ジリリ、ジリリと叩き起こすような音で部屋の電話が鳴る。かなり深く眠ったのか、目を開けたときの見慣れない景色に、一瞬どこにいるのかが思い出せなかった。
 布団の中から腕を伸ばして受話器をあげると、内容は中居さんから朝食の確認で。当初の予定通り指定時間に運んでもらうよう、僕の口から伝える。
 十分後に伺うと電話を切られたので、起き抜けでポーッとしているなまえの身なりを整え、自身は洗面所へと向かった。

「あら、これからお出かけですか」
「ええ。法事の前に、せっかくなんで少しだけ観光に」
 制服をすっぽりと覆い隠すロングコートを羽織ったなまえとともに廊下を歩いていると、先ほど朝食の支度に来た女将さんから声を掛けられた。
 いくら婚約者とはいえ、さすがに同室へ未成年の少女とは泊まれないので、今回彼女は僕の妹の五条なまえと偽り記帳している。
 少女は嘘が下手なことを自覚しているのか、とっさに僕の背へと隠れた。もう一泊する予定なので、余計な詮索をされないに越したことはない。
 旅館を出発し西へ向かって歩みだすと、朝の時間帯だというのに僕らのような観光客と思われる人間の姿がちらほらとあった。さらに進み、旅館街を抜けて古い街並みへ出ると一気に人の群れが濃くなる。
 僕が左手を差し出すと、なまえはすぐに自身の右手をそこに重ねた。
「先にお土産買っとく?それか言ってたフルーツ大福の店目指す?」
「昨日さとるさんが教えてくださったアイスクリーム屋さんは良かったですか」
「あー…今朝は冷えたし気分じゃなくなったからいいや」
「じゃあ、お土産屋さんに行きたいです」
 無垢な瞳ではあるが、この子は僕が知る以上に、自分よりも他人を優先して生きているのだろう。
 クラスメイトに配るための土産なんてさっさと選んで、ほんの些細なことであっても彼女の願望をひとつでも多く、僕が叶えてやりたいと思った。



「終わったよ」
「おつかれさまです」
 部屋の扉を引くと、真っ直ぐ正面に正座したなまえが僕を出迎えた。部屋の中央には一枚だけ座布団が残っており、今はもう消されているがテレビでも見て時間をつぶしていたのだろう。ただの気配の感知のみなら、彼女の方が多分上手である。
 伝えたのは旅館へ戻って迎えの車が来る直前であったが、昨日の呪霊への怯え方を見て、今日は置いていくとはじめから決めていた。
 余計に気落ちさせてしまうかとも思ったが、なまえは落胆とも安堵ともとれる複雑な表情を浮かべた。目的地は遊郭跡地であり、少女にゴネられたところで連れて行きたくないのが本音であったため、理由の説明後あっさりと引き下がった事には安心した。
「夕食何時からだっけ?」
「19時です」
「じゃあ先に風呂にしようかな。時間も早いし大浴場行く?」
「私はお部屋のお風呂で大丈夫です。お気になさらず行ってきてください」
「あっそう?」
 一緒に大浴場へ行ったところで男女別々の湯であるため、一人で行こうが二人で行こうが結果は同じである。なので僕だけ部屋を出て、広々と入れる風呂を満喫することにした。

 昨晩は抱いた流れで、そのまま同じ布団で眠ったが、今夜は少し隙間を空けて敷かれた二組の布団にそれぞれ入る。会えない時間の方が圧倒的に多いだけで、別に共に過ごす毎晩毎回なまえを求め、身体を重ねている訳ではない。
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
 その言葉のあと、多分僕はすぐに意識を手放した。
 それからどのくらいの時間が経過していたのか。はっきりとは分からなかったが夜中ふと、鼻を啜る音が聞こえて僕は目を開けた。ここに呪霊の気配はないため、無論なまえだ。
 身体を起こしてとなりを覗き見ると、少女は頭まで毛布をすっぽりと被り、そのなかで身体を丸めているようであった。
「なんで泣いてるの?」
「っ、……」
「なまえ」
 布団を捲ろうと手を伸ばすと、それを拒否するかたちで内側から力が加わった。
「……起こしてしまって、ごめっ…なさい」
「怒ってるんじゃない、僕は理由を聞いているだけ」
 敵意がないことを伝えるため、毛布のうえから少女の背中を撫でる。すると顔を見せてはくれなかったが、なまえは途切れとぎれに自分で言葉をつむいだ。
「せっかく、連れてきてもらった、のに……グスッ。何もお役に立てない……から、すごくっ、申し訳なくて……!」
「昨日も言ったけど、今回はそういうつもりじゃなくて——」
「任務のお留守番は……、わかってます。だけどお風呂も、さとるさん……大浴場へ……ヒクッ。それに、別々のお布団に入ったから、私っ、あきれられて——」
 指先で毛布をつまむと、今度はいとも簡単に小さな頭が姿を見せた。けれども顔は伏せたままであり、振り向いてほしくて僕は少女の耳元で囁く。
「もしかしてシたかったの?」
「そういう訳じゃ、ないですけど……」
「じゃあ今から朝まで一緒に寝よ。いれて」
 彼女の返事も聞かないまま、僕はなまえのいる布団に潜り込んだ。無理矢理こっちを向かせることなど容易に出来てしまうが、あえてその格好のまま、自分の方へ引き寄せた。
「あのね、僕はオマエと少しでも一緒に居たいから連れてきたんだよ」
 今さら顔を上げてこようとしたところで、僕の方が今の表情をなまえに見られたくない。
 どれだけ隙間なく引っついて眠っても、高専の部屋の寝具とは違い、足か肩が掛け布団から出てしまうのだが、それはそれで構わなかった。
Crescent moon C