いつも通り帰っていたはずなのに、気づけば見知らぬ場所ににいた。右を見ても左を見ても、まったく見たことの無い風景が広がっているものだから、途方に暮れて立ち尽くしてしまう。
幸いであったのは、近くに住んでいた老夫婦が私を見つけて保護してくれたことだ。きっと人生に於ける幸福の量が定められているとしたら、私はここで使い切ってしまったのだろう。
二人は街の外れで古書店を営んでおり、一階は店舗区画、二階は生活スペースとなっている。ここは知る人ぞ知るというような店であるため人の出入りは少ないが、珍しい書籍を多く取り揃えているため色んな星に顧客を抱えているそうだ。
色んな星。この世界には様々な星が存在している。それは私のいた場所でも同じだけど、ここではそれぞれの星に文明が築かれていて、多くの種族が繁栄している。
この周辺には私と同じような見た目の人間(とは言え、長命種の可能性もある)しかいないけど、時々お客様に狐の耳が生えた方がいらして、顔に出さないように努めたけどとても驚いてしまった。
「それじゃあ、ワシはこの本を李先生の所へ届けてくるから留守番は任せたよ」
「わかりました。いってらっしゃい、気を付けてね」
「ああ、行ってくる。婆さんも夕方には帰ってくるから晩御飯は先に二人で食べておきなさい」
現在、私はこの古書店の店番を担当している。とは言っても、人が訪れることは滅多にないのでやる事と言えば本棚の整理や掃除くらいのものだ。時々電話で取り置きの対応をしたりもするが、基本的にカウンターで本を読みながら来るかもわからないお客様を待つのが主な仕事になる。
パラリ、本のページを捲る。ありがたいことに、この世界の文字の読み書きが何故だか出来るので苦労をせずに読み進めることが出来た。理由については精神面を考慮して意識的に深く考えないようにしている。
古い紙特有の香りに満たされたこの小さな部屋が、私にとって何よりも安心できる空間だ。訳も分からず知らない場所に放り出されて、パニックに陥って支離滅裂な話しかしない私を、嫌な顔もせずに宥めて二人は家へと招いてくれた。
帰り方がわかるまでここに居ればいいと言うお爺さんと、わたし可愛い孫娘が欲しかったのよねぇと朗らかに笑うお婆さんの優しさに泣きながら頷いたのだ。なので、少しでも二人の役に立ちたいと思うのだけど、現状はこの有様だ。
私も配送の手伝いができたら良いのだが、外には危険な生物が徘徊しているからワシが元気な内は孫を危険な場所にはやれんなぁと快活に笑うお爺さんに止められてしまった。
それならお婆さんの手伝いをと申し出たのだが、あんなのの相手なんてさせられないわとほわほわ笑いこれまた止められてしまった。いったいどんな人を相手にしてるんだろう。
そういったわけで、結局今日もこうして帰る手がかりを探すために本を読み、過ぎていく時間に身をゆだねている。半分まで読み終えたあたりで来店のベルが鳴ったので立ち上がって出迎えた。
「失礼する」
「あ、刃さん。いらっしゃいませ」
彼はお爺さんの得意先の一人だ。厳密に言えば彼の上司がお得意様なのだが、どうにも忙しい方のようで刃さんが代わりに本を受け取りに来ている。こうして言葉を交わすのも、もう何度目だろうか。
「取り置きの分はこちらになります」
「ああ、確かに」
初めて彼を見た時、その圧倒的なオーラに体がすくんでしまった。私より頭一つ以上大きな身長と恵まれた体躯。誰も寄せ付けることの無い、寒々とした夜の空気を纏った人。自分とは住む世界の違う存在だと直感的に思った。
その認識は今でも変わらないけど、彼が理不尽を振るうような人ではないと知っているから以前よりは緊張せずに話せるようになった。
「あの、無言で包みを押し付けないでください……」
「受け取れ」
「以前も言いましたけど高価なものは受け取れませんって」
「……高くない」
「見え透いた嘘を吐かないでくださいよ〜…」
見るからに高級店の繊細なラッピングを施された包みを、抵抗もむなしく受け取った私は困り果ててしまう。
「仕事への正当な報酬だ。気に病む必要は無い」
「私はただお渡ししてるだけなのですが……」
仕事の配分については九割をお爺さんが行っているようなものなのに、こんな好待遇を受けてしまってはいつかバチが当たるのではないかとヒヤヒヤしてしまう。
「それにしても」
ザクロを溶かしたような瞳がスッと細められる。前髪の隙間からこちらを覗く視線は研いだナイフよりも鋭くて私の体はビクッと跳ねる。張り詰めた空気に息が苦しくなった。
「その髪飾りはお前自身が選んだものか?」
「……いえ、これはお世話になっている商人の方から頂きました」
お婆さんが懇意にしている年若い商人は私の境遇に同情してくれているらしくよく気にかけてくださるのだが、最近髪が伸びてきて邪魔だから切ろうかと思っていると話した際にこのリボンをくれたのだ。
切るのはもったいない、と渡された控えめだが品のあるレースのあしらわれた青いリボンは服に合わせやすくお気に入りだ。そのため最近ではよく身に着けているのだけれど。
「男か?」
「はぁ、そうですけど」
痛いほどの沈黙が走る。私は居たたまれなくなって何か話題を変える方法は無いかと考え、手元にある包みについて話すことにした。
「え、えっと。今開けても良いですか?」
彼はしばらくの沈黙ののち、ひとつ頷く。それにホッとして私は丁寧に包装を外して箱を開けた。
「ネックレス、ですか」
