「じゃあ生クリームを使ったりするの?」
「そこまで本格的じゃないですよぉ。でも甘い方が好きなので、ジャガイモじゃなくてサツマイモを毎回入れてます」
「へえ、他には?」
「定番のニンジン、タマネギ、ブロッコリーでしょ。あとお肉は鶏もも派なんですけど、ウインナーも必須ですっ」
「なまえは欲張りだね」
「えへへ」
 寒くなってから毎日シチューばかり食べてるんです。だなんて相手からすれば、取るに足らない私の日常生活を切り取った閑話だったはずなのに。となりで頬杖をつきながら、アルコールで赤くなった私を見つめる五条さんの表情は、噂で聞いたものとは違ってとても柔らかかった。



 補助監督だけの十人にも満たない小さな飲み会の予定だった。開始から一時間ほど経過し、みんな程々に出来上がった頃。遅れてやってきた伊地知さんの後ろから、五条さんと家入さんが顔を出すまでは。
 日々の愚痴を肴に中弛みしていた場が、一気に沸く。仕事でも一部の人間しか関わることの出来ないトクベツな二人が揃って現れたのだ。普段なら恐縮してしまうところだが、酒の勢いもあって場は二人を大いに歓迎した。
 座敷をひとつ貸し切った大きなテーブルでは、半分以上が男性陣だったこともあり、いつの間にか家入さんを中心とした輪がひとつ出来上がっていた。そんな中でも私とともに参加した同期の友人は、意中の彼と急接近を果たしているようであった。……馬に蹴られて死にたくはないので何も言うまい。
 そうなれば必然的に残ったのが、私と伊地知さんと五条さんである。仕事終わりに足を運んでくれたにもかかわらず、ここに来ても伊地知さんは、せっせと五条さんの世話を焼いていた。私は現在まで、仕事上でもほとんど五条さんとの面識はない。
「……こういう飲み会、結構やってるの」
 伊地知さんの返事がないと思って顔を上げると、サングラス越しの五条さんと目が合った。どうやら私に向けて話しかけてくれていたらしい。
「この人数でもなかなか予定が合わないので、年に一度あるかないかですよ。それでも五条さんより忙しくしている人間はいないでしょうけど」
「そうだね」
 嫌味ではなく純粋な事実として、さらりと微笑んだ彼は答える。
 私はスカートの裾をキュッと掴む。こんな好機二度とないと思う貪欲な自分と、彼の厳かな雰囲気にこの場から抜け出してしまいたいと思う意気地のない自分がいた。
 助け舟を出してほしくて伊地知さんを盗み見たが、彼は五条さんだけでなく家入さんの世話も買って出ているようであった。働き者だと感心するあまり、私の諦めもつく。
「そんな多忙な五条さんなのに……。その、お酒もあまり飲まれないって聞いていたんですけど、どうして今夜参加してくださったんですか」
「僕を差し置いて伊地知が妙にソワソワしてるから、どんな楽しいことが待ってるんだろうと思ってさ。みんなさっきまで何で盛り上がってたの?」
「主に仕事の愚痴ですね。結局なにより仕事の愚痴が一番盛り上がるんです」
「ははっ、じゃあ僕は伊地知に聞こえないように話さなきゃね」
 そう言うと五条さんは私の袖をくいっくいっと引き、自身のそばに招き寄せた。そして今度は、年齢よりも幼く見える無邪気な表情を浮かべる。
「まあ僕も飲み会なんて久しぶりすぎてさ。今さらだけど、乾杯」
 五条さんのジンジャーエールと私の飲みかけのビールジョッキが、カランと綺麗な音を立てて重なった。

 そして冒頭に戻る。話して、食べて、飲んで、笑って。酒の勢いで余計なことまで喋りすぎた気もするが、伊地知さんから聞いていた印象よりも、五条さんはずっと気さくな人であった。
 ——そして軽薄な人だと思った。
「シチューは誰かのために作ってあげたりしないの?」
「自分のための作り置きだけですよぉ。最低三日間食べるんです」
 呪術界隈での家柄も実力もさながらに、この容姿である。五条さんはきっとずっと今まで、女の人に不自由したことなどないのだろう。手馴れた様子と会話に、私は勝手に彼の過去を想像して嫉妬した。
 けれど今さらに、机の下で彼の上着に隠されるようにして重なった大きな手を払いのける気など、私にはさらさら湧かなかった。ただ繋がれているだけでなく、何かを彷彿させるいやらしい触り方を五条さんはする。
「もっと飲む?」
「え〜、もうやめときます〜」
 爪の先から指の付け根までを、彼の指が往復する。そして要所要所で指を絡め取られて、さらにギュッと握られる。これ以上飲むと、本当に理性を失ってしまうような気がして怖くなった。
「あ、そうなの?」
 言葉とともに離れていった手のひらを惜しんで、五条さんを見上げてしまった私に罪はないだろう。喪失はいつだって恐ろしい。
 けれど彼はそれを見越していたのか、黒いレンズを通して私を見下ろし不敵に笑った。
「じゃあ行こっか」
 おぼつかない足元に不安を覚えたのも一瞬で。浮遊感は続くものの、ガッチリとした太い腕が私の身体に回る。
 そのまま肩を抱かれて私は彼と一緒に店を出た。
#前編