『恋』だとか、『愛』だとか。
たった一つの感情で関係が歪むことを、何よりも恐れていた。
だからこそ、拒絶した。見て見ぬ振りをした。
どうすればよかったかなんて、分からなかった。
分からないまま、ここまで来てしまった。
「ここまであからさまだと、逆に可笑しくなってくるよ」
湊との一件があってから、数日後。
歌番組のリハーサル中。
湊から少し離れた位置でステージ転換を見守っていた陣の元へやってきたのは、瑞樹だった。
瑞樹のセリフに、陣は無言でもって返す。タバコでも吸いに行きたいところだが、ステージ衣装に何かあってはいけない。
舌打ちをすると、陣はステージから瑞樹へと視線を移した。
自分のイメージカラーである青色をベースにしたステージ衣装に身を包んだ瑞樹は、マイクを片手に陣に微笑みかけた。そうして、その視線を湊へと注ぐ。
「湊。ここのところ、見てて可笑しくなるくらい仕事に没頭してる。まるで別人みたいだ」
「お前…ホント性格悪りぃな」
「そう?湊がこうなったのは陣が一役買ってるんじゃないかって、そう思っただけだよ」
そういうところが小賢しく、性格が悪いのだと。
ここでそう大声で言えたら、どれだけ楽だろう。
瑞樹は全て見通した上で、何事もないかのように振る舞う。
自分の隣にそそくさとやってきて、湊との関係を修復しろと暗に迫る瑞樹に、無意識のうちに眉間に皺が寄る。
『俺が!!惨めになるだけだろっ…!!』
手を振り払ったのは湊の方だ、と、いっそ告げてしまおうか。
「フォーメーションや歌詞間違えたり、ワイプで抜かれてるのにリアクションしなかったり。かと思えば、今度はガチガチに踊って、歌なんか迫真のレベルで歌っちゃって。分かりやすいよね、湊って」
「俺にどうしろってんだよ」
「早い所仲直りしてほしいな」
「ど直球だな」
「糸が切れて動けなくなってからじゃ遅いからね。アイドルは」
そこまで話すと、瑞樹は涼しい顔して、陣の隣から去っていった。
亮介や志朗とにこやかに談笑するその姿を見て、本当に、よくもここまで恐ろしい生き物になったものだと感心する。
そっと、視線を移した。湊は何をしているだろうか、と。
マイクを握りしめて、湊はじっと、ステージを見つめていた。脇目も振らず。集中力を高めているのか、時折小さく歌っているようにも見えた。
(…だからなんなんだよ、クソ)
意識しているのがまるで自分だけのような気がして、少し腹立たしかった。
「ステージ転換終わりましたー!BUCKSの皆さん入られますー!お願いしますー!」
ADの声がスタジオに響く。
その一言を合図に、陣はマイクを握りしめてステージへと向かった。
「で?どうするの?湊のこと」
その日の深夜。
いつもの如くラジオの収録後。
キューブへ帰ると、ダイニングで週刊誌やゴシップ誌に目を通していた瑞樹に声をかけられた。
どうするも何も、知るか、と叫びたいところをグッと抑えて、陣は瑞樹の向かいに座った。
瑞樹の手元の雑誌を適当に漁って、読んでみる。
すると、見覚えのない名前と自分の名前が連なって書いてあるのを見て、ふと手が止まった。
『伝説の国民的アイドル 榊真弥と現代の国民的アイドルBUCKS神名陣!二人は実の親子だった!?神名陣、その出生に迫る!』
(なんだこれ……誰だ?榊真弥…?)
