悟が初めて私を抱いたのは、彼が十七才を迎えて間もない日の出来事だった。
 日付が変わる直前、眠っていたにもかかわらず、マナーモードにしていた携帯電話の着信に気がついたのは、なにか虫の知らせのようなものを、私が感じとっていたからかもしれない。
「なあ、まだ起きてんの」
 毎度いきなり用件から始まる彼の通話は、育ってきた環境によるものが大きいのだと思う。だが、もしもしのたった四文字すら悟に教えなかったのは、五条家の怠慢と思わざるを得ない。今になって聞かん坊に注意を繰り返す、友人夏油の苦労を知ってほしいくらいだ。
「布団には入ってたけど、起きてたよ。どうしたの」
 私は嘘をついた。理由は私の返答によって、彼の選択が変わってしまう気がしたからである。
 ディスプレイを耳に当てたまま、私はずり落ちてしまった掛け布団と毛布を直し、暗闇に目を慣らすよう瞬きを繰り返す。眠る前と同じ締め切った部屋なのに、たった一時間ほどでずいぶんと空気が冷たくなった気がした。
「今から部屋行ってもいい」
「いいよ、鍵あけて待ってるね」



 悟はほんの五分足らずの時間でやってきた。私はとりあえず寝巻きの上に部屋着のカーディガンを羽織って、彼を出迎えることが出来た。
 悟の格好も寝巻きに近いラフな格好だった。今日一日校内で彼の姿を見かけなかったが、ちゃんと日付が変わる前にここへ戻ってこれていたのだと安心する。学生の身でありながら、一体どこで何をしているのか。報告を受ける方すら億劫になるほど彼は多忙だ。
 錠をし、私を押しのけるように部屋に入った背中を追うと、悟はすでにベッドに腰掛けていた。最初の頃は小物が多い私の部屋に、この巨体がどうも馴染まなかったが、今では慣れたものである。
「暖房つける?」
「いや、いい」
「何か飲む?」
「いらね」
「テレビ」
「いい」
 そばまで行って、合わない視線のまま彼に問う。
「……じゃあ何の用で来てくれたの」
 ようやく顔を上げた悟は、なぜか口をへの字に曲げ、無言のまま何かを訴えかけるような表情をしていた。それは、私が何か彼の気に障るようなことをしてしまった日にみせた顔と同じであった。記憶をたぐり寄せていく。
 今日はそもそも彼が一日中任務だったので、顔を合わせていなかったし、その前といえば昨日だが、午前中の短い時間だけ学内にいた誕生日の悟にささやかな贈り物をして、午後は私も外へ呼ばれたのでそれっきりになってしまった。一昨日は硝子しかいなくて、一日中彼女と一緒にいた気がする。さらにその前となると、彼との時間はありふれた日常の場面しか思い出せない。

「なあなまえ、こっち来て」
「うん」
 思い当たる節がない。すでに悟のそばにはいたものの、ペタ、ペタとスリッパを鳴らし、言われた通りに数歩の距離をつめる。答えを持たないまま、私は彼の足の間に立つ距離までやって来た。
 人を射抜いてしまうような蒼い瞳と近距離で見つめ合う。その間たったの数秒間。そのまま抱きすくめられ、上半身の隙間をなくすように、悟の腕が私の背中全体へと回った。
 すぐに胸板から彼の体温が伝わってくる。二日ぶりの温もりだ。ゆっくりとした動作でありながら、あまりの力強さに足裏が床から離れて重心を失いかけるが、彼は広い身体で体重ごと私を受け止めてくれる。そして、押さえつけられるように寄せた耳元で囁かれた。
「いつになったら俺に全部くれるの」
 ボッと顔に熱が集まる。体温が一度くらい急上昇した気がした。私も彼の言葉が何を意味するのか分からないような乙女ではない。
「誕生日に期待してたんだけど、俺」
 催促するように、ゆらゆらと私の体ごと彼は上半身を揺する。
 私もささやかな抵抗として、頭をぐりぐりと押し付けてみる。効果はあまりないようだが。
「私、悟の期待に応えられるような身体じゃないよ。……経験もないし」
「知ってる。それでもなまえからいいよって言ってほしい」
「じゃあいいよ、しよ。して」
 少しだけ力を緩めてくれた彼の腕の隙を縫って、私も自分の腕を彼の背に回した。



