私はジョバンニではないし、カムパネルラも傍にはいないけれど。気づけばこの星穹列車と呼ばれる場所に居た。
なんの前触れもなく唐突にこの列車に現れたものだから、あわや敵襲かなんて最初は思われたりもしたのだが。
それよりも、見るからにパニックに陥っていた私に敵意など皆無だと。保護する対象であるとして姫子さんとヨウさんに星穹列車の一員として受け入れてもらった。
私にとっては異世界と思われる場所。知らないことだらけで二人にこの世界の常識について教わりながらの生活がしばらく続いて、そうしてようやく最低限の常識が身についた頃には列車内のお手伝いをするようになった。
私自身には戦う力が無いから基本的には車内にいることが多いけど、安全な場所であれば偶に降り立った星へ支援物資を届ける事を任されたりと自分の身の置き場が出来て、そこで漸く人心地がつけた。
それまではどうにも不安が拭えなくて、今までの常識が通じない場所に独りぼっちでいるような感覚が続いていたものだから。やっと地に足のついた生活が送れるような、そんな気持ちになったのだ。
丹恒さんとはあまり関わることは無い。お互いに詮索しない今の距離感が丁度いいのだと勝手に思っている。
なのかちゃんとは結構お喋りをする方だ。彼女は記憶喪失で、なんでも氷の中から助け出されたそうなのだけど。恐らく一番年が近いから二人でとりとめのない話をしたりショッピングに行ったりなんかもする仲だ。
そんな二人が連れてきたのが穹くんだった。詳しくは知らないが星核という物を身に宿す、この世界の人からしても不思議な存在であるらしい。
彼は何かとこちらに構ってくる。構ってくる、というよりは構われに来る?といったほうが表現として適切かもしれない。
「それ、何読んでるの?」
「今ベロブルグで話題の恋愛小説だよ」
「へぇ、恋愛小説とか読むんだ。なんだか意外だ」
客室車両の突き当たり、その端にあるテーブル席に腰を掛けて本を読むのが日課になっていた。言語や地理、法律に関わるものなど堅苦しい本を読んで勉強をしたりもするのだけど、そればかりだと集中力が持たないので息抜きにこういった娯楽本を読むのだ。
こうして読書をしていると、いつのまにだか彼はやってきて向かいの席に座っている。普段遊んでいるゲームをすることも無くこちらをじっと見つめては、時折話しかけてくる。
「けっこう面白いよ。穹くんも読んで見る?」
「いいよ。それよりあんたの感想が聞きたい」
「私の?面白くもなんともないと思うけど」
不思議な問いかけに首を傾げる私を見ながら彼は微笑む。自分で読んだ方が何倍も面白いと思うけど、本を読むのが得意ではない人からすると読んだ人の感想を聞くのは楽しいのかもしれない。
とはいえ、穹くんは本が苦手と言うわけではないと思う。様々な資料を読んで情報を纏めるのも得意だし、資料や本を拾ってきたりもする。資料や本を拾うって何だ、とは思うけど本人も拾ったとしか言わないからこの世界では良くある事なのかもしれない。
今回降り立ったヤリーロ-�Yでも変わらずに本や資料を収集していた。もしかして恋愛ものは苦手だったりするのだろうか。やっぱりわからずに頭を悩ませてしまう。
「あんたがソレを読んでどう思ったのかが知りたい。正直、本の内容についてはそこまで興味が無い」
「えぇ?それって聞いてて楽しいの?」
「楽しいよ。あんたと話せるならなんだって」
星屑を散りばめたような金の瞳が、熱によってとろりと溶ける。彼は纏う空気のせいなのかどこか人形のような無機質さを感じるのに、こうして感情を表に出す術に長けているからどぎまぎしてしまう。精巧に作られたビスクドールに色が乗る。それだけでこうも人目を惹きつけるのだから顔の整った人というのはズルい。
「それじゃあ、読み終わったら一番に感想を伝えるよ」
「言ったな。約束。どっかの星では嘘をついたら針を千本飲まされるらしい」
「なんか伝えなかった代償が大きくない?」
「あんたが針を千本飲まずに済むように読み終わるまでここで待ってる」
「まだ時間かかるよ。今日は他に予定とか……」
そう問いかける途中、通知音が空間に響く。音の発生源は彼であった。一瞬顔を顰め画面を確認した後、何事もなかったように話を続けようとするものだから私は慌ててしまう。
「それ、返信しなくて大丈夫?急ぎの呼び出しじゃないの?」
「別に。後からでもいいやつ。それより今はあんたの傍にいたい」
飾り気のない言葉だからより一層胸に刺さる。本当に大丈夫なのかな、なんて考えは過るけどそれどころでは無くなってしまった。きっと彼には他意なんてものはなくて、この列車の末っ子だから人に甘えたいだけなのかもしれないけれど。