「あぁ、それ?B級ゴシップ誌にしてはなかなか面白い記事だったよ。他はどこも報じてないから、一応スッパ抜きだよ。読んでみたら?」
「くだらねぇ。つか誰だよこのサカキマヤって?」
「一昔前の国民的アイドルだよ。僕も幼心に名前だけは知ってる。確か…事故死したんじゃなかったかな、その人」
「なぁ。こんな話しにきたんじゃねぇんだよ」
「わかってるよ。湊のことでしょう?」
パタン、と手元の雑誌を閉じた。珈琲の揺れるマグカップに手を添えると、瑞樹は陣に向かって微笑んだ。
雑誌をテーブルに置いて、陣も瑞樹と向き合う。
「お前さ、亮介との時、どうだったんだ?」
なんとなく、気になった。
瑞樹はどうして亮介を受け入れたのか。倫理観に縛られていそうな瑞樹だからこそ、ふと気になった。
マグカップに口をつけながら、瑞樹はどこか遠い目をして、過去を振り返るような面差しで口を開いた。
「告白っていうのはなかったけど…僕らの場合は、雰囲気でそうなった、かな」
「…嫌じゃなかったのかよ」
「嫌じゃないよ、ただ…最初はすんなり受け入れられなかったよ。だって僕たちは…」
「男同士」
「それに…ずっと一緒に育ってきた仲間でもあるし、ほとんど家族でもあるからね」
「まぁな…」
「だけど…ふと気付いたんだ。亮介が、僕の心の一部になってるんだってことに」
「…心の一部…?」
「亮介が傷つくと、僕も傷つく。亮介が嬉しいと、僕も嬉しい。亮介が好きなものを、僕も好きになってみたい」
「………」
「亮介と同じ空の下で毎日を迎えたい。晴れの日は晴れ、雨の日は雨。…一緒にいたいと思ったのは、本当に、ふとした瞬間だったよ」
そう言って笑った瑞樹の笑顔が美しくて、どこか眩しくて。少しだけ、瑞樹を羨ましいと感じた。
心の一部。
いつか自分も、湊をそんな風に感じることができるのだろうか?
いや、今でさえ、BUCKSのメンバーのことは家族だと思っている。
それ以上の気持ちを抱くことなんて、果たしてあるのだろうか。
「それで……湊と何があったの?」
「………」
静かにそう問われ、逡巡した。
全て話してしまおうか。
隠したところで話がややこしくなるだけだ。何も背負いこむことでもない。
そう思うと、少し楽になった。
陣は瑞樹のマグカップに視線を落として、ゆっくりと話し始めた。
「湊から…俺は他の家族とは違う、みたいな話をされて」
「うん」
「その時…ちょうどお前と亮介の事があったから、俺、ものすげぇ勢いで拒否っちまって。…驚いて」
「拒否ったって、どう拒否したの」
「アイツが…湊が感じてるその感情は……」
ただ俺に担がれただけだ、と。
全てお前の勘違いだ、と。
そう言って、何も無かったことにした。
「へぇ。陣にしてはなかなかキツイこと言ったんだ」
「そんでもってこの間の夜だ。お前らにフォローしろって言われてアイツの部屋に入ったはいいが、今度は俺が拒否られた」
「どういうこと?」
「慰めようとして手ェ伸ばしたら…」
「なに?振り払われたの?」
「…惨めになるからこれ以上はもうやめろ、だと」
「その反動が、馬鹿がつくほど仕事に熱中する、だったわけだ。湊」
「仕事をサボる、じゃなくてよかったな。まだ」
肩を竦めて笑うが、内容は深刻だ。
ほぼ告白同然のような言葉を投げかけてきた湊を拒絶し、見て見ぬ振りを貫いていたら、今度は湊の方から拒絶されてしまったのだ。
ハイ仲直り、とはいかない状況に、内心頭を抱えている。拗れに拗れてしまった。
「どうすりゃ元に戻ると思う?」
「湊が想いを口にした時点でもう元には戻らないよ。この関係をどうするか、の言い方の方が、この場合正しいんじゃない?」
「どうするって……」
受け入れる?
湊の気持ちを?
