私にとっては、就寝前の至福のひとときというもので。
 深く沈んだソファーにすっかり背を預け、イヤホンをはめて外に漏れぬよう音楽を聴きながら、SNSに目を通す。知人の一人もいない厳選された空間であるからこそ、羨む気持ちはあれどそれは憧れに近く、嫉妬とはまた違った方向のどうしようもない感情である。
 現代社会において何かと問題視されるSNSだが、私は綺麗でお洒落な人や物を眺めているだけで、現在自分が置かれている労働基準法からかけ離れた勤務状況や、呪いや祓除といった疲れ切った日常から切り離されて(俗に現実逃避ともいう。)……とにかく心も満たされていくのだから、上手く付き合えているのではないだろうか。時間の無駄遣い?誰にも文句は言わせない。
「なまえ、——、」
「?」
「おーい」
「あっ、ごめん」
 左耳だけイヤホンを外し、慌ててそばにあった眼鏡を掛ける。普段はコンタクトレンズをしているが、就寝にむけて入浴後に外していたのだ。
 近視がすすみ、今じゃ近くにしか焦点が合わず、昔と比べてずいぶんと悪くなったまま固定してしまったが、レンズさえ入れば一メートルほど先の彼の表情までしっかり読み取れる。指紋がついてしまって、特別整った顔も一部分白く濁っているが、それはご愛嬌ということで。
「イヤホンしてたんだ。髪の毛で隠れてたから」
「うん、ごめんね」
 私よりもずっとよく視える特別な目があっても、改良が進みいよいよワイヤレスになった小型機器までは、認識されなかったようである。私も悪意をもって無視を決めこんでいたつもりはなかったので、とりあえずもう一回謝っておいた。
「なに聴いてたの」
 近くまでやって来た悟はドライヤーを終えたばかりなのか、頭全体がふんわりと広がっている。その柔らかな髪に手を伸ばして触れたいと思った。
 だけど、前髪の隙間から私を見下ろす瞳は、何だかちょっぴり冷たい気がする。だから止めた。
「最新のJ-popの詰め合わせみたいなの。それより何か用だった」
「別に大したことじゃないから。なまえは続き、戻ってね」
 そう告げて彼はキッチンへと踵を返す。経験上、追いかけた方が良い事は分かっていたが、本来の用事やその先に求めている事まで、夜も更けてきたせいか思考が回っていかない。
 僅かなノイズを響かせ続ける白い電子機器を、私は耳の穴に戻すことにした。何かと理由をつけても、結局は面倒くささが勝ったのだ。



 それから二曲ほど過ぎて、再び画面のスクロールに勤しみ、先ほどの出来事がすっぽりと抜け落ちかけた頃。突然悟は戻ってきて、肩と肩が触れ合う距離でピッタリと私の隣に腰掛けた。
 何事かと顔を向ければ、視線は下方向、彼のものである手元の液晶にある。何も言わないし、こっちを向きもしない。
 ここでようやく私は、必要以上に彼の機嫌を損ねたことを確信した。あそこで両方イヤホンを取って彼を優先させなかった事が、追い討ちをかけたに違いない。
 なんて自分本位なのだろうと思いつつも、こんな部分も含め愛してしまっているのだから、自分の方がよっぽどタチが悪い。
 横から盗み見た画面は、ネットニュースだった。同じ機種であるはずなのに、私とじゃ手の大きさが違いすぎるので、彼は容易に片手でそれを操作している。しかし指の動きからして、多分まともに読んでいない。
 時間帯的に良い感じに眠気も来ていたので、私もそろそろ寝室へ行きたいのだが、悟をこのままにしていくのもなあと思いつつ。一緒に寝ようと誘ったところで、眠いのにベッドへ入ってからチクチク言われるのもなあ、と。
 両天秤にかけるが、違う選択肢を探したいという結論に辿り着く。吐きかけた溜息を飲み込むと、それはとても重かった。

 タイミングが良いのか悪いのか。ちょうどそこで曲が切り替わる。イントロがなく、いきなり低い歌声から始まり、冒頭の癖になるリズムを刻むあの曲だ。最初のワンフレーズだけで、曲と題名が一致する。
 最近はテレビ放送を見る機会も減り、動画配信サービスばかりになってしまって、歌番組なんてかれこれ数ヶ月以上見ていない。だがこれは、その隙間で流れるCMでもよく聴いた去年の曲である。
 今の気分ではないが、曲の印象として爽やかなので個人的にはすごく好きだ。年齢を重ね、ここ数年の新曲は知らないものも沢山あるが、頭の中で歌詞も追いついてくる。
 今日みたいに、適当に選んだプレイリストの中にも多数含まれていて、意識せずともそれだけ耳にしていたのだろう。……閃いた。
 音楽は絶えず流れ続けているが、この部分なら私でも口ずさめる。サビ前だが、アップテンポな曲のためあっという間だ。
 私はとても分かりやすいご機嫌取りに走ることにした。


あれほど生きてきたけど 全ては夢みたい
「あれもこれも 魅力的でも私は君がいい」


 ——♪って。少しだけ音程がずれたかもしれない。
 俯き加減のまま、小声でワンフレーズだけ歌ってみた。曲はそのままサビへと突入している。
 触れていた肩が離れたと思った時には、もう両耳ともイヤホンが外されていた。ニッコリと微笑んだ彼が正面にいる。
「僕もだよ」
 彼は言った。


 I respect the song Kirari
  by Fujii Kaze.
きらり