それでもやっぱり、心臓に悪い。
◆
この列車に居ると時間の感覚が分からなくなってしまう。朝と夜の分かれ目は明確にはなくて、外に広がる一面の真っ暗闇に浮かぶ大きな惑星と星々のきらめき、それから室内の柔らかな橙の光が変わらずに照らしているだけだ。
開拓者は眠れるときに眠る。というように皆不定期に睡眠を取っているモノだからなおさらわからなくなる。体は大丈夫なのかと心配になるけど、私ほどやわな人はいないからきっと大丈夫だろう。
今はどうやら眠りについている時間のようだ。もしかしたら、自室で作業をしている人もいるのかもしれないけどこのラウンジには現在私以外は誰もいない。パムも今は他の場所に行っているようだ。
窓際の席に座る。しんと静まり返ったラウンジはやけに寂しい。こういう時は郷愁に駆られてしまい無性に泣きたくなってしまうから嫌だ。
ぼんやりと外を眺める。無数に輝く星の中に私の帰る場所はあるのだろうか。いつになったら帰れるのだろう。ここが悪い場所と言うわけではない。私にはもったいないくらいのとてもいい場所だ。優しい人に囲まれて生活する。それは素敵なことだけど、周りが優しいからこそ申し訳なさが湧いてくる。
はやく、帰りたい。未練が生まれる前に。結局のところ身勝手なわがままに過ぎないのだけど。自分が傷つくのが嫌だから、思い出が抱えきれなくなる前に帰ってしまいたい。突然この列車に来てしまったのだから、帰る時もきっと突然なのだろう。
その時にこの世界に戻りたいとみっともなく泣きわめきたくは無いのだ。それは私のちっぽけな矜持に過ぎないけれど。元の世界よりもこの世界への思い入れが強くなって、そうして自分にとって大きな存在になってしまうのが、なによりも、怖い。
コツン、と足音が響く。見上げれば穹くんがいた。ぼーっとしている私を驚かせないようにわざと足音をたててくれるのだから、彼はなんとも優しい。
「眠れないの?」
「うん。穹くんは?」
「俺も。なんか目が冴えちゃって」
あ、そうだ。なんて言いながら彼は歩いていく。しばらくすると、二つのマグカップを持って戻ってきた。コトリ、と私の前に一つ置く。
「眠れないときはホットミルクだ、て丹恒が言ってた」
「なのかちゃんじゃなくて?」
「なのだったかもしれない」
変わらない表情でそんな事を言う穹くんに思わず笑ってしまった。私はなのかちゃんが言ったんだと思うけど、意外と丹恒さんはホットミルクが好きだったりするのかも。それはそれで可愛くていいかもしれない。
「ありがとう、美味しいね」
「俺の愛情がたくさん入っているからな」
「どのくらい?」
「言葉では表現できないくらい」
「そんなに入れてくれたの?」
キリッとした顔で頷く。それを見て更にくすくすと笑い声があふれる。さっきまでの嫌な気持ちはどこかへ行ってしまったようだった。
「それじゃあ、美味しいわけだ。五つ星レストランも目じゃないね」
「星十個でも足りない」
「自信がすごいなぁ」
ほんのりと甘い味がする。きっと、はちみつを入れてくれたのだろう。とても飲みやすくて私はすぐに飲み干してしまった。
「眠れなかったらいつでも言って。ホットミルクなら入れられるから」
「迷惑になっちゃうよ」
「俺はあんたの専属シェフだからな。いつでも呼んで」
「十つ星レストランの専属シェフなんて、贅沢だなぁ」
顔に笑顔を浮かべたまま、飲み干したカップの底を見つめる。どうして、こんなに優しいんだろう。私はこのやさしさに、少しでもなにかを返せるのだろうか。
「……無理に話せとは言わないけど。でも、悲しんでる顔は見たくない」
あー、と彼にしては珍しく視線を彷徨わせている。言葉を探しているうちに、ぱちりと私と視線が合う。それから三度ほど瞬きをして口を開いた。
「余計なお世話かもしれないけど、でも、一人にしたくない。今にも泣きそうなあんたは特に」
そう言われて、思わず頬に手を当てる。そんなに辛気臭い顔をしていただろうか。少しばかり困惑した私に対してさらに言葉を続ける。
「あんたの涙を拭うのは、俺がいい」
まぁ、泣かないのが一番だけど。そう続ける彼に、私はそのままの態勢で固まってしまった。もし、これが勘違いではなくて。たとえば、私と穹くんの向ける感情が同じだとするのなら。
──それならなんと、救えない。
私はこの感情に気づかないふりをしていた。実る前に終わらせようとした。それも、片思いだからこそだった。
気づきたくなかった未練が、ここに生まれる。帰る方法はまだわからない。
夜明けには程遠い