「なまえなら体調不良だって言って、昨日から寝込んでるぞ」
「しゃけしゃけ」
 朝教室に顔を出すとひとつ足らない顔があったので、要件を切り出す前に生徒達に尋ねたところ、そのような返答があった。僕は当初の予定通り夜中には高専に戻っていたのだが、現時点まで彼女自身からはなんの連絡も受けていない。
 個々に本日の予定を告げたあと、教室を出て上着のポケットからスマホを取り出す。一番早いと思って通話履歴をタップしたものの、何度かスクロールしたのちにようやく出てきた目当ての名前を見つけ、僕は発信ボタンを押した。
「……もしもし」
 二、三コール鳴らしたところで切り替わった声は、聞き慣れたものとは程遠く、明らかに覇気というか元気がない。以前僕といるときに突発的に高熱を出したことがあったが、その時の彼女の方がもっと気丈に振る舞っていただろう。
「体調悪いんだって?風邪でも引いた?」
「お気遣いありがとうございます。わざわざお電話もすみません。少し怠さと微熱があって」
「なにか要るものある?」
「いえ、多分もう一日くらい寝たらきっと良くなると……っ——」
「なまえ?」
 言葉が途切れ、ゴソゴソという布擦れが聞こえたあと、ブツっという効果音とともに一方的に通話が切られた。
 異変に違いはないが、彼女が意図しておこした行動だと推察は出来る。それでも最初に頭を過ぎるのは、いつも最悪の想定だ。
 僕達は互いを互いで縛りあっている。まだ婚約という前段階だが、婚姻を結ぶということは夫婦となり生涯を添い遂げるということである。もちろん僕らも例に漏れない。
 しかしなまえが死んでも僕は死なないが、僕が死んだらなまえも同時に死ぬ。こんな理不尽な契約が僕らの中には存在しているのだ。そして過去に遺される夢を見てからというもの、僕のなかで嫌な想像が頭にこびりついて離れない。
 躊躇いはしたものの、長針ひとつの時間の経過を確認したのち、再度彼女との通話を試みる。……が、やはり出ない。
 聞いた以上に体調を崩している事に違いはない。硝子——よりは、まず真希に様子を見に行ってもらおうか。いくら婚約者を名乗り、そのうえ教師という立場を利用したとしても、学生寮のましてや女子生徒の部屋となると、正面から単身で訪ねるのがまずいということは分かる。
 踵を返し、数分前までいた場所へ足を向けかけたところ、手の中で握ったままのスマホが震えた。すぐに止まったので、着信ではなくメッセージの通知だろう。
 画面をあけると案の定、なまえからであった。

『急に切ってしまい、申し訳ありませんでした。ずっと横になっていたせいか、起き上がったら気持ち悪くなってしまいました。吐いたら少しすっきりしたので、このまま眠ります。お部屋にも伺えず、そのうえご心配をお掛けしてすみませんでした。』

 僕からすれば、他者から聞かされたという事実を人並みにも面白くないと思っていただけの事であった。
 しかし丁寧すぎる文面がゆえ、この子のなかでの僕が名ばかりの婚約者として、干渉を拒絶されているのだと実感せずにはいられなかった。
Half moon @