乱雑に重ねられた重厚な洋書の数々、書きかけの原稿用紙。
インク瓶の蓋もペン先を浸した儘締められていないと云うのに、部屋の中では、そんな事などお構い無しに二人の人影が激論を交わしていた。
激論と呼ぶには、其れは余りにも一方的であったが。
「では、此れは!」
「だぁーめ!ちゃんと思い出して!百六十三頁の十三行目、第一の殺人が行われた時の現状不在調査の回想で専属秘書のキヨコが致命的な発言をしてる!」
「へっ、え…………あああっ!!本当である!やだあ!!」
「彼れは致命的中の致命的!示唆じゃなくて答えです!はい!犯人自供しましたあーー!!」
「や、辞めるのである!辞めて!辞めて下さい!」
激論と云うより作者の失敗を突きまくる虐め、と呼ぶ方がしっくりくる。
泣き出した男、名をエドガー・アラン・ポオと云ったが、彼は此れでも綿密な推理と幾重もの仕掛けを組み合わせたミステリーを書き上げる作家である。
本来ならば彼の様な人物を主人公に重苦しく読み応えのある書物としたい所だが……其の仕掛けをものの三分で暴き、更に叩き伏せたもう一方。一冊の洋書を膝の上に開き、得意げな表情で、ベソをかき始めたポオを見つめる年端もいかぬ少年、残念乍ら、彼こそが此の物語の主人公なのである。
有栖川 有栖と云う、漸と十二歳になったばかりの少年だ。
「うううっ」
「こんなんじゃあ、噂のランポクン?に推理遊戯を挑んで勝つなんて夢のまた夢だよ」
「今更!此処まで来て、そんな悲しい事を言わないでほしいのであるが!」
「じゃあ頑張って。と云うか、いっそ全部書き直した方が疾いよ」
「かっ……」
『なんだ、最高の指摘に言葉も無いか』
書き直し、と、か細い声でへろりへろりと書斎机に突っ伏したポオに容赦無く、有栖の無慈悲な言葉が突き刺さっていく。
有栖とポオが組合の一員として、東洋の島国までやってきた理由が先程有栖が口にしたランポクンと云う人物に起因するものなのである。
其れは遡ること六年前の或る事件。ポオの推理をけちょんけちょんに貶し、完膚なきまでに叩きのめしかつ事件を華麗に解決したのが件のランポクンらしいのだ。有栖に直接の面識は無いものの引き籠りの推理作家がこんな異国の地にまで追い掛けてくるような人物に興味の湧かない筈が無かった。
『アリス、其れは絶版になった稀覯本だ、丁重に扱えよ』
「解ってるよ。……そもそもそんな普通のミステリヰ、ランポクンは解き慣れてるんでしょ?じゃあ前提を覆さなくちゃ」
「前提を覆す?う、アリスは難しい事を云うな……其れは、どう云った」
『おいおい、随分と察しの悪い男に成り下がったな?』
「んもうっ!火村先生の云う通り!!素人みたいな事云わないで!!ポオのバカ!!」
「ごめんである!!」
ばんっ、と膝の上の洋書に両手を叩き付けて有栖は憤慨した。其れはあまりのポオの察しの悪さに、である。
ことランポクンの事になると普段のキレキレの仕掛けや謎解きを考える時に比べて、格段に頭が悪くなる。信じられない、と有栖は苦々しく呟く。
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