かつてないほど辺境の地へ任務に出されたという真希さんのお土産を頂きつつ、僕達は教室で始業前のひとときを過ごしていた。
「——でさあ、本当参るわぁ」
「それは大変だったね」
「すじこ」
 眉を下げて笑う苗字さんの机に、横向きで腰掛けた真希さんは、分かりやすく溜息を吐く。
 僕はというと、手に取った個包装のお饅頭の袋を切るも、大きく口を開けたパンダくんが視界に入る位置で待機していたので、仕方なくそこに放り込んだ。ここに居座られる限り、永遠に僕の口にお土産の菓子が入ることはないだろう。
「ったく、キノコの判別なんて素人に出来るかっつーの。……でもあんなに美味い蕎麦食ったの初めてだったよ」
「水が綺麗なところの蕎麦って美味いらしいな。俺パンダだからよく知らねぇけど」
「へぇ、僕もよく知らないけど湧き水とか使ってるのかなあ」
「私もよく知らねぇけど、蕎麦屋の頑固じじいが水の硬度がどうこう屁理屈言ってたわ。こだわりの強い蕎麦屋って絶対山奥に店構えてる——、」
「みんな、さとる先生来るよ」
 真希さんの言葉を遮るまでして呟かれた台詞の五秒後、苗字さんの予告どおり教室のドアが勢いよく開かれ、五条先生は現れた。今日は約三分の遅刻である。菓子箱の片付けは間に合わなかったものの、苗字さんだけは背筋を伸ばしてきちんと着席していた。

 各生徒に指示を与えると、五条先生は書類整理の手伝いという名目で、任務も訓練も振られていない苗字さんを連れて教室を出て行った。仕方のないことだが、毎回雑用ばかり押しつけられる彼女を気の毒に思う。
「ったく、遅れてくるならもっと潔く盛大にかませよな。あの馬鹿目隠し」
 最近は僕達も、先生の遅刻を見越して行動するようになった。集合時間の直近に来て、頻繁にさっきのようなことをしている。
 土産の菓子箱をつぶしたあと、最後のひとつとなったお饅頭を真希さんは口の中へと放り込んだ。五つ入りだったので、二つ食べたのは一体誰だったのだろう。土産会もこれにてお開きの雰囲気だ。
 それにしても、先程の出来事もそうだが、苗字さんはいつも誰よりも早く先生の来訪に気付く。
「ねぇ、呪力感知がザルって言われてる僕が聞くのもなんだけど、五条先生の呪力ってそんなに分かるものなの」
 返答がないので周囲を見まわすと、僕の質問に対し三人(二人と一匹)はポカンと口を開けていた。 
「何を今さら。なまえは特別だろ」
「どっからどう見ても、悟の残穢べったりじゃねぇか」
「頭のてっぺんから足の先までな」
「しゃけ」
「!!」
「あ、そっちのクッキーは食ってねえなまえの分だからな」
 真希さんは二枚入りの砂糖がたっぷりまぶされたクッキーの袋を摘んで、苗字さんの机の中へと放り込んだ。



「さとる先生、執務室へは行かないんですか」
 いつまで経っても健気で可愛らしいのは、僕の婚約者であるなまえだ。細く小さな足で懸命に僕のあとをついてくる彼女は、毎度のことながら先刻の指示を言葉どおりに受け取っているようである。あんなのなまえだけを連れ出す、ただの口実だ。
「どこでしても一緒だから部屋でする。お土産のチーズケーキが冷蔵庫にあるから、コーヒー淹れてくれる?」
「はい、もちろんです!」
「あ、でも真希のお土産食べてたから今はお腹いっぱい?」
 僕はそばに置くためになまえを高専に呼んだので、例え同級生であろうと自分の知らないところで彼女が他の人間に懐くのは、正直面白くない。今度からは嫌がらせのように、五分前に教室へ赴いてやろうかという考えがふと過ぎる。僕は歩く速度を緩め、数歩後ろの彼女の表情をうかがった。
「お饅頭をひとつ頂いただけなので……、私もさとる先生と一緒にチーズケーキ食べたいです」
 思わず自分が苦笑いしそうになった。それを誤魔化しつつ、目尻を下げて柔らかく笑う少女があまりにも愛おしかったので、今はめいいっぱい頭を撫でてやった。
Cold moon