初冬の某日。五条先生と任務に出たという苗字さんが登校してきたことにより、一週間ぶりにクラスメイト全員が教室にそろった。
 彼女の家と高専との間で交わされた規約とやらで、他の誰かがいなくても苗字さんだけは必ず着席しているという状況が、僕らにとっては当たり前であった。そのため彼女が任務で欠席だと聞いたときにはかなり驚いたが、五条先生が一緒だと知って納得がいった。
「みんなから貰ってばかりで、私何も返せてなくて。いつも本当にありがとう。これが私からで、こっちがさとる先生から預かったもので——」
 彼女の細い指が、個包装の菓子ひとつひとつを丁寧に箱から取り出し、全員に手渡していく。受け取る際にそんなことはないと否定してみたが、彼女はさらに首を横に振った。
 いつもの流れだと、ここから任務に出ていたそれぞれの土産話が始まるのだが、今日の担当が五条先生でないことは分かっているため、時計を見て菓子は話とともに、あとで頂くことになった。
「ちょっとは祓えたか?」
「最終日に御膳立てしてもらって、なんとか一体だけ」
「そっか」
 始業直前の真希さんの質問に対し、苗字さんは苦い顔をして笑って答えていた。それでも女の子同士で通ずるものがあるのか、いつもなら怒りだしそうな真希さんの表情も、今日はなぜか柔らかかった。



 午後からは各自課題が振り当てられ、昼食後みんなそれぞれの場所へと散っていった。僕は校内での体力づくりを命じられたので、室内で筋トレ後、グラウンドを限界近くまで走ることにした。
 最初は呆然とリカちゃんの呪いことを考えていたのだと思う。その次に、初めて行った真希さんとの小学校の任務のことを思い出した。それを皮切りに、狗巻くん、パンダくん、苗字さん、最後に五条先生と、それまでの人生を押しのけるように、高専に転入してからの慌ただしい日常が頭を駆け巡る。
 それが僕にとって、生涯のかけがえのない日々となっていたことに気付いた頃には、かなり日も傾いており、身体は砂の上に倒れ込んでしまいたいほど疲弊していた。吐く息も白い。もう十分だ。僕は息を整え、冷える前に室内へと引き上げることにした。

 くたくたの身体に鞭を打ちつつ、寮の部屋へと戻る途中。建物の角を曲がると、燃ゆる夕日の奥に見覚えのある大きなシルエットが伸びていた。留守だと聞いていたが、容量のある鞄やいくつか紙袋を持っているので、今しがた戻ってきたばかりのようである。
 大声を出せば届かない距離ではないため、僕は肺いっぱいに息を吸う。話したいこともあったし、土産のお礼も伝えたかった。
「せん、——」
 しかし、隣にもうひとつ人影が駆け寄ったことにより、僕の声は再び体内へと飲み込まれることになる。
 荷物を持ちかえた大きな手は、そばまで来た小さな影の頭を撫でた。そして大きな影が身を屈めると、二人の影が重なった。
 僕が見たのはそこまでだった。





 クラスメイトとの日常を、嬉しそうに話す横顔を可愛らしいと思う反面、独り占めしたくなるような醜い感情も同時に湧きあがる。
 抱き合う時のなまえの泣き出しそうな顔を見ると、幸せそうに笑う顔が見たいと思う気持ちと同時に、もっと酷くして涙を流すまでやってやろうという矛盾が成立してしまう。
 閉じ込めておきたいのに、連れ出してやりたい。優しくしてあげたいのに、泣かせてやりたい。
 彼女といると、今の自分の本心がどこにあるのか分からなくなる時がある。

「——さとる先生、もうすぐ東京駅です」
 肩を揺すられて、自分が眠っていたことに気付いた。車内では聞き慣れたメロディと、降車の準備をすすめる人のざわめきが不協和音を奏でている。
「……ねえ、なまえ。また今回と同じようなスケジュールでも、僕と来たいと思う?」
 寝起きでなければ、多分こんなことは聞かなかっただろう。結局昨晩は、腕のなかに閉じ込めて眠っただけで、僕の言葉に対する返事は彼女の口から出なかった。
 けれどアイマスク越しに少女へ目をやると、その顔は僕が想像していたどんなものとも違っていた。
「もちろんです。高専に居る時だけじゃなくて、私もさとるさんともっと一緒に時間を過ごしたいです」
「そっかぁ」
 長旅で凝り固まった肩をほぐすように、僕は腕を天井へと伸ばした。
Crescent moon D