労りの言葉とともに並んだのは、茶碗七割ほどの白米と、豆腐とワカメの味噌汁だった。続けて野菜の肉巻きと菜の花の胡麻和えが出てきて、最後に温かい緑茶を彼女はそっと食卓の上に置いてくれた。ダイニングテーブルの真上に設置されたオレンジ色の照明が、それらをさらに彩る。二十二時十八分、僕はようやく今夜の食事にありつけるようだ。
すでに彼女の手によって、ハンガーへと掛けられた喪服の上着のポケットに、数珠を入れたままだと伝え忘れたことに気が付いた。だが、今さら口にする気にはなれなかった。どうせまた近いうちに呼ばれるのだから、そのままでいい。
今月二度目となる役目を終えた黒いネクタイを緩め、僕は手を合わせて言う。
「いただきます」
先週から続く異様な忙しさに加え、また一人知人が死んだ。故人を偲ぶ間も与えず、通夜帰りのその足で呪霊を三体祓った。そして九時間後には、仕事のため新幹線に乗って地方にいると思うと溜め息が出た。
「大変だったね」
正面に腰かけたなまえは頬杖をつき、優しい瞳で、白米をかき込む僕を見ながら言う。ノーメイクだからこそハッキリと分かる、深く刻まれた隈が痛々しい。
現場には出向かないという約束で、なまえも仕事を続けている訳だが、常に人手不足の業界である。一日中凄惨な現場報告と向かい合って、さらには命を危機にさらす場所へ、己ではない術師派遣の手筈を整えて——、それが彼女の今の仕事だ。心なしか、頬もやつれているような気がする。どうやら疲弊しているのは、自分だけではなかったようだ。
この家で暮らす前の話である。まだ行ったり来たりを繰り返す頃、僕は彼女に「毎月稼いでる分くらいだったら出してあげるから、仕事辞めてもいいよ」と言った。
当時のなまえは、見るからに憔悴していた。送り出した学生が亡くなってからだ。彼女の意思ではないにしろ、若い命を摘んでしまった心の傷は相当深かった。
金でどうこうなる問題とは思えなかったが、それでも同じことを繰り返すこの世界に、僕はなまえを置いておきたくなかった。気の済むよう彼女の給料分くらいを小遣いとして渡して、これを機に呪術界と断絶した部屋に閉じ込めておいても良いとさえ考えていた。
だけど、なまえは僕の言葉に口を噤んだ。いつものように「そうね」と言ってくれなかった。
くるりと背中を向けたと思えば、そのままふらりとキッチンへ消え、黙々と料理をして、夕食の時まで一切口を開かなかった。
あの時ダイニングテーブルに出てきた、しょっぱいオムライスの味を、きっと僕は一生忘れられない。
結局、一軒家を買って共に住まわせるところまでは成功したのだが、なまえは然として仕事を続けている。あれ以来、どれだけ落ち込んだ彼女を見ても、辞めてしまえと強く言えなくなってしまった。
空になった椀を差し出し、僕は彼女に尋ねる。
「お味噌汁もうちょっとある?」
「あるよ。半分くらいよそう?」
「うん。お願い」
「ごはんのおかわりは?」
「大丈夫」
風呂に入ったら大抵すぐ寝てしまうので、最近の食卓には、消化によさそうな質素なおかずばかりが並ぶようになった。フライパンの上に余分があるのは知っているが、催促しない限り、盛り付けられる量も少なめだ。
正直物足りない気もするが、ジャンキーなものを食べた時よりも、明らかに目覚めが良い。腹八分目に医者いらず、だっけ。身体が資本なので、可能な限りは気に掛けていようと思う。
彼女と共に戻ってきたお椀には、再び湯気が立ち込めていた。
「これ食べたら、風呂入ろうかな」
「うん、追い焚きしてあるよ」
「ぱっと入って髪乾かして歯磨いて、寝に行くから」
「待ってるね」
「暖房もつけておいてね」
「もちろん」
「あといい匂いのやつも」
「はいはい」
「今日も美味しかったよ」
「ありがとう」
「……ごちそうさま」
僕は手を合わせ、席を立った。
なまえだって疲れている。それは火を見るより明らかだ。彼女は責任感と使命感を手放さなかった。
だからこそ、本当はたった一言、僕は彼女に言ってやるべきである。
「先に寝てて良いから」と。
それでも、その一言がどうしても出ないのは、どんな時間でもなまえには起きて自分を迎えてほしいし、出来れば一緒に眠りたいという、単純なエゴなのだと思う。