本日午後、五条と夏油と私の三人に北関東への任務が言い渡された。呪霊が発生したのは某県某所。観光地なのだが僻地であるため、今日中に戻って来れない見込みとのこと。だから大事な硝子は高専に留守番となり、私達三人は急遽宿泊の準備を強いられた慌ただしい出発となった。
 駅まで補助監督に送ってもらったあと、夏油が特急列車の指定席を三枚を購入した。今回財布の紐を握るのは彼の役目である。補助監督から十万円と書かれた茶封筒を預かっているのを、私は見た。金銭感覚のズレた五条はともかく、せめて私には一言伺いを立ててほしかったなあと遠目に思った。
 電車に乗り込み夏油、五条、私の順で通路を進む。オチが弱い事には触れないでほしい。慣れつつあるが、すでに着席している乗客からの視線がつらい。乗車位置を完全に間違えたので約一両分の移動である。その間に発車を知らせる駅メロが鳴り、続いて車内アナウンスがなされた。
「ここと、ここだね」
 足を止めた夏油が前後並びの二人掛けの座席を指差すと、五条がそのうちのひとつを回転させて向かい合わせにした。背の高い二人は軽々楽々と荷物を上の棚へ乗せて(私の分は五条が置いてくれた)どちらも窓際へと座った。私から見て左手側の席に夏油、右手側に五条。
「……えっと」
 別に男二人並んで座れとは言わないが、これもどうなのだろう。車両の揺れに耐えつつ、私は両名を交互に見る。どこか不貞腐れたような五条と、貼りつけたような笑みを浮かべる夏油。どちらとも目が合った。
「なまえの好きな方でいいよ」
 それを言ったのは夏油だった。どこか含みのある言葉である。これじゃあ選ばなかった方のことを、好いていないみたいじゃないか。
 けれどその台詞のすぐあとに私は夏油の隣へ、膝を揃えてちょこんと腰を下ろした。こういう座席のやつってモケット生地って言うんだっけ。すべりが悪いよね。高専の使いこまれたツルツルの木製椅子に慣れ親しんでいるせいか、浅く座りすぎた。
「なんで傑の方へ行くんだよ」
 さっそく限られた共有スペースで長い脚を持て余し、私の脛をつっつくのは五条の靴先である。子供じみた嫌がらせ以前に、これだよコレ。確か「何もしなくても女の方から寄って来る」だっけ。そんなスタンスじゃ、察せないよねー。
 彼がいくら女にモテようと、世界中の女がみんな五条を好いている訳ではない事を、今回は親切に教えてやろうと思う。日頃の恨みもこめて、私は自称モテ男に盛大な正論を吐いてやった。
「だって五条、人が隣に居ようが関係なく思いっきりこっちに足裏向けて足を組むんだもん。クセか何か知らないけど、気遣いがなってない男の隣はイヤ!」
 くつくつと笑う夏油も大概脚を開いて座るので、結局どちらの横に居ても私は肩身が狭い思いをするんだけどね。
 ここから一時間少し掛けて最寄り駅まで向かい、そこからはタクシーで目的地まで行けとの事である。長いなあ。



 タクシー移動は三十分程で済んだが、呪霊討伐には一時間以上掛かった。私は雑魚担当だったから強く出られないが、馬鹿みたいにすばしっこいヤツに、五条がいいようにやられた。
 建物を全壊させてもいいのなら五分で終わったと、任務後に彼は言い訳をした。国の重要文化財だぞ、良い訳あるか。
 夏油は誰よりも効率よく呪霊を祓っていたが、全て終わったあとにその場で呪霊玉を飲んで、あまり気分が良くないようだった。
 補助監督が押さえてくれた宿に着く頃には、すっかり日も暮れて身体も冷え切っていた。夏油に代わり私が記帳を済ませて、中居さんの案内で年季の入った廊下を渡る。
 通されたのは趣のある十畳一間で、どう見ても三人一部屋だった。今回の任務、手配を任された補助監督は、私を女子としてカウントしてくれていないのだろうか。男子高校生の日常じゃねえんだよ。
 しかしワーワーと文句を垂れる気力も今はない。とりあえず荷物をおろした私達は、食事前に大浴場で身体を清め芯から温める事とした。長距離移動後の寒空の下の任務で、体力消耗とテンションの下がり方が尋常でない。
 五条と夏油は男湯へ、そして私は間違いなく女湯で湯浴みをした。食事時なので人も少なく、特に粉雪が舞うなかの露天が控えめに言って最高だった。

