※人形師×幼馴染女夢主(ネームレス)
荘園に来るよりも前の話。書きたいところだけ。

 首都郊外、人気の少ない山奥に彼女は住んでいた。人の手が入ってはいるものの、あまり整備されていないでこぼこの道をマティアスは無心で歩く。ちょうど春と夏の境い目にある気候は、彼の体をじわりと汗ばませた。

 快晴である。降り注ぐ午後の日差しは初夏の暑さを感じさせるものだった。時折そよぐ風も生ぬるいものであったが、日陰に入れば一転して肌寒い。木々に囲まれ、木漏れ日の落ちる小道をしばらく歩けば、目的地である彼女の家へと辿り着いた。
 木製の小さな家だ。少し前までは祖母と住んでたその場所も、今では彼女一人のための住処となっていた。

 扉をノックし、声をかけながら中へと入る。からんと軽やかにドアベルが鳴り、その音に気付いた彼女がこちらを振り向きニコリと微笑む。

「いらっしゃい、マティ。暑くはなかった? 飲み物の準備をしましょう。さ、そこに座って」

 そう言って彼女はキッチンへと向かう。カチャリと食器の触れ合う音を聞きながら、いつもの席へと腰かけた。年季の入ったテーブルには、家業である薬草の匂いが染みついている。
 至る所に吊り下げられたハンギングプランツやスワッグから香る甘い花と湿った土の交じり合った匂いは、敏感な彼にとってあまり好ましくはなかったけども。不思議なことに、それが彼女に纏わる物であるのならば、嫌々ながらも受け入れることが出来た。

「あなた、お昼ご飯はもう食べた? ちょうどパンも焼きあがったのよ」
「まだ食べてない」
「それならパンも持ってくるわ! 採れたてのベリーで付け合わせのジャムも作ったの!」

 どこか楽し気な様相でいそいそとトレーに乗せる彼女の様子を、マティアスはぼんやりと眺めた。以前準備を手伝おうとした時に彼女にこっぴどく怒られて以来、彼はおとなしく席で待つことにしたのだ。

 しばらくすれば、彼の前には焼きあがったばかりのパンと、彼女の注いでくれたハーブティーが並べられる。「私もお昼はまだだったの」はにかみながら自分の分も用意して、向かいの席へと座った。

「それにしても、見ない間に痩せこけたわね。目の下の隈も酷いし休めていないの?」
「……まあ、うん」
「それなら無理して来なくても良かったのに!」

 ぷりぷりと怒る彼女を前に、マティアスは考える。彼が定期的に彼女の家へ赴くのは、亡き彼女の祖母と、自身の両親の口約束によるものが発端だった。

 彼女の祖母は腕の良い薬師だった。劇の練習中に怪我を負った父を治してからというものの、彼女の祖母をいたく気に入った父はお抱えの医師として家の出入りを許していた。祖母は薬師見習いとして娘である彼女を連れ歩いていたので、マティアスは彼女と顔を合わせる機会が多かった。

 あの頃のマティアスは今ほど陰鬱とした性格ではなかったので、顔を合わせれば彼女と話していた。歳も近く、話すのも聞くのも上手な彼女といるのは、口下手で引っ込み思案のきらいのある彼にとっては居心地の良い物だった。
 今日はどんな薬草を調合しただとか、人形劇の練習についてだとか、互いの日常についての
とりとめのない話をすることがマティアスにとって丁度いい息抜きになっていたのだ。

 自身のぎこちない演技であっても、彼女の前で人形を動かしながら腹話術を披露すれば、キラキラとした瞳で称賛の言葉をかけてくれる。それは、彼の擦り切れた自尊心を満たすものだった。
 歳を重ねるにつれて、父のマティアスを見る瞳には落胆の色が濃くなって行った。ようやく生まれた期待の跡取りには、自身を超える才能がなかった。それは人形を愛する彼の父にとって、失望を覚えても仕方のないことだった。

 どうか彼女が自分以外の人形師を褒めませんように。それとも、今までの言葉はすべて耳障りの良い嘘だったのだろうか?

 臆病な彼は、彼女の言葉が本心であると信じることが出来なかった。父の期待に応えられない自分を、日に日に信用できなくなっていってしまったのだ。それでも、どうか。彼女が自分だけを見ていればいいと願わずにはいられなかった。彼女が、マティアスの心の最後の砦だったのだ。

 そんな折、彼女の祖母が亡くなった。

 老衰だ。ベッドの上で、彼女に看取られ亡くなった。日に日に体が動かなくなっていくこと、今まで自分で持てていたコップを落としてしまうこと、目を開けていられる時間が短くなっていくこと。
 死の予兆はわかりやすく目の前にあった。だからこそ、事前に葬儀の取り決めを行い、親交のあった我が家に孫娘を託した。最初は養子として迎えることも検討していたようだが、それは彼女の方から断りがあったため白紙となった。

「思い出の詰まった家を手放したくないのです。養子となれば、この家が朽ちていくのはわかりきっている。それは物理的にも、自身の中にある記憶としても。いつか過去の記憶になるのは仕方のない事だけど、それが今である必要はないと思うのです」

 涙をこらえた、今にも泣きだしてしまいそうな表情を見て、不謹慎にも「綺麗だな」とマティアスは思った。
 彼は女心を解する器用な男ではなかったので慰めの言葉をかけることは出来なかったが、その代わりに、彼女の傍に寄り添うことを選んだ。

 打算である。弱り切った彼女に付け込んだのだ。誰も頼るあてのない彼女に、祖母の遺書を免罪符に彼女の元へ足繫く通った。
 親交のあった両親も彼女のことを心配していたが、仕事の関係で様子を見に行くのは厳しいものがあったので、名乗りを上げたマティアスにホッと息を吐いていたのを知っている。

