一応戻って真希には今の出来事と、なまえのことを友人として気に掛けてやってほしい旨を伝えた。するとそういう言い回しを使ったおかげか、彼女は何も疑う素振りを見せず、留守だった僕に昨日の様子も教えてくれた。
「授業中に急に気持ち悪くなったみたいでさ。トイレで結構な時間えずいてて、硝子さんのとこ行くように促しても断固拒否だし、せめて町医者へ行けって言っても部屋で寝てるの一点張り。そのあと寮室へ夕飯運んだときも、アイツまだ真っ青な顔してたよ」
 臆病ななまえの意外な頑固さに、さすがの真希もお手上げのようであった。しかしなんだかんだで面倒見の良い彼女は今日も任務から戻り次第、部屋を訪ねるつもりだとも言っていた。
 その真希を連れて出るという二級術師には、早めに切り上げるよう僕からも釘をさしておこうと思う。

 それから僕も僕で任務が入り、車での移動となった。次の現場へ向かう休憩がてら、補助監督とともに国道沿いのコンビニへ入る。
 それぞれ買い物を終えて車に戻ったのだが二、三個スイーツを買っただけの僕に対し、彼の買い物袋は大量の果物ゼリーでいっぱいであった。なんなら店内のものを買い占めてきたのではないだろうか。
「……君さあ、そんなにフルーツゼリー好きだったっけ」
「……まあ嫌いではないですけど、僕のではなくて妻に。今ちょうど悪阻が酷くて、こういうものしか入っていかないみたいなんですよね」
「へえ、大変だね」
 そう言葉にしたと同時に、体調不良を訴える婚約者の少女のことが僕の頭には浮かんだ。まさかとは思いつつも微熱と倦怠感と嘔吐が続き風邪じゃないならば、妊娠初期の症状と合致しなくもない。スマホを取り出し、検索エンジンに単語を入力する。
 僕がスキンを装着することで、毎回性行為の際の避妊はきちんと行っているが、何事にも絶対はない。それに違ったとしても医者に診てもらいたがらないところも含めて、本人にもなにか思うところがあるのだろう。なまえは元々こっちが気付いてやらないと、不安や悩みを自分から他人に打ち明けられるような子じゃない。
「ねえ、明日からの出張までに少しでも時間作りたいから、悪いけど飛ばしてくれない?」
「承知しました」
 早く終わるとつまらない会食に参加させられるから今日はゆっくりやろう、と言った自分の言葉を僕はひっくり返す羽目となった。運転手を兼ねたこの男も、嫁が心配なので実は早く帰りたかったと漏らしたので、本当に今さらである。



 それでも高専に戻ることが出来たのは、結局二十二時を回ってからだった。ダメ元で電話も鳴らしてみたが出ない。だから強硬手段とまでは言わないが、少女の逃げ道を塞ぐようなずるい大人として、メッセージを僕はなまえに送った。
『明日からまたしばらく留守にするから、少しだけでも顔見せて』と。
 今夜中に返信があるようだったら、その時間からこっそりと本当に顔だけを見に行ってもいいし、なくても心配を建前に堂々と直接寮の部屋を訪ねてやれば良い。
 送信後、八つ当たりのように僕はスマホをソファーの端へと放った。本来の自分は、ここまで回りくどいやり方をする人間ではなかったはずだ。しかし親友が去り、一人称を変えたところで僕の本質が変わったとも思えない。
 溜まった疲労を誤魔化すように、手のひらを天井に向けてグッと伸びをした。どれだけ思い悩んだところで結局シンプルに、婚約者の少女にこれ以上嫌われたくないから、敢えてそういう風に振る舞っているだけの事なのだろう。今の均衡が崩れたときには、有無を言わさず僕はなまえを囲うのだと思う。
 明日からの出張の荷造りでもと思っていたところで、スマホが短く振動した。ロック画面へ表示された名前を見て、僕は慌てて手を伸ばす。
 ダイレクトで開いた画面には、他人行儀な挨拶のあとに『この時間からでも行っていいですか』と綴られていた。
 僕は部屋着の上から、先ほど羽織っていたコートに腕を通す。もちろん『僕が行く』と返信した。
Half moon A