで、コテージ風の独立した部屋は当然のようにツインルームになっていた。
「あー腹減った。ルームサービス頼もうぜ」
「……悟くんが宿泊先変えたの?」
「まあね。嫌だった?」
「ビックリしただけ」
「あっそう」
「でもありがとう」
そう言って彼にすり寄ると、背を屈ませた悟くんからほっぺにキスが降ってきた。嬉しくなって私からも唇を寄せる。けれどいつだって主導権を握るのは悟くんで、気がついた時には私は南国調のソファーの上でふにゃふにゃになっていた。
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「まだ起きてる?」
「うん。悟くんのこと起こしちゃったかな」
夜半過ぎ、私はどうにも寝付けなくて何度目かの寝返りをうったところ、彼から声を掛けられた。あのあと食事をして一緒にお風呂に入って、それからまた抱かれて私達はおやすみを言い合った。するとすぐに悟くんからは、すぅすぅと寝息が聞こえていたので、きっと深く寝入っていたのだと思う。
以前は移動中も含め、彼が私より先に眠ることなんてなかった。それだけ私に気を許してくれたのか、それとも多忙ゆえの疲労なのか。多分聞いたところで答えてもらえないだろう。
「俺は結構寝たから大丈夫。眠れねぇの?」
向かい合っていた彼の腕が私の背中に回されて、優しく抱き寄せてもらった。寝起きの体温の胸元に顔を寄せながら私も答える。
「なんかそうみたい。昂ってるのかも」
「じゃあ、ちょっと散歩でもしようぜ」
悟くんは返事を待たず、一瞬のうちに私を抱き上げベッドから降り立った。彼はもう前を向いている。私の心配なんて、本当に余計なお世話だったのかもしれない。悟くんは派手に窓を開けて、躊躇いなく夜への一歩を踏み出したのだった。
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夜風が心地良い。悟くんに手を繋いでもらいながら歩く砂浜は、とても不思議な感覚で。素足なのに砂には触れず、それでも私達の足跡は残った。
「俺も離さねぇけど、オマエも俺のこと絶対離すなよ」
「うん、わかった」
次は彼と一緒に、波へ逆らうように黒い海へと入っていく。悟くんの術式のおかげで濡れないどころか、波の抵抗を受けることもない。波打ち際から少し進んだだけのつもりが、もう揺れる海面は私の腰のあたりまで来ていた。
少しだけ前を歩く悟くんの背中は見えているのに、果てのない暗い海が怖い。ねぇどこまで行くの、とつい口にしてしまいそうになる。そんなことを言ってしまうのならば、私は黙って彼の手を離すべきなのだろう。だって私がどう足掻いたところで、結局悟くんの足手纏いにしかならないのだから。
波の高さはもう私の肩を超えていた。ついには彼の一歩が大きくて、絡め合っていた指も解けそうになる。夜の海に放り出されたら、私はきっと一人では岸へ帰れない。でも私から縋ることも出来ないだろうと、諦め半分に思った。
そのとき、ざぶんと大きな波が襲い私は悟くんを見失った。しかし、離れかけた指先はすぐに繋ぎ直される。彼は私のすぐそばに居た。
「なあ、上見てみ」
ここに来てから私は、真っ暗な海と悟くんの背中ばかりを見ていた。こちらを覗き込む彼が顔を上げるのと同時に、私も空を見上げる。
「……わあ、すごく綺麗」
遮るもののない夜空は、今まで見たこともない数の星で埋め尽くされていた。白く光る星達ひとつひとつが小さなダイアモンドのように輝いていて、いつも見ている夜空とは同じと思えない。悟くんに手を繋いでもらったまま二人並んで水面にぷかぷかと浮くと、その浮力も相まってまるで宇宙空間にでも居るようだった。
「……夢が出来てさ。これからなまえにも手伝ってもらいたいことがあるんだよね」
「改めて言ってもらわなくても、私に出来ることならなんだってするよ」
「そっか。ありがと」
彼はそれ以上のことは口にしなかったけれど、今の悟くんならば、なんだって叶えられる。そんな気がした。