 定期的に彼女の元へ訪れれば、いつも困ったような表情をして彼を迎え入れた。普段の輝くような笑顔は何処かへと消え、今は陰りを帯びている。マティアスが母から持たされていた果物と手料理を渡せば、少しばかりやつれた彼女は「ありがとう」と受け取った。

 小さな家に閉じこもって、たまに訪れるマティアスとだけ会話をする。他の誰でもなく、私と。マティアスの心には、ほの暗い喜びが満ちていた。
 疑心も、疑念も。臆病な彼の心にはいつだって相手に対する不安が過ってしまうけれど、頼れる相手が自分しか居ないのならば、そんなものは関係ないと思った。

 彼女に会うためなら、憎たらしい程の太陽の下だって自分から進んで歩くことが出来た。雨の日は気分が高揚して、ぬかるんだ足元さえも楽しい。雨に打たれた自分を見て、タオルを持って慌てて駆けてくる彼女を見るのが好きだった。

 次第に彼女も元気を取り戻していって、最近では町に自身の作った薬を卸しに行っているらしい。回復したのは良いことだが、愛らしく、誰とでも屈託なく話すことの出来る彼女が多くの目に止まるのは嫌だった。
 何より、彼女の目が自分以外へと向く事が耐えられなかった。彼女の魅力である明るさを受け入れられなかったから、バチが当たったのだろうか。

 パリへと興行へ行った際、父がマティアスをモデルにして作った人形と行ったパフォーマンスで名を爆ぜた。その日からと言うものの、マティアスの生活様式はガラリと変わった。富と名声。社交が苦手な彼にとっては地獄のような日々の幕開けだった。それだけなら、まだ良かったのだ。

 目の前で笑う不気味な人形。マティアスを模して作られ、「ルイ」と名付けられたその人形は、気づけばマティアスの居場所を奪っていった。人形のクセに、糸で操らなくとも自由に動き、声を当てずとも自分で喋る。
 振りまく愛嬌で他者を篭絡し、マティアスの物をひとつ、またひとつと奪い去っていく。そうして、ニタリとした厭らしい顔でこちらを見るのだ。

 眠れなくなった事を自覚している。ストレスの原因も明白だ。マティアスは、嫌でもルイの相手をしなくてはならないのだ。その度に耳障りな声と相対することになるのだから、正気を保つので精一杯だった。
 マティアスがルイに冷たく当たれば、父はそれを咎める。それにより更に冷たい眼差しを向けて、遂には嫌味もこぼれる。悪循環だ。そうやって、愛されていた息子の地位をルイに奪われた。

「それでも、きみに会いたかったから」
「まぁ、まあ! 今日のマティは大胆ね!」

 照れた表情を誤魔化すように、彼女はカップに口を付けた。彼女だけは、ルイに奪われてなるものかと思った。ここへ訪れるのが久しぶりになったのも、ルイに気づかれないよう細心の注意を払ったからにすぎない。

「眠れないのならカモミールティーなんてどうかしら? それともホットミルク?」
「きみの勧める物ならなんでも」
「それなら先日買ったテーバックをおすそわけしましょう。食べ終わったら少しだけ横になる?」
「……いいの?」
「良いも何も、時間が許すならいつまでだっていいわよ」

 こんな状態のあなたを帰す方が心配ですもの、と告げる彼女を見て、そこでようやく薄らとした笑みが顔に浮かんだ。

◆

「最近、あの子の様子はどうだい?」

 思い出したかのように告げる父に、マティアスは内心舌打ちをした。わかりやすく興味を示したルイに、父は彼女についての説明をした。

「元気がないの? それってとっても心配だね。ルイが芸術的なショーをしたら、その子も元気になってくれないかな?」
「フフ、ルイは良い子だね。しかし、人の心というのは難しいものだ。悲しみの中では、純粋な心を持って笑顔を受け取れない。彼女に聞いて、大丈夫なら今度一緒に会いに行こう」
「わーい!僕、とっても楽しみ!」

 ルイへと向けるあたたかな眼差しを一変させ、マティアスに「あとは任せた」と無機質な視線でもって告げ、部屋を出ていく。
 最悪な気分だ。胃の腑からせり上がってくる物が、喉の粘膜を焼いてしまいそうだった。残された一人と一体は暫くの沈黙の後、口を開く。

「隠し事なんて酷いじゃないか! どうして教えてくれなかったんだい?」
「……教える義理も無いだろう」
「へぇー、そう。教えたらその子も僕に取られちゃうもんね!」

 ケタケタと嘲るように笑うルイを、マティアスは静かに見つめた。しかしその瞳には感情が渦巻いている。嫌悪、憎悪、嫉妬……それから、不安。雄弁に語る瞳を見て、ルイは声を上げて笑った。

「いつもこっそり眺めてる手紙、その子からなんだ」

 マティアスは何も答えない。しかし、ルイは納得したように「そうなんだ!」と告げたので、今度は隠すことなく舌打ちをした。

「マティアスにとって大事な子なんだ! それならきっと、僕にとっても大事な子なんだろうね。安心して、きみの代わりに僕がその子を大切にするよ!」

 そうある事が至極当然であるかのように、疑うことのない純粋な声音でルイは言う。マティアスは眩暈がして、その場に立っていられそうになかった。足元から地面が崩れ去るような感覚だ。
 いくらルイがマティアスの立場を乗っ取ったとしても、思い出までは奪えない。あの時自身が抱いた感情を、ルイがそっくりそのまま抱けるワケが無いのだ。そういう意味では、ルイは本当の意味でマティアスになれる事は無い。

 それでも、彼女の隣にルイが居たら。マティアスに向ける微笑みをルイに向けたら。その時、自分がどうなってしまうのかわからなかった。