「着替え終わった?」
「待って、あと上着だけ——」
ガチャリとドアノブが下げられて、私の言葉途中で無遠慮に扉が開く。ひょっこりと顔を出した悟はというと、普段の黒い目隠しからレンズの丸いサングラスに掛け替えており、ズカズカと部屋に入り込んできた。さっきの問いかけに意味があったのかと、逆に彼へと問いたくなる。
「ねぇねぇ、どう?」
やはり私の都合は全く関係ないらしい。そう言って見せつけるようポーズをとったデカい図体には、少し手足が短くなった学生服を身に纏っていた。背が伸びたというよりは、学生時代よりもさらに鍛え抜かれた身体が、ひとまわり大きくなったと言うべきか。約十年ぶりにクローゼットの奥深くから引っ張り出されてきたそれは、紛れもなく青い時代を過ごした彼が着用していたものだ。
「ちょっと短いけど、まあいいんじゃない」
私も最後の渦巻きのボタンを留めて、恋人への感想を伝える。というか悟は元々の容姿が日本人離れしているので、多少老けようが違和感は少ない。
一方の私はというと、多少窮屈な感じは否めないがなんとか上下とも着られた。しかし頭のてっぺんからつま先までの、トータルで見た感想については何も言うまい。『コスプレ』という単語は今だけは禁句で、特に下半身については黒のタイツでも誤魔化しきれていない自覚もある。
そもそもいい歳をした大人である私達が、なぜ役目を終えた学生服に身を包んでいるかというと。つまるところ二十八才児である彼が得意とする急な思いつきであり、ほんの数時間前に『今夜は二人っきりでハロウィンパーティーだよ‼︎仮装は高専の制服‼︎多分クローゼットの中にあるから僕の分も出しといて‼︎』と連絡が来たことから始まった。
「現役は無理があるけど、ナマエも全然アリだね。ほら、セクシー女優とかが——」
グーで殴りかかった拳は軽く躱わされて、次に目を開けた時には社交ダンスのフィニッシュのような格好で、私は彼に抱き留められていた。これが私と彼の、呪術師としての格の違いである。全然見えなかった……。
視線を逸らした私が早々に諦めたことが分かると身体を離されて、彼は仕事帰りに調達してきたという料理の数々をテーブルに準備し始める。いつものジャンクフードのオンパレードかと思いきや、どうやら違うらしい。一番立派な箱から出てきたのはキッシュで、これが今夜のメインのようだ。
「すぐ出来るし、付け合わせにサラダとか作ろうか?」
「そう言うと思って色々買ってきたよ。スープだけちょっと冷めちゃったから温めて直してくれる?チンでいいから」
「わあ、美味しそう」
予想外のキッシュに続き、悟の手によって彩り豊かな副菜達がローテーブルに並んでいく。すでにサラダボウルだけでも映えており、どこの店のものなのか私が知りたいくらいだ。制服を着ているからか、学生時代ならば回らなかったであろう彼の気遣いに、私は大変感動してしまった。
写真におさめるのは後にして、デキる男へと変貌を遂げた恋人の指示に従い、私はかぼちゃのポタージュとミネストローネを受け取る。そしてレンジにいれて温めスタート。カップのロゴは、私でも知っている有名レストランのものだった。
どうしよう、不本意な格好をさせられて超絶気が乗らなかったはずなのに、急にめちゃくちゃ楽しくなってきた。この際、痛々しい自身の仮装には目をつぶろう。いいじゃん大人のハロウィンパーティー!
けれども温めを待つ一分弱の間に、足もとにふと違和感。
「最近こういう短いスカートめっきり履かなくなったよね。足太いの気にしてる?」
さて。ふくらはぎに擦り寄りながら、下から私のスカートの中を覗き込むこの男は、学生服を着用しているがすでに立派な成人である。もっとも十代の頃の彼は、意外にも性的な事に対してはかなり奥手というかデリケートで。キスより先になかなか進めなかったのも、今じゃ淡く儚い思い出だ。
それがタガが外れたように、こんなにも躊躇いなく私に触れるようになったのは、一体いつからだっただろうか。
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銀のスプーンですくったカラメルプリンはこの時期限定のパンプキン味で、ほろ苦いカラメルソースとの相性が抜群である。最後のひと口は大事にとっておいたはずなのに、いざ口の中に入れてしまえば驚くほど一瞬で消えた。
隣り合った制服姿の悟とともに、ごちそうさまを言う。食べる前は不貞腐れていたが、満腹になり私の機嫌もある程度直った。
「美味しかった?」
「デザートまで全部美味しかった。買ってきてくれてありがとう」
「うん、どういたしまして」
「また——、」
「食べようね」
「今度は——、」
「ナマエが企画してね」
「じゃあ今日はこのあたりでお開きに——」
「しないよ」
「……」
「……」
先回りによって全ての逃げ道が塞がれる。見事彼の策に嵌り、甘える視線に根気負けした私は、恋人の足の間に背を向けて腰を下ろした。するとすぐに後ろから腕が回されて、数秒間キツく抱きしめられたあと、悟は私の耳もとで溜め息に似た深い息を吐く。
「癒されたい、イチャイチャしたい。仕事なんて行かずにナマエとずっと一緒にいたい」
どうやら相当お疲れのようだ。駄々をこねる言葉とともに腕の力は緩んでいったが、それでも今私の背中には彼の胸板が隙間なくくっついている。この学ランの硬い感じ、なんだか懐かしい。制服のまま抱き合った記憶は数えるほどしか無いが、私からは間違いなく腕や肩など意図的に彼に触れていた。
けれども学生時代の彼は、恋人である私にだけどこか一線を引いた触れ方をしていた。大事にされている実感はあった。悟はぶっきらぼうだけど優しかった。
だが傑や後輩の男子達の距離感を羨ましく思うくらいで、気軽に肩を組まれたことなんて一度もないし、私から言い出さなければ手も繋いでくれなかった。それに初めて身体を繋げたあと、申し訳なさそうに私に「ごめん」と謝った彼の罪悪感に塗れた表情は今でもトラウマで。すぐに「痛い思いをさせて」と弁解してくれたが、当時はもっと悲しい気持ちになった。
「昔はさ、今みたいに触ってくれなかったよね。自意識過剰かもしれないけど、私ってもっと悟に壊れモノみたいに扱われてた」
十年前じゃ考えられないが、上着の下から差し込まれ胸のあたりを這う手は、すでにシャツのボタンを外しにかかっている。それを制するつもりで、服の上から自分の手を重ねると、彼はすんなりそれに応じた。
「……やりすぎて嫌われるのが怖かったんだよ。僕はもっとナマエに触りたかった。それに好きすぎて、僕は多分オマエのこと神聖視してた」
バツが悪そうに呟かれた言葉は意外すぎるもので、私は思わず彼を見上げてしまう。すると自分でも言い過ぎた思ったのか、すぐに誤魔化すように額にキスが落ちてきた。
「密着感が足んない、こんなの着てらんない。とりあえず上着だけでいいから脱いで。僕も脱ぐから。でもシャツはボタン外すだけにしといてね」
自分から着ろと命令しておいて、今度は脱げというのだから本当に勝手な男である。おまけに妙な指定までしてきた。一体どんな性癖だ。
それでも、私が彼のことを嫌わないと確信があるからこそ今は好き勝手触れていると、全部終わったあとで悟は照れくさそうに教えてくれた。それと余談だが、彼にとって念願の制服えっちだったそうだ。