(五条)

 乗車前に新幹線のホームできしめんを食って、発車と同時に自分用に購入したどら焼きを開けたが、数個口にしたところでどうも物足りなくて。何となく買ってみた天むす弁当の蓋を開けるものの、一瞬で食い終わってしまった。前方の電光掲示板によると、まだ浜松を通過した辺りらしい。
 結局満腹感を得られないまま東京駅へ到着し、人の多さに溜め息を吐きつつ、追加の飲み物だけはコンビニで買った。
 そのあとも気分が乗らないのでどこへも寄らず、真っ直ぐ電車を乗り換え、俺は昼過ぎに数日ぶりの高専へと帰ってきたのであった。

 土産袋をぶら下げたまま、太陽の日差しを高い位置から浴びる。目が眩みつつも、グラウンド横を通ってみたり、修練場近くの道を選んだり、わざわざ教室へ顔を出すも、明るい時間帯なのにこんな日に限って誰ともすれ違わない。
 人恋しいつもりはなく、やたらと食い足りないだけなので、さっさと誰かに土産を渡して、それをそのまま開けてもらおうと俺は目論んでいたのだ。だが、どうも思い通りに事は運んでくれないようである。自分の足音だけが、無人の教室に響いた。
 そのまま机の上に腰を下ろし、とりあえずナマエにメールしてみる。傑も硝子も十代とは思えぬくらい冷め切っていて、菓子土産だと人並みに礼を言うだけで、毎回大きく反応を示してくれるのはナマエだけだ。
 けれどそんな彼女も、五分経つが返事はない。普段は携帯依存気味なのに見ていないということは任務中かと諦めつつ、傑にも似た内容でメールを作っていると、寮に居るけどこれから出掛けるという内容でナマエから返信があった。
 今になって腹が満たされた気になったのは、やはり気分の問題だったのだろうか。彼女のいうこれからの時間に、どのくらいの猶予があるのかは分からないが、すでに土産があると伝えてしまったので、俺も寮へ足を向けることにした。



 部屋を訪ねるまでもなく、ナマエは寮の玄関口にいた。まさに出掛ける直前だったのか、鞄を横に置き制服姿のまま外履きに靴をはき替えている真っ最中であった。
 しかし俺と目が合うと、なぜかプイッと顔を逸らされる。そして声色だけはいつもと同じ風を装い「五条おかえりー」と間延びした声が掛かった。
 いやいやいや、騙されない。一瞬見えた顔は、俺の知っているナマエのそれと明らかに違っていた。
 とはいえ、偽物がいるという訳ではなく間違いなく本人なのだが、長いまつ毛にキラキラと輝くまぶた、それにピンク色の頬もぷるんと色付いた唇も、ありのままの彼女の姿ではない。つまり何が言いたいのかというと、誰の入れ知恵か知らないが、今のナマエは化粧をしていた。
「お土産いつもありがとね。じゃ、」
「ちょっと待て」
 上着越しに掴んだのに、ナマエの手首は想像していたよりもずっと細くて。引っ張り合いの攻防にもならないまま、無理矢理こちらを向かせる。
 よくよく見ると、粧し込んだことによって元々整ったナマエの顔のパーツひとつひとつが強調されており、つまるところすでに可愛いものが倍増しでめちゃくちゃ可愛くなっていた。
「一体何なの」と、どもる声も潤み始めた瞳も赤みを増した頬も、それに拍車をかけている。
 しかし、だ。それが出先で会う人物の為のものであって、今帰ってきた俺とは全くの無関係だと悟った時には、昂った心が一気に凍てついていくのを感じた。
「その顔、どーしたの」
「あの、その……、これから友達と会うから、私なりに頑張ってみたんだよね」
「濃すぎ。素人かよ。似合わねー」
「……最っ低!」
 心にもないことを口走ったと思った次の瞬間には、彼女の方が先に駆け出していた。
 尻すぼみになった台詞は、きっとメイクへの自信のなさの表れだったのだろう。罪悪感という名の黒い感情が、じわじわと俺の胸の辺りから侵食を始める。だが今さら追いかけたところで、今の自分が素直に彼女へ謝罪できるとも思わなかった。
 このあとナマエが男と会ってたらどうしよう。
 


