なまえを高専に編入させてからは、必然的に留守がちになる部屋の管理を兼ねて、いつでも自由に出入りして良いと、伝えてはいたが。僕が帰ってきたときに、彼女がたまたま部屋に居合わせる偶然は、初めての事だった。
 さらにソファーで身体を丸めて眠る姿なんてものは、僕と居るときはいつも気を張っているなまえが、普段は絶対に晒さない一面で。制服姿のまま横になっているところも、気の抜けた寝顔も、こんな真昼間からは見たことがなかった。
 昨晩のうちに、明日くらいには帰れそうと連絡したので、掃除にでも来てくれていたのだろうか。なまえはお利口さんだ。きっと家からは、何よりも優先して僕に尽くすよう言いつけられているので、それを忠実に守っている。
 けれど僕が望む尽くすという言葉は、彼女が思うよりもずっと、愛すると同等の意味を持っている。相手のことを想い、慈しみ、それを体現する。
 僕は世話を焼かせるために、彼女を高専へ呼んだ訳ではない。少しでも長い時間そばに置きたいから、家から連れ出したのだ。

 僕はその場にしゃがんで、彼女ほっぺたに掛かる邪魔な髪の毛を払いのける。薄く開いている唇に引き寄せられつつも、頬の一番柔らかい場所に口づけを落とした。
 帰ってくるたびに、数週間単位で会えないたびに、全部の場所へ連れて行ければと毎回思う。
 顔を離すと僕の眼下で、なまえは焦点が合わないまま重い瞬きを繰り返していた。
「……さとる、先生?」
「ただいま」
 ここでは悟さんでしょ、と喉から出かかった言葉を飲み込み、僕は腕を広げる。
 寝起きの頭でも、僕が何をどう欲しているのか、彼女はなんとなくでわかっているのだろう。ようやく意識がはっきりしてきたなまえは、僕の声の方を向き、ふにゃっと蕩けそうな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
 言葉とともに、ゆっくりとした動作で伸ばされた腕よりも先に、焦れた僕がなまえに覆いかぶさる。
 ソファーに沈んだ身体の下にも腕をまわし、小さな躯体をぎゅっという効果音がつきそうなくらい強く抱きしめた。
Buck moon