 風呂から戻ってくると、部屋では夕食の準備が始まっていた。私が一本しかない鍵を渡して貰えなかったのは、こういう理由である。
 それぞれ左右に分かれて座る二人の正面には、木箱の中に十種類以上の彩り豊かな小鉢が並んでおり、まだ火は点いていないが一人用の鍋の支度も並行して進んでいるようだった。疲労も相まって、湯冷めする前にこのまま寝てしまいたいとさえ思っていたのに、こんなの見てたら急にお腹が空いてきた。欲望に忠実な身体である。
「次運んでくる人に、なまえの分もお願いしようか。好きな方に座りな」
 妙にダサい柄の半纏すら、可憐に着こなす夏油が言った。ずいぶんと顔色も良くなっているおかげか、比例して可愛げもなくなっている。憎たらしいけど、元気になったのは何よりだよ。
 話を戻して、私はまた同じ選択を迫られている。電車の時のデジャヴのように、左の奥の席に夏油、右に五条が陣取っている。手前の座椅子は、どちらも間違いなく空席だ。
 再び両名を見比べるが、料理を前に腕を組む五条の浴衣の袖が足りていないのが、やけに気になった。夏油も長身に分類されるが、あくまで衣類は規定サイズ内だ。規格外って大変なんだね。私は長さに余裕のある浴衣の裾を揃え、今度は五条の隣に座った。
「良かったね、悟」
「……」
 ニッコリと微笑む夏油とは対照的に、横からのサングラス越しの視線が痛い。私が隣に来ようが来まいが、クレーマー気質な男だから、結局不満があるのだろう。
 だけど今回は五条がどうこうと言うより、私自身が原因だ。今さら感もあるが、これを機にということで改めて伝えてみる。
「こっちに座ったのは、単純に私が左利きだからだよ。ご飯食べるとき右利きの人の右隣に座ると、手がぶつかっちゃう事が多いの。だからテーブルとかだと、私は左端にしか座れないんだよね。横にいると、五条は邪魔かもしれないけど。ごめんね」
「別にいいけど」
 結果一度も肘同士がぶつかることなく、私達は食事を終えた。私は男子二人と同じ量の料理を、見事に平らげた。



 満腹になったところで、だらだらとテレビを見ながら各自携帯をいじっているだけなので、ぼちぼち寝る準備をしようという事になった。
 食事を下げたら、もう中居さんは翌日の朝まで来てくれないらしく、自分達で押入れから出して布団は敷いてくれって多分言ってた。
「先に洗面所使っていいよ」という夏油の言葉に甘えて、私は歯磨きやらお手洗いやらを済ませに、奥の扉へ引っ込む。全て終えて部屋に戻ると、川の字に三組の布団がきっちりと揃えられていた。
「えー、並んで寝るの」
「部屋が狭いんだから、仕方ないよ」
 確かに食事をしていたテーブルを部屋の端に寄せたら、あまりスペースがない。テレビの真下とか床の間のすぐそばとか、変な布団の敷き方をして誰かの足元枕元で寝たくないしね。
「しかも私が真ん中なの」
「完徹して雑魚寝から起きた時に、傑の寝顔が真ん前に迫ってたのがトラウマなんだよ」
 別に私の寝相はそれほど悪くないけど、わざわざ男子二人に挟まれて寝なくてもと反論した。だが、それが嫌なら暖房の届かない広縁に布団を引っ張っていくか、ドラちゃんみたいに押し入れの中で寝ろと五条に言われた。
 渋々と床についたが、誰が消灯してくれたのかも知らないまま、私は深い眠りに落ちた。自分が思っていた以上に、疲れていたようである。