「それで尾行」
「その言い方やめてくんない」
 主人公が毎回猫型ロボットに泣きつくように、俺は部屋でくつろぐ傑に何とは言わず、一緒についてきてくれと縋った。
 傑の呪霊で駅まで先回りし、付かず離れずの距離で彼女を見張っていると、ナマエは降車した先で違う制服の女子高生三人と合流した。久しぶりと親しげに声を掛け合っているので、中学の頃の同級生あたりなのだろう。ナマエは元々東京出身だ。
 交友関係にまで口を出す気はさらさらないが、彼女の友人は見るからに派手なギャルはいないものの、各自それなりに誇張した化粧をしている。これが一般的な女子高生だと思うと、自分がナマエへ投げかけた言葉を思い出し、さらに心が傷んだ。
 そんな俺の気も知らず街へ繰り出した彼女達はというと、どこぞの男と落ち合う気配もなく、ウィンドウショッピングを楽しんだり、クレープを食べたりゲーセンでプリクラを撮ったりと、年相応の遊びを満喫しているだけのようであった。
「女の子同士楽しく遊んでいるだけだし、私はもう帰ってもいいかい」
「頼むから、もうちょっとだけ」
 いちごシェイクを啜る俺の隣で、傑はアイスコーヒーを優雅にストローで飲んでいる。歩道を挟んだ向かいの店のベンチで、二度目のブレイクタイム楽しむ女子高生四人を、俺達はファーストフードの二階席から見ていた。
「このあと合コンだったらどうすんだよ」
「これだけ女同士で飲み食いしてるのに、それはないだろ。いいかい悟、ナマエは男を漁るためじゃなくて、単に同性の中でのアイデンティティを保ちたくて、可愛く化粧してここへやって来ただけなんだって」
 親友がさっさと切り上げて帰りたがっているのは、二時間以上前からヒシヒシと感じている。
「んー……」
 けれど俺は、どちらとも取れる曖昧な返事を傑に返す。結局は彼女にそういう意図がなくても、受け取る側の問題というか、好意があるから問題というかエゴというか。
 頬杖をつきながら見ても、ナマエの笑顔はいつも以上にキラキラと輝いていて、普通の共学に進学していたら、これは周りの男が放っておかないだろうと今更ながらに思った。
「……わざわざなにか言わなくても、口紅とかアイシャドウとかの化粧道具渡したら、ナマエも許してくれるかなあ」
「誠意を込めて有名ブランドのものを贈ってあげなよ。帰りにデパートでも寄ろうか」
 ズズズと行儀悪く音を立て、残りのシェイクをストローで啜った俺は勢いよく立ち上がった。傑の言葉に従ったからではない。俺の目は人並み以上に良いけれど、耳の良さは一般人とほとんど変わらない。
「なあアレ、アイツらナンパされてんじゃね?」
「ああ、本当だね」

 マジで五秒で、俺は二階から降りて真向かいの店まで行った。
「とりあえず、カラオケ行こうよ」
「それって奢りですか〜」
「もちろん奢るし、歌でメロメロに酔わせるから俺」
「下心見え見えなんですけどぉ」
 近くまで寄ると、雑踏の中の会話を俺の耳が拾う。だが聞こえてきた失笑レベルの会話に、ピリついていた自分の呪力が凪いでいくのがわかった。
 一方ナマエはというと、慣れた風に答える手前の女の子に隠れるようにして、ナンパ中の男達を上目遣いで見ていた。え、アリなの?いやいや、ナシでしょ。
 つーか、こんな近くまで来てんのにまだ俺の存在に気付かない訳?どんだけ鈍いんだよ、この女。
「そうは言ってもさあ俺達四人、君達も四人。最高の組み合わせじゃん。もうコレって運命じゃね?——ッテェ!?」
「悪いけど一人は俺のツレで、他の三人は全員あそこの店にいる黒髪の男のツレだから、違う女の子当たってくれる」
「え、五条? は?夏油も?」
 ようやく俺に気がついたナマエを無視して、窓際のカウンター席に居座る傑に手を振ると、得意の胡散くさい笑みを浮かべたまま、こちらに手を振りかえしてきた。後ろの女の子達の声のトーンが一段階上がる。
 軽く呪力を飛ばしただけでぶっ倒れた男の方の連れはというと、ちゃんと怪我人を介抱しているヤツと俺を威嚇するヤツとの二手に分かれていた。こんなやつらでも、男の友情は例に漏れずアツいのだ。
「俺らナマエの今の学校のクラスメイトだから、心配しなくていいよ。あの黒髪の男、かなり羽振りが良くてさ、なんでも奢ってくれるだろうから君達はあっちに避難してな。帰りもきっと駅まで送り届けてくれるよ」
 何を言われているともつゆ知らず、傑はのんきに窓際でアイスコーヒーを啜り続けている。後ほど怒りを買うことは確かだが、俺も男の友情を盾に許してもらうつもりだ。
「じゃあ私も夏油のところに……」
「オマエは今から俺とデートだから。みんな、ごめんね」
 ナマエの友人達が下手に絡まれないように、とりあえず男共に威圧だけはかけておいた。



 人混みではぐれないようにするため無理矢理肩を抱いて歩き始めたが、ナマエは意外にも大人しく俺の歩幅に合わせて寄り添うように、歩き続けていた。
 これだけの密集地では、触れる他人の体温を避けることは出来ない。無限の術式を使って人にぶつからないようにする事も可能だが、すでに疲れているので日常の延長で多用するのも憚られる。
 そして何を言っても雑踏に紛れてしまう気がして、彼女が黙ったままいるので、俺も敢えて何も話さない。そんな時間が十分ほど続いた。
「……デートってなによ」
 大通りへ抜けて人が減ったところで、先に口を開いたのはナマエだった。立ち止まった彼女は肩から俺の手を外し、こちらを見上げて言う。口を尖らせていても上目遣いの破壊力の方が強いのだから、俺の方が大概なのだろうか。
「あー…、昼間の高専でのこと。親心つーか、愛情の裏返し?的な?……心にもないこと口にした自覚はあるから、なんか詫びさせて」
 正解ではないかもしれないが、今度は間違わなかった自信がある。
 ナマエは眉間のシワがとれて、今度はキョトンとしたまま俺を見ていた。そしてすぐさま真っ赤になった顔は、俺の言葉の意図をきちんと読み取ってくれたと解釈して良いのだろうか。
「……じゃあお願いひとつ。お化粧直ししてるときに、五条のこと思い出して口紅折っちゃったから、新しいの買ってくれる?」
 照れたように笑うナマエの表情を見たら、とりあえず許してもらえそうなことだけはわかった。
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