そいつは野良にしてはやけに人懐っこく、そのうえしなやかな体型と綺麗な毛並みを常に維持しており、俺は最初誰かの飼い猫なんじゃないかと思っていた。けれど昼夜問わず姿を見かけるし、寮母さんによると不定期に食堂にもエサを強請り来るらしいので、やはり野良だという結論に至った。
一日に二、三回見かける時もあれば四、五日日姿を見ないときもある。基本人見知りをしないので、人を選ばず俺達にもニャッニャッと足もとに擦り寄り愛想を振り撒くが、その割にはスンと澄ました顔で素通りしていくこともよくある。
俺も伏黒も釘崎も基本動物好きだし先輩達も含め周囲は、気まぐれな猫らしいヤツという認識を持っていて。甘えに来たときは撫でてやるし、見かけたからと言って毎回構いに行くわけでもなく。気がつくとグラウンドのすみや、教室や寮の窓の外に姿がある。そんな風に白い猫は、俺達の日常に溶け込んでいた。
しかし俺がこの猫を気にするのは、他に理由がある。
「あのときカレーおかわりしてたの悠仁だけだったじゃん」
「いやいや、あそこ壊したの悠仁でしょ?」
「悠仁さあ、昨日のアレは酷かったねー」
五条先生は出張などで自分が居なかったときのことでも、なぜか当たり前のように話すのだが。俺も初めは疑問に思いつつ、その場にいた他の人間から話を聞いたのだと(本人もそう言うし)あまり気に留めていなかった。
しかしある日、俺は気付いてしまったのだ。その際に決まって白い猫が、場に居合わせていることに——。
「もしかして五条先生の分身とか」
「アホか」
低い声と共に、文庫本から顔を上げた伏黒の表情が歪む。突拍子がないにしろ、俺としては割と大真面目な話だったのに、呆れを通り越したのか今の伏黒はまさかの半ギレ状態だ。
「……いや、あるわ」
「オマエもかよ」
しかし奥の席から思わぬ援軍である。化粧を直していたので話半分で聞いていたのかと思いきや、足を組み直した釘崎は神妙な面持ちで続ける。
「よくよく思い返せば逆も然りってやつで、アイツが高専に居るときって私一切あの猫のこと見かけないのよね」
「ほらなー!」
付き合いきれないといった様子で伏黒は、手元の活字に目線を戻した。だが、あり得ないと思っていた事象でも前提を覆し考え出すと、まるでピースが揃ったパズルのように、面白いくらい全ての辻褄が合っていく。
「そもそもさあ、あの白い毛並みと青い眼も五条先生まんまじゃん!」
「普通自分のこと連想させるような見た目にしないわよね!?逆の発想的な!?それにしても自己主張強すぎぃ!」
「……おい、居るぞ」
「「え?」」
白熱する議論は一時中断で伏黒が指す先を見つめると、まさに話題の中心である白い猫が外を歩いているところだった。視界から遠ざかっていく後ろ姿はやけにご機嫌で、ふわふわの尻尾がピンと真っ直ぐ立っている。
「どこ行くんだろ」
「毎回おやつをくれるいいカモでも見つけたのかしら」
先生とは違い短足だが、行き先に迷いがないのかどんどんと姿が小さくなっていく。こうなれば、猫が五条先生だという決定的な証拠を押さえたい。隠密行動のひとつならば申し訳ないのだけれど、ただの猫だと思って安心していた部分があるので俺のプライバシーのためにも、だ。俺は釘崎ともに教室の窓に張りつき、後ろ姿を目線で追う。
すると猫は突然何もないところで足を止め、尻を下ろした。距離があるのでハッキリとは聞こえなかったが多分「ニャオ」と、ひと鳴きしたのだと思う。この仕草だけ見たら案外と健気なヤツである。
それから数秒後、猫へ向かってひとりの女性が歩いてきた。きっと「なあに」とか「どうしたの」という柔らかい言葉なのだろう。目線を下げそれに呼応するように差し出された指先は、猫のために奥の渡り廊下から進行方向を変えたであろう、一般科目の教鞭をとる苗字先生だった。
ここへ来る前も高校教師をしていたという苗字先生は細身のおっとりとした女性で、元々は呪霊が見えるだけの窓だった、と本人から聞いている。しかし、ここ呪術高専では術師を兼ねる教師の方が圧倒的に数が多く、授業の割合もそれに比例していて。苗字先生は全学年に対し週に二、三度まとめて授業を行うだけで、毎日出勤していないうえ限られた時間でしか高専には滞在していない。
それでも白い猫は俺達には見せたことのないようなうっとりとした表情で、彼女の指先に擦り寄った。先生も驚いた様子はなく、手慣れた風に猫を抱き上げる。外野から見ても相思相愛、みたいな感じ。そして近距離にあった互いの鼻先がツンと触れ合った。
「「!?」」
一体何が起こったのだろうか。次の瞬間には猫を抱き上げていたはずの苗字先生が、なぜか人間の五条先生に抱き上げられていた。そのうえ今度は鼻先ではなく、苗字先生が五条先生に引き寄せられる形で二人の唇が重なる。
身近な人間のキスを目撃するのは、俺の人生で初めての経験だった。何度か確かめるようなキスがあったあと、苗字先生の腕が控えめに五条先生の首へ回される。そうなると二人の口づけは必然的に、より深いものへと変わっていった。でも五条先生はどこか余裕があって。気づいてるな、コレ。
耐えきれなくなった釘崎は、俺より先に窓から飛び出していた。
「一体どんな原理よ!ていうか猫は式神でもないし苗字先生も術師じゃないんでしょ?術式も呪力もなしになんで猫がアンタに変わるのよ!?」
「ナイショ」
未だ置いてけぼり苗字先生をよそに、五条先生はいつもの調子を崩さない。そして姿を消したと思っていたはずの白い猫も、いつの間にか彼女と一緒に五条先生の腕のなかに戻っていて。いつものように澄ました顔で俺達を見つめていた。
「夕方の任務、僕の引率だから。またあとでね〜」
五条先生はそう言い残し、説明責任を果たさないまま俺達に背を向ける。今になって耳まで真っ赤になった苗字先生に怒られているが、どうやら二人と一匹は限られた時間で甘いひとときを過ごすようだ。