神隠しにより行方不明者が多発しているという村の任務に、準一級に上がったばかりのなまえが割り当てられ、高専を出発したのは二日前の出来事だった。
 呪術界とは人手不足が常の業界であり、とにかく人員の確保に時間と手間が掛かる。だが、今回の出張先が僻地かつ彼女が学生であることも踏まえ、女の二級術師と補助監督という手厚い待遇で、なまえは祓除へ向かった。携帯依存気味の彼女が、任務よりも山奥通信電波の状況を心配をしていて、額を小突いてやったことも記憶に新しい。
 まあ神隠しなんて言葉が使われているものの、報告書によるとすでに現地の窓複数人によって一体のみ、とある神社跡へと続く呪霊の残穢がはっきりと確認されている。そのうえ出没範囲も狭く、気配から二級程度と推測されているため、今のなまえならばサクッと行ってサクッと祓って帰ってくるだろうと俺も周囲も思っていた。

 補助監督から定時連絡が途絶えたのは、二日目の夕方からだったらしい。なんせ山奥であるため、早朝に出発したところでとにかく移動に時間がかかる。なまえ達の予定として一日目は最寄駅に到着後、日があるうちに現地を軽く下見してから宿に向かってそこで一泊し、二日目が本命だったそうだ。
 俺のところになまえからメールが来たのは、新幹線で弁当を食ってるという、一昨日の昼前の連絡が最後であった。彼女の心配した通り携帯の電波は届かなかったらしく、一日目の夕方になまえが宿泊先の固定電話から現地視察の報告を担任へしている。
 その後、二日目の夕方に補助監督より呪霊の出没条件が日が落ちてからだと判明して、今から祓いに行くという内容で定時連絡が入っており、それが彼女達の最後の記録となった。
 それからすでに事が起こったであろう三日目の朝になって、三人が昨夜から戻らないと、民宿から予期せぬ形で高専に一報が入った。宿主はある程度事情を知っているので、警察ではなくまず高専に電話をいれたそうだ。……間違いではないが、判断が遅すぎる。

 任務を引き継ぐことになった俺が、高専を出発したのが午前十一時過ぎ。新幹線に乗車した頃には再度現地調査が済んでおり、事前報告にあったものと残穢は変わらないらしい。だから三名についても遭難や誘拐の可能性は低く、ほぼ呪霊の仕業で間違いないとのことだった。
 何度か乗り継いだ先の車窓に肘を置き、完全に日が落ちた山々を眺める。こんな風に、のんきに過ごしていてもなまえ達が行方不明になってから、すでにもう二十四時間が経過してしまっている。ただの遭難でも相当厳しいものがあるが、生存確率と問われれば、どれだけ高く見積もったとしても一桁以下で間違い無いだろう。
 変わらない風景に、俺は目蓋を伏せた。



 駅を出て、高専関係者だという窓の人間に車で集落まで送ってもらったところまでは、きっと最短ルートを通ったはずだ。しかし夜も更けた時間帯の山奥というだけあって、残穢が途絶えたという神社への案内は、地元の人間に頼むより他なかった。
 窓の人間と共に、とある民家の和室に通されてから約十五分後。なまえ達の宿泊していた旅館から依頼を受けたであろう中肉中背の男が、大層な装備を伴って襖を開けた。
「この山には熊はいねぇけど、鹿や猪は浅いところから平気でいるからなぁ。兄ちゃん達も、なんか貸そうか?」
「……あー、とにかく急いでるんで。大丈夫です」
「なんつったって足場が見えねぇし、これだけでもかぶっとけ」
「生憎、目は良すぎるくらいなんで」
 差し出されたライト付きのヘルメットを拒みつつ、俺は立ち上がる。そして男を押しのけて、入ってきたのと逆の要領で部屋を出た。奥からは、事を急く俺を咎める声が聞こえる。
 己の範疇をこえる出来事に遭遇したとき、当たり前のように人は死ぬ。それでも、誰がどんな一般常識や確率論を口にしようと、俺はなまえを諦めたつもりはなかった。常に最悪を想定しつつも、最善を尽くさない理由にはならない。
 玄関で靴ひもを結んでいると、背後から声を掛けられた。
「あの子は神さまの子だから」
「あ?」
 振り返ると、この家の人間らしい腰の曲がった老婆が俺の後ろに立っていた。衰えた手足は震えているのに、口調だけは強く、俺に向けて言葉を続ける。
「還るべきところへ還っただけさ。もうお前のところには戻らん。だから探すな」
 直感的になまえのことだと思った。彼女達はそれぞれこの村の何軒かを訪ね、聴き取り調査をしたらしい。この老婆となまえの面識があったのかどうかは分からないが、なぜか俺の中には確信的なものがあった。
「……おい、ババア」
「ボケた年寄りの戯言だ。行くぞ」
 遅れて三和土に降りた男に背中を叩かれ、玄関を出るように促される。俺が断ったヘルメットは、窓の男が代わりにかぶっていた。
 それっきり老婆は口を開かなかった。戸が閉まる前に後ろを振り返ったが、皮膚がたるみ開いているのか閉じているのか分からない目は、最後まで俺じゃないどこか遠くを見ていた。



