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其のビルヂングの横路が目に付いたのは偶々だった。煩わしい聞き覚えのある声が耳に付いた。……複数人の人影のみを目に捉え乍ら、小生は暗がりに口を開く。

「其処で、何をしている」

背を向けていた長身の男が、ぎくりと肩を跳ね上げて勢いよく振り向いて、ぎゃあっと短い悲鳴を上げた。奥にも誰かいるようだが、よく見えない。悲鳴を上げたきり震えるだけの男……太宰に足を向ける。こつ、と路地に反響した足音が奴に近くなる度、其の顔色は悪くなっていった。揺れる長身の前で止まる。

「あは、はは」
「貴様、端末は如何した」
「た、端末?ですか?勿論持って」
「小生への連絡は如何した」
「…………すみませ」
「許さぬ」
「はっがあ!?」

予備動作も少なく太宰の脇腹を蹴り抜いて、横壁へと吹き飛ばした。見慣れない少年が短く悲鳴を溢す。ゴッ!−−と、鈍い音を立て壁に激突した障害物(だざい)が目の前から消えたお陰で、視界が広がり、奥に立つ者達の姿が鮮明に飛び込んでくる。

血溜まりに倒れる谷崎兄妹、薄汚れた白髪の少年。……そして、


「−−−−此花!!」

芥川龍之介。もう一人は知らぬ顔だ。

「成る程」
「お前、否、貴女まで太宰さんと共に居たとは!」
「招かれざる客だったか」

刺さる敵意に、重たい感情に素知らぬ振りをし乍ら傍らで困惑と怯えを浮かべた少年を呼び寄せた。少年はびくりと肩を震わせ小生に近付く事を躊躇いはしたが、蹲る阿呆(だざい)に一度視線を落として喉を鳴らすと、慌てて駆け寄った。何故小生に怯えるのか。

「お前は」
「え、あっ、太宰さんの口利きで!」
「そうか、邪魔だ」
「えっ、うええっ!?」

少年改め新入りの腕を掴み、親しんだ深闇を以って背後へ押し込める。目の前には黒ずくめ。

「異能力−−夜來(ヌバタマキタレリ)

足元に広がる影から真黒の腕がぬろりと音も無く混凝土(コンクリート)に伸びた。痩せ細った病人のような「黒手」を筆頭に、幾本も幾本も。或いは刀を振るう武者の様に無骨なもの。或いは気の狂った醜女の様に鋭い爪先を持つもの。何れも此れも、花が咲く様に湧き出でて目の前の二人に向かって伸びていく。

「芥川先輩!此処は私がっ!」
「退がれ、樋口。貴様など、彼れに掛かれば抵抗も出来ず手折られるのみ」

暗がりにいるお陰か取り込めた谷崎兄妹を新入りの足元から吐き出す。「夜來」を使えばこんな手品の様な芸当も可能となる。そして勿論、人を殺める事も。

「殺生を禁じられている身だ、殺しはせぬ」
「貴女ともあろう人が、不殺(ころさず)など……!!」

銃を携えた女を背に庇い乍ら指を噛み血走った目で小生を睨み付ける芥川に、背後の新入りが引き攣った呼吸で答えた。呻き声を上げて太宰が立ち上がった、少し慌てた様に小生に視線を向けているのを横目に確かめる。

「故に、苦しめ」

たんっ、と一度、靴裏を鳴らすと無意味に揺れていた「黒手」が針の様に鋭く変わる。芥川が外套を黒獣に変化させたのを合図に其れ等を二人目掛けて。


「蓮水さんっ、待っ、ストーップ!!」

繰り出す直前、背中に触れた太宰の手に依って「黒手」は全て砂の様にさらさらと消えた。
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