 深夜、私は目を開けた。気配を察知して、という感覚に近かったと思う。やはりというべきか、暗闇のなか、私の目の前には大きな黒い影が覆いかぶさっていた。
 何事だろうと脳は覚醒しかけたが、影が発する微かな息遣いも、せまる体温も、どこか安心するにおいがするため、警戒心がなりをひそめてしまう。同時に、呪霊じゃなくて人の気配で良かったと他人事のように思った。
 何かをされるでもなく、ただ見られているだけの時間が続く。どれくらい経過したのかは分からない。私が重い瞬きを繰り返していると、なんの前触れもなく、フニっと柔らかいものが唇に触れた。それと同時に気配も去っていったと思ったら、隣から違う影が寄ってきて、今度は唇の横に似た感触のものが落とされた。
「夏油?」
「うん、そうだよ」
 私キスされちゃったの?という言葉は、夢のなかで呟いたのか、私の記憶はそこで途切れている。
「私よりも悟の方が、なまえのこと好きみたいだから、今ので諦めるよ」と言った夏油の言葉も、きっと夢に違いない。



  午前六時三十分、聞き慣れた携帯電話のアラームが十畳一間に鳴り響く。私は頭上のそれを手探りで止め、勢いよく起き上がった。
 左右に首を振ると、私は間違いなく男子二人の間で眠っていたようで、どちらの大きな塊も今の目覚ましを不快に思ったのか、頭まで布団を被り直したり、腕で目元を覆ったりしている。
 カーテンを開けて、昇ってきたばかりであろう朝日を浴びたかったが、私は着替えを持ってそそくさと部屋を出た。

 朝風呂は、昨日の夕刻に私が入った時間よりも混雑していた。掛け湯をして室内風呂で温まったあと、露天風呂に出る。
 白い湯気が立ち込める湯に足先をつけ、私は一気に肩下までつかった。この熱めに沸いた風呂が、最高に気持ち良い。奥の方へ進み、岩に身体を預け、外の冷たい空気を吸った。

 風呂からあがると五条も夏油も起きていて、着替えも済んでいた。布団を畳み終えたところで、七時半ちょうど。中居さんが朝食を運んできてくれた。
 昼までに帰ってこいと言われているので、宿の精算後はタクシーで真っ直ぐ駅へと向かった。駅の売店で土産をいくつか調達して、行きと同じ特急電車へ乗る運びである。
 しかし若干通勤時間帯とかぶったせいか、並びで席が取れなかったと夏油が言った。
「なまえは、どっちと乗る?」
 意地悪な質問も三度目だと、ブラックジョーク並みに笑えない。どちらかを選ばなかった理由の、私の言い訳のレパートリーも尽きている。ちなみにここまで夜中の出来事には、誰一人として触れていない。みんな意図的に避けている気がする。
 私が一人で乗るよ、と返答しようかと思った。だけど、夏油のその質問に答えたのは五条だった。
「俺と乗る」
「じゃあ到着時間、補助監督にメールしとくからいつもの出口でね」
「わかった」
 夏油は穏やかな笑顔を向けたまま、乗車券二枚を五条に渡すと、先に改札をくぐってしまった。私も五条からそれを受け取り、ぶっきらぼうな彼に続いてホームへ向かった。

 乗車してからも、五条は窓の方ばかり向いていて、私達は全く言葉を交わさなかった。ペットボトルのお茶、ひと口飲む事すらしなかった。彼が組み続ける長い脚は、ずっと窓際へ足裏が向いている。
 暗闇のなかで私を見ていたのは五条?最初に唇にキスしたのも五条?いつからそんな風に私のこと見ていたの?……彼に聞きたい事は沢山ある。
 けれど流れる景色とともに、一時間ばかりの列車の旅は、あっという間にひとつ前の停車駅を迎えていた。あと十分も経たないうちに、この時間は終わってしまう。
 彼の整った横顔は、まるで作り物のように美しい。まだ高校生なのに、異性からのアプローチには飽き飽きしているようだったから、私みたいな普通の女は、ただの同級生でいるのが一番だと思っていた。下手に意識して、嫌われる方が怖かった。
 だけど、くしゃくしゃに笑った顔も、今みたいに思い耽る顔も、私はずっと前から大好きだった。
 どうしたいかという自問自答はもう終わりにする。優しい夏油の意地悪な問いにも、次からちゃんと答える。
 欲張りな私は微睡みのなかの現実を、今さら無かったことには出来なかった。

「ねえ、五条。昨日の夜はよく眠れた?」

 数分後、私と五条は手をつないで見慣れた駅のホームへ降り立った。
Which is better