「兄ちゃんさぁ、そんなもん掛けたまま、よく歩けんな」
「目が良いつったろ!」
 山にさえ入ってしまえば、どんな暗闇のなかでも残穢と呪いの気配で、目的地は一目瞭然となった。着いてしまえば案内役など必要なかったかと思いきや、なんの道標もない帰りの為に、大人の男二人に対し俺はこの場での待機を命じる。この期に及んでマジもんの遭難は勘弁だ。
 眼前には、崩れかけの廃れた神社跡が存在しているだけである。しかし俺の目には、全く違うものが映っていた。
 案の定、鳥居をくぐると生得領域が形成されており、空間は真昼のような明るさと、厳かな雰囲気を醸しだす立派な建物が存在していた。おそらく百年は前の、この神社の姿なのだろう。
 季節を逆行し、桜の花びらが舞う。果てしなく無音で、とても心地が良い。
 だが小さな花びらが落ちたその先には、無惨にも上半身と下半身が分断された黒い遺体が二体転がっていた。はっきりと顔は覚えていないが、なまえに同行していた術師と補助監督だ。広がった血痕は濃い色で固まっており、おそらく死後半日以上は経過している。何にせよ、すでに手遅れだったようだ。
 けれど、彼女の姿だけが見当たらない。抵抗のあとなのか、なまえのものを含んだ残穢だけは偽りなく存在している。呪霊が作り出した空間がゆえ、すべてに靄がかかっているような見え方をしているが、微かに人の気配が——。
「なまえ!」
 桜の木に包まれるようにして、なまえはぐったりと目を閉じていた。枝が不自然に入り組み彼女の身体を這っているが、見る限り生命活動は継続し、外傷もなく五体満足のようだ。
 安堵の息を吐くよりも先に、俺はなまえに向けて手を伸ばす。
「!」
 そのとき、一瞬にして空気の流れが変わった。春のうららかな陽気に、突如全てを凍てつかせるような風が吹雪く。

「この子をここに還して」
 後ろを振り向くとどこから現れたのか、少年と呼べる外見の子どもが俺を見ていた。人の形をとっているが、明らかに人間ではない。それに呪霊というよりは精霊に近いような、形容し難い雰囲気をまとっていた。
 けれど、それは些細な問題であると思えた。なんせその容姿については、見覚えがありすぎる。白い頭と、子どもながらに整いすぎた顔。目の色以外は、まるで幼い頃の俺の生き写しだ。
「……返すもなにも、ここはコイツにとって縁もゆかりもない土地だろ」
 馬鹿みたいに長い移動時間で、報告書は全て読んだ。追加調査された内容も頭に入っている。なまえ本人からも、この地域に足を踏み入れること自体はじめてだと聞いた。
 共にここへ入った術師と補助監督も含めた三人で、抵抗したであろう残穢も見えている。それでも、今までに結構な数の行方不明者となった死人を出しながら、なまえだけがなぜか生かされた。この呪霊が彼女に執着する理由は一体なんだ。
「五条家にとっては多かれ少なかれ関係あるだろ」
「それでもコイツには関係ない。今すぐ解放しろ」
「……やっと再会したんだ。それは出来ない」
 台詞と同時に空間が歪み、領域から俺を追い出そうと力が加わる。ああそうだった。とても心が落ち着くが、ここはコイツが支配する場所だ。呪霊はいつの間にか桜の木の枝に腰掛け、恍惚とした表情でなまえの頬を撫でていた。
 俺は未だここまで精密な領域を展開出来ないため、領域の押し合いは不可である。しかし同じ家の者と知ったならば、ネタはあがっている。
 呪力を極限まで無にすると、行く手を阻み吹き荒れる強風は俺をすり抜けた。転がる二人の死体が吹き飛ばされないのも同じ理論である。
 死後ここまで一人でやり抜いてきたのだ。術を見抜かれた経験はなかったのか、大きく見開かれた幼い瞳と視線がぶつかる。
「呪力を抑えるくらい、誰にでも出来るだろうけどさ。オマエには視えてないものも、俺の目には映ってる」
 今回限りの裏技である。あくまでも同調してしまえば良い。
 コイツに似せた呪力で、いつもの出力より落ちた蒼を俺は桜の木の根もとに放った。……他人に合わせるのはもとより嫌いだ。

 人骨と思われる多数の骨が噴き上げるなか、落ちてきたなまえを受け止め、無下限の内側にいれる。
「……君がこの子に執着する理由、なんとなくわかっただろ」
「知るか」
 それだけを言い残し、呪霊は灰になって舞っていった。ガラス破片が砕け散るようにして、領域で書き換えられた空間も在るべき形へと戻っていく。しかし遺体だけはそのままで、二人の人間が亡くなった事実は無かったことにはならなかった。
「——悟?」
 崩壊のなかで、なまえは薄っすらと目を開けた。この出来事を彼女は一体どこまで覚えているのだろうか。けれど、そのことを知るのは今でなくていい。
 俺はサングラスを外し、腕のなかで鈍い瞬きを繰り返すなまえにそれを掛けた。
「全部終わったよ。今は眠りな」



「なあ、オッチャン。ばあさんが言ってた神さまの子って何?」
「あれじゃねぇかな。昔はこんなにも豊かじゃなかったから、七つまではいつ死んじまってもおかしくねぇっていう。七五三とかもそういう名残りだろ」
「あー、はいはい」
「でもまあこの村じゃ、おとぎ話みたいなもんか」
「どういうこと?」
「あの神社の成り立ちとして語られてるんだけどよ。好き同士だったのに家の都合で結ばれなかったっていう、よくあるやつだよ」
「……しょうもな」
「俺もそう思うよ」
 まばゆい朝日に照らされながら、俺達は山を降りた。
神さまの子