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「今日から呪術高専に転入してきた苗字なまえさん。彼女は家の事情で呪術について学びにきただけだから、対呪霊を想定しての体術訓練とかはさせちゃ駄目だよ。式神も上手だしサポートも出来るだろうけど、規約上実戦もなし。あと任務に出るのも見学のみで、僕と一緒の時に限るから、そこんことヨロシク!」
五条先生に続く形で教室に入ってきた彼女は、自らの口を開く前にやたらとハイテンションな教員によって自己紹介を終えられてしまった。
「オラ、なまえも行くぞ」
「!はいっ」
グラウンドへ向かう真希さんの背中を、苗字さんが追いかけるようにして、二人は横に並んだ。
彼女が転校してきてから早数週間。苗字さんは僕と同系統の性格で、平たく言えば控えめで。自分の時と同様、いきなり真希さんから強い言葉を投げかけられるんじゃないかと心配していたが、同性同士なのが幸いしたのか案外上手くやっているようだった。
「真希ちゃん、乙骨くんお疲れさまです。二人とも麦茶とスポーツドリンクどっちにする?」
「私は麦茶」
「僕も麦茶で。ありがとう」
真っ白な細腕から、タオルとともに差し出されたペットボトルを僕達は受け取った。
このように行動は共にするものの、彼女は最初の宣言通り座学以外の授業には全く参加しなかった。身体が悪い訳ではなさそうなので、本当に呪術師の家系の事情というものなのだろう。
「なまえはアレだな。運動部の女子マネって感じだな」
「しゃけ」
ひと足先に木陰で休憩していたパンダくんと狗巻くんが、そんな事を口にする。真希さんもそれに同調していたが、僕以外の三人(二人と一匹)は普通の学校に通ったことがないので、飽くまでもテレビドラマ等の知識だそうだ。僕もリカちゃんがいるので、学園生活の常識については彼らと似通ったもので、あまり知らない。
「あ、さとる先生だ」
苗字さんが呟いた。
みんなで一斉に後ろを振り向くと、ひらひらと大きな手を振りながらグラウンドへ続く階段を降りてくる五条先生がいた。
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「えぇっ!僕が呼びに行くの!?」
今日は五条先生の権限で、武器庫から色んなものを試させてもらえると聞いたから、真希さんとともに待っているのだが——、全然来ない。
先生が待ち合わせ時間ちょうどに到着している事なんて皆無に等しいが、今時刻はその限度も超えてさらには電話にも出ないため、直接部屋を見に行く事になった。というか僕が行かされる事になった。
「伊地知さんの話じゃ、悟のヤツ午前中は上層部のジジィ共に呼ばれてたらしいぜ。機嫌悪ィかもな」
「(そんなぁ〜)」
入れ違いになるといけないという大義名分を掲げた真希さんが残り、僕は五条先生の部屋がある建物までやって来た。学生寮ではないので寮母さんは常駐しておらず、入口でお邪魔しますと声を掛けても返事はない。
外履きからスリッパに履き替えて、共有部を抜けると、突然ドッと呪力が濃くなった。感知が不得手な僕でも、これが先生のものだと判断がつくくらいである。在室中ということはわかったが、威圧感を与えるような重い呪力に、僕は足がすくむ。いつもの嫌がらせかと思っていたが、真希さんの言葉は親切な忠告であった。
敵意とみなしてリカちゃんが反応しないかも心配だったが、僕はなんとか五条先生の部屋の前までやって来た。呼び鈴なんてものはないので、コンコンと入口を叩く。
「……」
心臓はバクバクと鳴り続けているが、反応がないと言うことは、最高潮に不機嫌な先生と対面せずに済んだのだ。真希さんには怒られるだろうが、無視されたと言い訳は出来る。
そう一安心したのが、まさに油断に繋がった。大敵は自身であり、おろした手がドアノブに引っ掛かり、僕は意図せず入り口を開けてしまった。
「……ごっ、五条先生、いらっしゃいますか。乙骨です」
思ったよりも大きな音を立ったため、力無くだが正直に名乗り、僕は室内に呼びかける。
相変わらず無音かと思いきや、中からは人の話し声がする。
ここで引き返せば良かったものの、同級生の女の子しか口にしない「さとる先生」という単語を拾い、好奇心から僕はその場で耳をそば立ててしまった。
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ソファーの上で正座をし、こちらに向き直ったなまえの手を左右それぞれ握って、僕は訊いた。
「この手は誰のためのものなの」
「さとる先生に、尽くすためのものです」
正座をすると黒タイツに覆われているはずの膝部分だけが、やけに肌色に近くなった事に気がついて、僕は思わず手を伸ばしたくなった。
けれど理性を失ってはいない。僕は指を組み替えて、爪先から付け根まで彼女の細い指の存在を一本一本確かめるようになぞる。すると自分以外を優先した悪い子の手が、かすかな震えを抑えようとしているのが分かって、墓穴を掘ってしまったと苦笑しそうになった。
「それは家の教え?それとも、」
「間違いなく私の意志です」
握り返すように力を込めたのは、なまえなりの誠意なのだろう。しかし、僕はそれすら疑わしく思えてしまう。愛に飢えすぎて、ついにおかしくなり始めているのだろうか。
ひとまわりも年下の婚約者を、これだけ必死に追いつめる自身の情けなさを棚に上げて、僕は自分の膝のうえに少女を抱きあげた。背中に手をまわすと、おずおずと彼女も僕の身体に腕を回してくれる。
「とりあえず僕と二人の時に先生はやめて」
「……じゃあ、さとるさんで良いですか」
「うん」
いたいけな少女であるなまえが、間違いなく自分の所有物であることを、僕は定期的に確認したくなるのだ。
憂太が訪ねて来ている事には気付いていたが、もうしばらくこのままで居ることにした。
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頭の中で、五条先生を連れてこられなかった言い訳の練習をしながら元の場所へ戻ると、一汗かいた真希さんもタイミング良く(悪く?)戻ってきたところだった。知らぬ間に、僕は酷い裏切りに遭っていたようである。
だが、ひとつの悪びれもなく彼女は僕に問う。
「悟は?」
「その、居たみたいなんだけど、来客中で」
「なまえか?」
「!」
あれだけシミュレーションを重ねたのに、オブラートに包めないまま、僕は自分が知ってしまった事実そのままを、真希さんに話してしまった。
しかし彼女は顔色ひとつ変えず、当たり前のことだと言うように言葉を続ける。
「高専に呪術だけ学びに来たっていうのも、なまえの家の事情じゃなくて、悟の家の事情だろ」
「えっ、」
「まあアレだ。嫁入り前の大事な身体になんかあったら、いくらお前でも首が飛ぶぞ、って事だよ」
真希さんは親指でそのジェスチャーをして、カラカラといつものように笑うのだった。