共に寝転んだシングルベッドは私ひとりが眠るための寝具であり、五条さんのような体格に恵まれた男性と夜を越すには、いくらなんでも狭すぎる。彼に断りを入れ、予備の毛布を出してソファーへ向かおうかと思っていたところ。何かを察したのか、五条さんは大きな身体を丸めて私を掻き抱くように腕の中へと閉じ込めた。
「……五条さん、苦しいです」
「んー、」
分厚い胸板に顔を押しつけられたまま、私はつぶやく。すると少しだけ力が緩んだのだが、不服そうな返事のあと抱え直すようにされただけで、より一層身体同士が密着した。
けれど狭いベッドのなか、それでなぜか上手く収まってしまう。そして五条さんはいつの間にまぶたを伏せたのか、頭上からは規則正しい寝息が聞こえてきた。
なんとか頭だけ抜け出して、暗闇のなかで私は彼を見上げる。完成しきった逞しい身体とは違い、穏やかな寝顔はなんだかあどけない。
起こすと申し訳ないので、もう少し寝入ったところで背中に回った腕を持ち上げて、と段取りを立てつつも。こんな状態で寝られないと思った私の疲労もピークに達したのか、夜明けを待たずにそのまま意識を手放した。
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「五条さん、起きて。五条さん」
カーテン越しの朝陽が白く輝くなか、意外にも先に目を覚ましたのは私だった。かなり深く眠ったのか、眠前の記憶とほぼ変わらない位置で、がっちりとした腕から抜け出せないまま私は彼の肩を揺する。
「……んー、いま何時?」
「五条さんの視線の先に壁時計、掛かってないですか」
「ああ、八時過ぎだね。おはよう、なまえ」
「……おはようございます」
額にちゅっと口づけが落とされて、一度だけギュッと抱きしめられたあと、数時間ぶりに私の拘束が解かれる。続けて彼が上体を起こす過程で、ずっと隙間なくくっついていた身体同士が離れた。すぐに人肌恋しくなってしまったうえに、五条さんが伸びをした拍子に羽毛布団がずり落ち、肌寒さからか私は反射的に彼へすり寄ってしまう。
「可愛いね。離れたくなくなっちゃう」
五条さんはそんなことを言いながら、大きな手で私の頭を撫でた。軽薄なこの人は、昨晩からやたらと私のことを可愛いと言う。だが動作も相まって、まるで子供扱いされているみたいだ。
「冗談はよしてください。それより身体痛くないですか」
「全然?」
ニッコリと微笑んだ五条さんは、私をひらりとかわしてベッドから出て行ってしまった。
「コーヒーとトーストくらいなら、すぐに出せますけど」
ソファー周辺に散らばった衣服を身につける彼の背中に、寝転んだままの私は問う。聞けば今日も任務の予定がギッシリと詰まっており、一度高専に戻る都合で午前九時にはここを出たいとのことだった。それならそれで、眠る前に教えてほしかった。遅刻常習犯に対し、胃を痛める先輩の姿が頭に浮かぶ。
「いいの?」
顔を上げ、いつもの目隠しやサングラスをしていない、五条さんのキラキラと輝く青い目が私を映す。どうも見慣れない、のでベッドから起き上がるフリをして、私は彼の視線から隠れた。
「本当にそれだけですよ」
そう言い残して、そそくさと逃げるようにキッチンへ向かい、コーヒーケトルを火にかける。続くように足音が聞こえたので、追いかけて来たのかと思いきや、大きな身体は洗面所へと入って行った。
その隙に私は冷蔵庫の中を確認するが、やはり言葉にした以上のもてなしは出来そうにない。せめてもの気持ちから、日用の粉末のインスタントコーヒーではなく、某コーヒーチェーンのドリップバッグを客人用のマグへセットした。そして六枚切りの食パンを一枚、トースターで焼き始める。
「ねえ、その奥の赤い鍋ってシチュー?」
「!!」
あやうく私は、手に持った片付け途中の食器を落とすところであった。
危ない危ないと繰り返しながら五条さんは私の両肩に手を置き、わざわざ顔を横に寄せてガスコンロを覗き込むようにする。
「コレも食べたい」
「だめです、お口に合わないかも。それに作ったのも三日前だし、お腹壊したらいけないので」
「ちゃんと火入れたら大丈夫だって。昨日楽しそうに話してくれたじゃん。なまえの得意料理なんでしょ? ね?」
酒の席での、世間話のひとつのつもりだったのに。どうやら私は、厄介な人に自身の事を知られてしまったようである。
結局は押しに弱いのだ。私がコクリと首を縦に振ると同時に、五条さんはコンロに火を点した。
奥の方ではトースターがチンと音を鳴らし、食パンの焼き上がりを知らせる。昨日から私の段取りは狂ってばかりだ。
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先に席についた白い人の右側に、私はコーヒーを置いた。甘党だと噂で聞いていたので、シュガーも二本ほど添える。
その間にもグツグツと煮立ちつつあるシチューをかき混ぜて、トースターから焼き上がったパンを平皿へ乗せた。すでにテーブルの上には、マーガリンとジャムが用意済みである。
左手で持った皿を彼の前に出し、私はもう一度コンロの前に戻って、半分以下になっているシチューの鍋をのぞき見た。昨日の昼にも自分で食べているが、いつも通りの出来で失敗はしていない。ちゃんと自慢の具材も残っているし、見た目も味も匂いも普段のシチューだ。
けれどもう一度味見をしたところで、他人に振る舞うにはとても自信が持てなくて。悩んだ挙句、五条さんには小さめのスープマグで出すことにした。
「どうぞ」
「ありがとう、いただきます」
時間がないにもかかわらず、彼は他のものに手をつけず、これを待ってくれていたようである。緊張で指先が震える私とは正反対に、弧を描く唇はとても楽しそうだ。
私が必要以上に見つめるなか、五条さんは赤色のマグの取っ手を持つ。そしてスプーンでクリームシチューを掬うと、躊躇いなくそれを口に含んだ。
「おいしい」
伏せた白い睫毛が上がり、青い目と再び対面する。
キョトンとしているままの私に向けて、優しく微笑んだ彼は「なまえのこと好きだよ」とだけ続けた。