「すみません、少しだけお時間もらってもいいですか」
 私と二人での任務終了後、車を回してくるという補助監督に断りをいれたのは、いつもは自己主張の少ないなまえだった。そのお願いとらやらも可愛いもので、三十メートル先のテナントにあるタルト専門の販売店へ、帰る前に寄りたいというだけの事であった。
「前にテレビでやっててね、今回近くまで来たから行けたらなあって思ってたの。なかなか一人では来にくい場所だから」
 マフラーに埋もれた口もとは、きっとはにかんでいるのだと思う。
 別に補助監督と共に車内で待機していても良かったのだが、たった二組待っているだけだったので、私もなまえと一緒に列に並ぶ事にした。テイクアウトのみなので、それほど時間はかからないだろう。
「確かにお洒落な街だから、制服の高校生は浮いちゃうね」
「一緒に並んでくれてありがとう」
「構わないよ」
 順番はすぐに回ってきたが、今はまだ昼前だと言うのにショーケースの中身は、すでに五分の一ほどしかなかった。なぜ五分の一かと言うと、もう売り切れになっている空のトレーの数と、多分ワンホールを八等分されて並んでいたであろうタルトを、大雑把に計算した結果である。
 実際ショーケースの中は、フルーツ系のものは苺タルトがひとつと、バナナタルトがふたつ残っているだけで無いに等しい。あとはどうしても華のない、ナッツタルトとチョコレートタルトとチーズタルトが同じ数だけあった。
 さすがに昼前で店仕舞いはなく、また追加で焼き上げられるのだろうが、テレビで取り上げられた影響なのか、はたまた取り上げられる前から巷で噂の店だったのか、それはわからないが人気店なのだと認識はした。
「夏油くんはどれがいい?」
「私はナッツかな」
「五条くんはどうだろう」
「きっと何でも食べるよ」
 それでもなまえに落ち込んだ様子はなく、キラキラと目を輝かせて少ない選択肢を楽しんでいるようだった。
「それもそうだね。じゃあ苺タルトと、ナッツタルトを二つと、バナナタルトを二つ。あ、そのうちひとつは箱を分けて下さい」
 精算後、左右それぞれの手に握られた、四つのタルトが入った大きな箱と、ひとつだけバナナタルトが入った小さな箱。四つのほうは彼女を含んだクラスメイトの人数分だとして、個別にしたのは誰か特別な人用なのか。私がそう勘繰る前に、彼女は車を回してきた女性の補助監督に、待たせたお詫びだと言ってさっそく小さい方の箱を渡していた。そこまで気を遣わなくても良いのになあ、と私は思った。



 高専に戻って私はなまえと一緒に少し遅めの昼食をとった。
 二人ともカップ麺だったので各自部屋で食べても良かったのだが、なまえが買ってくれた食後のデザートがあるため、わざわざ食堂にいる。今さら彼女とどうこうなったりはしないが、さすがに部屋に招いたり招かれたりするのも違う気がする。
 食事を終えると、タイミングを合わせたように悟がやって来た。
 そこで再度なまえが携帯電話を確認するも、硝子はメールの返事がないと言っている。きっと部屋で寝ているか、急患でも運ばれてきたのだろう。先に三人で頂くことになった。
「へえ、有名な店なんだ」
「うん、開店時間から一時間くらいしか経ってないのに結構な種類、売り切れてたの」
 そんな会話をしながら、なまえはインスタントコーヒーの粉末が入った各マグカップに湯を注いでまわる。食堂に漂っていた先程までのラーメン臭が、一気に芳ばしい香りへと塗り替えられていくのを私は感じた。
「おっ美味そうじゃん」
「夏油くんはナッツタルトで、食べるかわからないけど硝子ちゃんにも同じのを残しておいてあげてくれる」
 待たずして悟が箱をあけるも、なまえはそれを咎めたりしない。せっせと皿やフォークを運んで、挙げ句の果てには悟しか使わないであろうシュガーまで彼女が用意していた。
「じゃあ俺は苺」
「はい、どうぞ」
 あ、と思ったが私は口を噤んだ。ショーケースを前にして真っ先に注文した苺タルトこそ、彼女が最も食べたかったものだと推測していたからだ。
 しかしなまえは表情を変えることなく、悟の皿に赤く輝く苺タルトを準備する。白い皿の上には、土台のタルトが隠れるほど真っ赤な苺が沢山乗っていた。悟は誰よりも先に食べ始めて、こぼれ落ちそうな苺を真っ先に頬張った。
 結局彼女は美味しそうにバナナタルトを食べていた。洗い物をしてくれている時にコソッと聞いてみたが「美味しかったし、あの店のものなら何でも良かった」と目尻を下げて笑うだけだった。



 あれから数日後、私は悟と二人で都内の任務にあたった。それ自体はあっけなく終わったが、糖分補給のため和菓子店に立ち寄りたいと言う悟に、先日の件を打ち明けてみた。
 購入したところに立ち合っていない彼に非がある訳ではなかったが、我先にと人が買ってきたものに手をつける姿勢にも苦言を呈したかったので、多分なまえは苺タルトが食べたかったのだと思うとハッキリ言った。
「それなら最初からこれは自分のだって主張すりゃいいだろ」
「私が言いたいのはそういう事じゃなくて、一言どれが食べたいか尋ねてあげるような気遣いをみせたらどうかって言っているんだよ。意思表示をしないのは、意思を持っていないのと等しくない。なまえが控えめな女の子だって、君も知っているだろ」
「理解出来ねーわ」
 喧嘩には発展しなかったが、帰りの車の中で私達は一言も口を利かなかった。



 また違う日、今度は悟となまえがシュークリームを手土産に帰ってきた。この日は京都校の生徒が滞在中ということもあり、いつもより多めに買ってきたそうだ。
 この箱が定番のカスタードシューで、この箱が今の季節限定の苺のクリームシューだとなまえが丁寧に説明してくれる。目測で十個ほど。同じ数だけあるらしい。
 術師が年功序列制ではない事をみんな身をもって知っているが、とりあえずお客様の京都校を優先に、先輩方から先に取ってもらう事になった。すると苺シューばかりが売れていき、先日の件が私の頭に過ぎる。
 しかしこんな大人数の場では、成り行きに任せるしかない。そもそもなまえにとっては、私が悟にした忠告ですら余計なお世話だっただろう。彼女はいつだって穏便に事を済ませたいのだ。
 そんなことを思っているうちに、苺シューが残り一つになった。次は東京校の二年の女子の先輩だ。多分苺に行くなと私は思った。
 だがそこで、見計らったように悟が横からパッと手を伸ばし、箱のすみにあったそれを自らの手中へとおさめてしまう。
「じゃあ残りはみんなカスタードね」
 私は悟の幼稚な言動に心底呆れたが、この歳になって不平を漏らす者も、わざわざ彼を非難する者もこの場には居なかったので、私も黙っておいた。


「五条くん、ありがとう」
 決して耳をそば立てていた訳ではなかったが、壁際にいたなまえの声を私はひろってしまった。
 いつの間にか彼女のとなりには悟がいて、なまえが手にする食べかけのシュークリームからはピンク色のクリームが顔をのぞかせていた。
 ああ、なるほど。そう思ったが、彼の言動に私は気付いていないフリをしておく事にした。
 案外良いところもあるじゃないか。
Sweet sweets in your hands