静寂が辺りを包んでいる。夜も深いこのような時間には、ただ漫然と自身の中に取り込まれた記録を眺めながら暇を潰すのが日課となっていた。

 「さかなのしょ」はこの世界に生息する数多の魚を記録するために生まれた本である。天高く伸びた本棚、そこに敷き詰められたあらゆる本とは一線を画した存在であるという自覚はある。なにせ、自我があり、意思の疎通が可能なのだ。それは隣に繋がれている片割れも同じではあるのだけど、現状その様な風変わりな本と言うのはこの二冊だけだった。

 表紙に備わった一つ目を開き、辺りの様子を伺う。相も変わらず人の気配なんてものは何処にもなく、自身をこの鎖に繋いだ男の姿は無い。昼間の彼の特等席である大きな椅子はポツンと寂しげに鎮座しており、奥の階段を登ったとて夜の彼はもういないだろう。

「やめておけ」

 隣を見れば気怠げな目をこちらへ向ける片割れがいた。似たような存在であるからか、どうやら自分の考えは筒抜けであったらしい。

「おや、バレてしまいましたか。それにしてもよくお気づきになられましたね」
「長年オマエの傍に居るからな、嫌でもわかる」
「でしたらワタシの事を想って知らないフリをしてくださってもよろしいのでは?」
「後々面倒になるのが目に見えているからな」

 やれやれとでも言いたげに片割れは目を閉じた。

「束の間の自由を得た所で連れ戻されるのは分かってんだろ」
「その自由の内に事を成せばよいのです」
「あの女をオマエの体内に取り込むって?」

 ハッと乾いた笑いを上げる。如何にも馬鹿にしていると言うような声音であった。自身の考えを読むことは出来ても、その行動をを理解されないと言うのは中々に不思議なものだ。

 「さかなのしょ」は魚を記録するための本である。様々な住民が釣り上げた魚を持ってきて登録し、その対価に見合った物を渡す。それが常であった。
 様子が変わったのはとある女が現れてからである。彼女は未知の存在だ。はじまりとおわりの部屋を通らずに、突如街中に出現した"人間"。現在は校長が保護し学生寮で世話になっていると言う女。
 彼女を一目見て、「記録したい」とただ考えた。女は魚ではない。人間だ。それは最初から理解しているというのに、さかなのしょはその女を自身の中に記録したくて仕方がなかった。

「いついかなる時でも彼女を見返せるのなら、それはとても素敵なことだと思うのです」
「サイズを考えろ、どうやって記録するんだよ」
「それは、こう」

 ぱくりと。なんて言いながら鋭い牙の付いた"口"を開ける。

「そんなんだから悪評が広まるんだ。オレはこんなにも大人しくて穏やかな気質だというのに」
「おやおや、いったい誰の話をなされているので?」
「……少なくともオマエよりはマシだ」

 笑い声が木霊する。もしも住民が通りがかったのなら、きっと怯えて逃げ出してしまうだろう不気味な声だった。