「あ」
「どうした?」
 校舎を出るところで突然立ち止まったなまえに、五条は尋ねる。最初彼女はなんでもないと首を横に振ったのだが、一度足を止めてしまったことで誤魔化しきれないと踏んだのだろう。大したことじゃないと前置きをし、少女は言葉を続けた。
「教室にマフラー忘れたみたい。もうここまで来ちゃったし明日でいいや」
 なまえはそれだけ告げて、彼を促すように再び歩き出す。木枯らしが吹いたのは一週間ほど前のことだった。陽射しが差しこむ暖かい教室とは一転し、昇降口からは冷たい北風が吹き抜ける。
「わっ、」
「貸してやるよ」
 自身が巻いていたものを解き、五条はそれをなまえの首に二重に巻きつけた。
 毛糸に埋もれた彼女が、顔を上げた時にはもう彼は歩み始めていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」



 任務から無事帰ってきた二人の足取りは軽く、高専の結界内まであと少し。長い足を存分に生かし、一段飛ばしで上がる五条を追いかけるようにして、なまえもあとに続いていた。
「さっみー!」
「おでん楽しみだね!」
「これで不味かったらアイツら殴る」
「それより、ポケットに手いれてると危ないよ。石段滑りやすいし」
「……じゃあ、つないでくれる?」
 彼女の数段先で立ち止まった五条は後ろを振り返り、左手を差し出した。キョトンとしていたなまえだったが、数秒後には赤面し、しどろもどろな言葉を返す。
 しかし、それを待ってやる義理は彼にはない。奪い去るようにして、五条はなまえの右手をとった。そして、それぞれの指の間に自身を割り込ませ、彼女ごと引っ張りあげる。
「ほら、行くぞ」
「わっ、浮いてる!」
 ポケットのなかにあった五条の手は、外気にさらされていたなまえのものより暖かかった。彼が転んで地べたに頭を打ちつける心配など、彼女は万に一つもする必要がなかったのだ。



 セダンの後部座席には、長身の男子生徒二人と女子生徒一人が詰め込まれていた。かなり窮屈ではあったが、助手席にレスラー体型の成人男性が乗り込んできたのだから仕方がない。
 ただでさえ肩が触れ合う距離の生徒達は普段からとても仲が良く、強制されなくともこのくらいの距離感で過ごしていることもある。しかし今に限っては誰も一言も話さないため、車内には妙な空気が漂っていた。
 そのうえ車は山道を走っていたので、カーブのたび後部座席の三人は右に左に遠心力で身体を傾けており、それがさらに一生徒——主に五条悟の癇に障っているようであった。
「おおっと」
「ごめ、っん」
 必然的に真ん中に座らされたなまえが前のめり、勢いあまって夏油の方へ倒れてしまう。野生の動物が道路を横切ったらしく、運転手が曲がり角で急ブレーキを踏んだのだ。
「ったく、もっと体幹を鍛えろ」
「私は全然凭れてもらって構わないよ。悟もうるさいし、もっとこっちにおいで」
 不貞腐れたように反対側の五条から非難の声があがるものの、夏油はそれを意に介さず隣のなまえに微笑みかける。そして彼女の肩に手を回そうとしたのだが、すんでのところで見えない何かに阻まれた。けれど、ここにいる全員がその正体を知っている。
 夏油が気付いたときには、五条はなまえの背中から腰回りに腕を回し、自分の方へと抱き寄せていた。
「危ねーから俺がこうしてる」



「なまえ、なんか目の下ついてる」
「え、なんだろ」
 たわいもない会話の途中だった。五条となまえ二人きりの教室は、夕焼け色に染まっていた。
「取ってやるから、目つむってろ」
 言われた通りなまえがまぶたを下ろすと、間もなくして彼女の唇に柔らかいものが触れる。勘違いかと思うほど短い時間で一度はすぐに離れたのだが、角度を変えて今度は押しつけられようにされる。
 それには思わずなまえも目を開ける。すると至近距離に白い睫毛を伏せた五条がいた。
 力の入らない手で彼女は彼を押した。けれどもあっけなく絡めとられて、結局三十分近くなまえは五条の良いようにされた。
「いや、思わず。キス待ちしてるのかと思って」



「後輩達、これが悟のやり口だよ」
 うとうとと夢と現実の狭間で舟を漕いでいるなまえを抱きかかえた五条を指差し、夏油は言った。
 今夜高専の寮の一室では、一年二年合同で鍋を囲みながらの忘年会が開催されていた。
「なまえは責任を持って俺が介抱するから、今晩は全員絶対俺の部屋には近付くなよ」
 周囲に釘を刺し、五条はなまえだけを連れて場をあとにするのだった。
Someday in the Chilly day