実家に行く用事が出来たので、旅のお供としてなまえも連れていくことにした。

「真希と棘は今から任務。詳細は伊地知に聞いて。パンダと憂太は昼から学長の手伝い。それまでは自習でもしといて。なまえは僕と霊験あらたかなお札の回収。三十分後には出発だから。——それじゃあ各自解散!」
 個性あふれる生徒達の反応を眺めつつ、教卓に背を向けて歩きだすと、ちょこちょこと小さな歩幅でなまえだけが僕のあとを追ってきた。
「さとる先生、お札の回収ってどこまで行くんですか」
「僕の実家。行って帰ってくるだけの予定だけど、なんやかんや言われるだろうし、夕飯ぐらいまでは居るつもりでいてくれる?」
「えっと、お着物の方がいいですか」
「どうして?」
 聞いてみると例え僕の用事の付き添いであっても、婚約者である自分が相手方の実家へ顔を出すというのは、彼女なりに大きな意味を持っているようだった。まだ少女の身であるがゆえ、いつもは向こうの家から準備万端で送り出されてくるので、手土産も用意していないしと、慌てふためいている。
「僕の部屋にいくつか菓子折りがあったはずだから、何か適当に持っていくよ」
 なまえの為にと買ってきた、箱菓子の山を僕は思い出す。結局僕と一緒の時にしか食べないので、部屋の一角は土産物が溜まる一方なのだ。
「でもっ、それはさとる先生が——」
 引き下がらない彼女の言葉を遮るように、僕は足を止めた。小走りで僕に合わせようとしている少女がいじらしくて、ついそのまま歩き続けてしまったが、残念ながらしばしのお別れである。
「それと制服のままで構わない。三十分後、いつもの談話室の前で待ってて。迎えに行くから」
「……はい、わかりました」



「ん?どうしたの?」
「緊張して」
 私用のため、公共交通機関での移動中は二人っきりだったにもかかわらず、隣に座ってもこれでもかと言うくらい生徒と教師の距離感を保つなまえだったが、迎えの車を降りて屋敷を前にした途端、僕のシャツを掴んできた。
 過去に向こうの両親と来たときも僕が連れて帰ったときも、なまえは毎回嫌でも家の者の視線を集めた。だから彼女が身体を強張らせる理由とは、まるで何かの品評会のように、僕の婚約者である女がいかほどの者かという好奇と査定の目の事を言っているのだろう。
「大丈夫だよ。挨拶だけ済んだら、離れに居られるようにしてあるから」
 先になまえの方が弱音を吐くとは思わなかったが、こうなることがある程度予想出来ていたので、彼女を連れていくと決めた時から手筈を整えてあった。さすがの僕も、他人の感情まではコントロール出来ない。力による支配の方がよっぽど簡単だ。
 袖口を摘む彼女の指先を外して、僕の腕に回すよう誘導する。合わない歩幅で手を引かれて歩くよりも、こちらの方が良いだろう。
「……さとるさんと一緒に居たいです。ダメですか」
 目線を下げると、僕の二の腕をキュッと握るなまえは、眉を寄せ口先を尖らせて、駄々をこねる子どものような表情をしていた。心なしか目元も少し潤んでいるような気がする。
 けれどこの子は賢い。僕の意に沿わない事を言っている自覚があるのだろう。
「ダメじゃないけど、埃っぽい蔵へ話の長いじいさん達と行くだけだから、つまんないと思うよ。あと秘伝書とかもある場所だから、蔵の中までなまえを連れていけないかもしれない」
「……そうだったんですね。勝手なこと言ってごめんなさい」
「すぐに終わらせてくるよ」
 さらにしゅんとしてしまった少女を見ると若干胸が痛んだ。それでも高専をすぐにでも辞めさせて、彼女を五条家の人間にしてしまうことなど、僕にとっては造作もないことなのにと、反発心も残った。



「あー伊地知?今例のお札取りに実家来てるんだけどさあ、なまえが熱出しちゃって、高専へ帰るの明日の昼以降になりそうなんだよね。 え?それはオマエから学長に言っといてよ。そっちが勝手に予定入れたんだから。 置いて戻ってこいって?そんな鬼みたいなこと、優しい僕が出来る訳ないでしょ。じゃあ、あとはよろしく」
 思いもしなかったが、僕と離れたあと見兼ねた女中が茶菓子とともに体温計を持ってきたところ、なまえの体温はすでに三十八度を超えていたそうだ。すぐに医者にも診せたが、喉も首も腫れていないので、子どもの知恵熱のようなものだと言っていた。解熱剤も飲ませたので、寝て起きたら多分下がっているだろう。
「気分はどう?」
 電話を終えて部屋に戻ると、無理やり着替えさせられた浴衣姿のまま、なまえが布団を這い出てきた。
「すみません、さとるさんや五条家のみなさんの手を煩わせてしまって。熱があった自覚もなかったしお薬も貰ったので、私全然このまま帰れます。それか、お忙しいさとるさんだけでも先に——」
 少女の身体を布団へと押し戻して、おでこを合わせると、確かに平常時よりも幾分か火照っている気がする。顔を寄せたついでにキスもしといたが、いつも潤いたっぷりの彼女の唇も、熱で水分を奪われたせいか乾燥でカサカサしていた。これで自覚がないは、明らかな強がりである。
「明日熱が下がったのを確認して、一緒に帰ろう。僕もずっと休みがなかったから、一晩くらいゆっくりしていってもバチは当たらないよ」
「……本当にごめんなさい」
「全然いーよ」
 さっさと帰るつもりだったので、目的の札を回収した今、もうこの家にはこれといった用事はない。わざわざ母屋に顔を出して自分から疲労を溜めたくもないので、僕もなまえの隣に寝転んで目を伏せた。
 すると間髪を置かずに、頬に柔らかいものが当たった。ああ、きっとなまえの唇だ。
 そのまま腕の方から布団の中へ引き摺り込もうとしてくるので、僕は彼女の身体ごと腕の中へ閉じ込めてやった。
Hunter's moon