「明日、ってかもう今日か。任務は」
「なにもないよ」
 くちびる以外にも目もとやほっぺ、首筋に胸の際どいところまで。今夜の悟は至るところにキスを落としてくれる。くすぐったくて、仕方がない。
「ねえ、だいぶ慣れてきた」
「ん、多分」
 そう言いながらも、毛布のなかで緩やかに膣内を擦る三本の指の動きに、私は腰を引いてしまう。善がるほどの気持ち良さはない。でも気持ちよくない訳でもない。なんというか普段の彼の姿からは想像がつかないほど、悟は時間をかけて私をほぐしてくれた。私にはそれがなにより嬉しかった。
「そろそろ挿れたい」
「うん、来て」
 それを合図に彼は身体を起こし、支度を整える。かなり前からお互い素っ裸になっていたが、一体どこに避妊具を隠し持っていたのだろうか。疑問は残るが、今はそれどころではない。
 薄暗闇のなか、下半身にあった毛布を彼が取っ払うと、昂っていた身体が物理的に冷やされた。しかし私の膝の裏を抱える悟の手は確かな熱を持っていて、襞を掻き分け押し込むように入ってきたそれはもっと熱かった。
「わりと大丈夫そう?」
「うん」
 私はまた嘘をつく。押し上げる圧迫感や、散々かき回された指以上の刺激に、本当は涙が出そうだった。それでも求める悟を受け入れてあげられたという気持ちが勝っていて、すでに何物にも代え難い達成感で私は満ちていた。
「そろそろ動いてもいい」
「ん、いいよ。……ひゃっ、あっ、あっ、」
 返事と同時にさらに奥へ奥へと腰を強く打ちつけるものだから、あられもない声を上げてしまう。
 思わず顔を横に背けると、しっかり閉じられていたはずのカーテンが、少しだけ開いてしまっていることに私は気がついた。悟が掛け布団を捲った際に、引っかかってしまったのだろう。
 その隙間から、満月から少し欠けてしまった月が見えた。なぜこれから満ちるものではないと知っているのかというと、悟の誕生日を迎えたばかりの深夜が、満月だったからである。遅いし疲れてるだろうしなんて考えず、一言おめでとうと電話してあげれば、今夜の出来事が前倒しになっていたかもしれない。
「ねえ悟、大好きだよ」
「……なんなの、俺のこと、早くイかそうとしてんの」
「あっ、そんなつもりっ、ないっ」
 いつもの余裕綽々といった彼の姿は、もうそこにはなかった。荒い息を吐き、必要以上に力の入った私に構わず、引き抜いて押し込んでを繰り返す。先程までの私への気遣いは皆無で、自分が快感を得るための強引な動きにかわっていた。
 揺れるカーテンの隙間から一筋、部屋へと差し込む月光が、私に覆いかぶさる悟の後頭部を照らしている。銀色に光る髪の毛一本一本を、美しいと思う余裕もなく、その下で淫らに乱れ、喘ぎ続ける自分。もう全てを隠してしまいたかった。
 私の腰を抱え直そうと悟が動きを止める。その隙にカーテンを引こうと、私は手を伸ばす。だが、それは叶わなかった。
 絡めとるようにしてシーツへと押し戻され、そのまま悟は私に口付けた。すぐに舌が入ってきて、中を翻弄される。覆いかぶさったことによって、さらに奥へと入ってきたそれは、内臓を押し上げるようにして私を犯す。
 もう上も下もどろどろである。もう私だけじゃ、どうにもならなかった。くっついた胸板も手のひらも、互いに汗ばんでいた。



 初めての行為を終えて、身なりを整えた私達は、そのまま一緒に布団へ入った。テキパキと事を進める悟をみて、てっきり自分の部屋へ戻るのものだと思っていたので、衣服を身に付けてすぐ「おいで」と言われたときは驚いた。
 私ひとりでは充分なものの、長身の彼がいる事によってかなり狭くなったベッドで、私達はどうしようもなく身を寄せ合う。
「なまえは気持ち良かった?」
 薄暗闇のなかで彼は私に訊いた。顔にかかった私の前髪を割り梳いているのを見ると、良すぎる目はこんな時でも鮮明に見えているのだと実感する。
「そんな余裕ないくらいに、幸せだった」
 私は答えた。今度は嘘はつかなかった。
「そっか」
 満足そうに私の頭をひと撫でした悟は、横から腕を入れて抱きしめてくれた。彼の身体に、私も身を預ける。そうしているうちに、だんだん微睡んできた。そして二人、朝まで眠った。
月光