「そりゃちょっと……」
「考えられない?」
「……今はな」
男同士の恋愛なんて、考えたこともなかった。
それを突然、はい始めてくださいと言われたところで、どうしようもない。無理に決まってる。
ただ…湊とこのまま、ろくに口もきかず、やり過ごしていくのは、限界がある。
「明日あたり…湊と話してみるか…」
「どうあれ、まずはそれがいいと思うよ。陣と湊がうまくいってくれないと、僕らの方に皺寄せが来るからね」
「皺寄せ?なんだそれ?」
「バラエティで陣と湊の二人が絡まないから、残った僕らがガヤやってるの。最近。気付いてなかった?」
「あー、そりゃ…全然……」
「結構辛いんだよね、キャラじゃないことするって」
「ま……そうだな。悪かった」
瑞樹が笑うと、陣も、肩の力が抜けたようにふっと微笑んだ。
やはり湊との仲をどうにか修復する事が先決だ。
その想いをどう受け止めるのかも、少し覚悟しなければならないとは思うが。
面と向かって話をしなければ、どうあろうと、きっと先には進めない。
「とりあえず、まぁ…俺から近づいてみるわ」
「また手を振り払うようでも、ちゃんと最後まで話を聞いてあげてね。逃しちゃダメだよ、陣」
「おう。分かってる」
自分に対して、家族を超える愛情を感じかけていた湊。
そんな湊を拒絶せず、瑞樹のように受け入れていたら、どうなっていただろう。
『愛』だの『恋』だので、関係性が崩れるのが何よりも嫌だったのだけれど。
瑞樹と亮介のように。
緩やかに、関係性が変わるのなら。
それなら、耐えられるかもしれない。もちろん、いきなり恋人同士、とはいかないが。
湊との間に、新しい関係性を模索し、構築するしかない。
(明日…ちょっと話してみるか……)
頑なに拒んでいた扉を、少しだけ開けてみよう。
……そう思った矢先、だった。
「なんでこんな日に限ってバイクで来るかな、陣くん」
「土砂降りだぞ。バイクはこのまま置いていって、ロケバスで帰ったらどうだ?」
翌日。
その日は夕方から雨が降ると予報で言っていたらしい。
天気のことなんてまるでどうでもよくて、気にも留めていなかった。
そんなことより、帰宅してからどうやって湊に話しかけようか、と、そんな事ばかり考えていた。
「仕方ねぇよ。俺はコレで帰るから、お前らだけ先ロケバスで帰ってろ」
収録終わりのテレビ局の地下駐車場で、二手に分かれた。
バイクで局まで来た陣は、そのままバイクで帰ることを選んだ。心配する亮介の前でバイクの鍵をちらつかせると、そのまま残りの四人に背を向ける。
「気をつけて帰ってよ、陣!」
マネージャーの夏が大声で陣の背中に声をかけると、後ろ手に陣が手を振る。「心配するな、大丈夫だ」と言わんばかりに。
「ったく…本当に集団行動が出来ないんだから。さ、とっとと車乗って」
「はーい!」
元気よく返事をする志朗の声が地下駐車場に響く。
ふと、振り返ってみる。
すると、湊がこちらをジッと見ていて。
(湊……?)
視線が交わったのは、ほんの一瞬のことだった。湊はすぐに目を逸らして、ロケバスに乗り込んでしまった。
止めてあった自分のバイクにまたがると、ロケバスが出ていくのを見送ってから、陣は相棒のエンジンを吹かした。
――ザァァァァ、
降り出した雨は強さを増していた。
フルフェイスのヘルメットをしているが、視界が悪い。
メンバーが乗ったロケバスは、とうに先を行ってしまった。
高速道路をひた走り、少しだけ家路を急ぐ。
(……ツイてねぇな)
そう思い、少しスピードを上げた時だった。
自分の後方にいた黒塗りの乗用車が、いつの間にか自分の隣にピタッとくっつき始めた。
いわゆる並走をしているような格好に気付き、陣はふと不自然さを覚えた。
(なんだよ…絡んでくんなよ)
再び、スピードを上げる。
だが、ついてくる。
さらに悪いことに、乗用車は少しづつどころか、大胆にも陣に向かって幅寄せをし始めた。
雨で視界が悪いからとはいえ、どう考えてもおかしい。
執念深く並走を続ける乗用車から逃げようと、バイクの速度を落としてみる。
すると、乗用車は速度を落とし、やはり並走を続ける。左を走る陣に向かって、再び乗用車が思いきり幅寄せをしてきた。
(あぶねッ!!何だよ!?)
突然自分の進路を妨害された。
さらに、執拗に乗用車は幅寄せを繰り返す。
混乱する。
この車は明らかに自分を狙って幅寄せをしている。
そして、遂に。
その瞬間は訪れた。
黒の乗用車が何度目の幅寄せをしてきた時だった。
バイクの右後方と、乗用車が接触。
その衝撃で、バイクはバランスを崩して。
(う、わッ…!!)
――ガチャン、
乗用車とバイクが接触する音が聞こえて。
そして次の瞬間には、陣の視界には、雨に濡れたアスファルトが迫ってきていた。
→
ALICE+