「ああ、ピアスと迷ったがお前は開けていないからこっちにした」
「ピアスホールもいつか開けたいとは思うんですが、なかなか勇気が出なくて」
言い訳のようにそんな言葉が口から滑り落ちた。異質な環境にいるとはいえ、本来私はそこまで鈍くない。ネックレスの中央に鎮座する小ぶりだが純度の高い宝石は彼の瞳と同じ色をしている。
異性にネックレスをプレゼントする意味が私のいた場所と同じかはわからないが、先程の会話と合わせても、このような贈り物をされるとどうしても穿った目で見てしまう。ただの書店員に対して何故このような事をするのか、深くは考えたくない。
「お前が自ら傷をつける必要は無いが、それでも開けたいのなら俺を呼べ」
「もしかして私の代わりに開けてくれるんですか?」
「お前が望むのなら」
俯いて「それなら、ピアスがしたくなったら刃さんにお願いしようかな」と告げる。きっと今の私はひどい表情をしているから、そんな顔を見られたくなかった。
彼はそのまま箱へ手を伸ばしネックレスを取ると、私の首に着けようとするので動揺して一歩身を引いてしまう。
「刃さん!?いきなり何をするんですか!?」
「動くな、ズレる」
真正面から向き合っているので、まるで抱きしめられているような感覚になり気恥ずかしい。刃さんは動揺など一切すること無く変わらないペースでネックレスを着けていて、私はなんとか意識を反らすためにサラリと流れる彼の長い髪を眺めていた。
「似合っている」
「……そうですか」
ネックレスを着けると同時に髪を結んでいたリボンを奪われる。縛っていた髪の毛がパサリと落ちてきて、首元を覆う感覚が少しばかり鬱陶しい。彼はそのままリボンを無造作にしまい何事も無かったかのように向き直る。
「お前が気に病むというのなら、対価にこの髪飾りを貰っていく」
「とんだ押し売りもあったものですねぇ」
お互いに素知らぬふりをして、表面をなぞるだけの会話を続ける。確信に触れてしまえばこの関係は崩れ去ってしまうからだ。刃さんは私のペースに合わせようとしてくれていて、その優しさに応えられない自分が嫌になる。
現状は自分のことで精いっぱいで、それ以外の事なんて考えている場合では無い。それに私は元居た世界を諦められないから、いつか別れが来てしまう。それがどうにも耐えられない。
本当はこんな宙ぶらりんの関係は良くないと分かっている。相手に対して不誠実だ。それでもこの薄氷の上を歩くような関係を続けているのはただのエゴでわがままだ。
──私は臆病で、身勝手で、なんてズルい女なんだろう。
◆
天気の良い日というのはどうにも眠たくって仕方が無い。今日も変わらず店番をしながら本を読んでいたのだが、窓から差し込む光の心地よさにうとうとと微睡んでしまう。暑くもなく、寒くもなく、そうしてお昼ご飯を食べ終わってすぐだというのもあって抗いがたい眠気に襲われた。
「……刃さん?」
目を覚ますと見慣れた姿があった。しかしながら、どうにも珍しいことに彼は窓枠に凭れ目を閉じていた。眠っているのだろうか?来店の際に起きなかった自分に恥じ入りながらも、そんな刃さんの様子が気になり近くに寄ってみる。
不健康な色をした顔にはバランスよくパーツが配置されている。これが黄金比と呼ばれるモノであろうか。少し眉間に寄った皺も、それから眠れていないのか深く刻まれた濃い隈も。それすらも綺麗にまとめ上げて芸術へ昇華されたような退廃的な美がそこにはあった。
何故だか、触れたら自分が傷を負ってしまうような気がしてならなかった。頬に触れた指先の皮が裂け、そこから血が流れるのではないかという錯覚。寧ろこれだけの美を謳っているのなら触れた私の方が傷つけてしまいそうなのに。
「気は済んだか」
「起きていたんですか!?」
「それだけ熱心に見られてはどんなに鈍い人間でも起きるだろうさ」
フッと皮肉気に笑う。これは起きなかった私への当てつけだろうか。職務怠慢の私が全面的に悪いので何も言い返すことが出来ない。
「最近、眠れていないんですか?」
「ここしばらくは」
すると、彼は突然私の手を掴み抱き寄せる。あまりのことに驚いて身をよじるが抜けだせない。そのまま耳元で秘め事を囁くような、そんな声音で話し出した。
「お前を彼岸に連れていくつもりは無かったんだがなぁ」
ほんのりと血の香りがする。それはきっと、彼の包帯から滲んだ物であった。いつだって彼はその身に癒えない傷を抱えている。私にはその理由を聞けるほど、彼に踏み込む勇気は無かった。
「なんだか、外が騒がしい気がします」
「見ない方が良い」
「でも……」
喧騒が、じわりと這い寄ってくる。言いようの無い不安に突き動かされて私は外へ駆けだした。その選択がわかっていたように、刃さんは引き留めること無く私の背を見送った。
「やはり、運命は変わらない」
◆
外へ飛び出すと、遠くで火の手が上がっていた。黒い煙と、逃げ惑う群衆の声がどんどん近づいてきている。そうだ。今日は二人とも街へ出向いているのだった。お世話になった方と食事をするのだと、そう話していたではないか。
街への距離も、自分の体力も。そして、街へ向かったところで自分に出来ることなどない。そんなことは理性で分かっていても本能はただ二人の無事を確かめたくて、先のことを考える余裕も無くて、駆けだす。
多くの人の波に逆らって私は駆ける。途中で靴が片方脱げたことも気にせず、ただひたすら走っていた。そんな時、誰かに肩を掴まれる。
「どこに行くんだ!早く逃げなさい!」
それは私にリボンをくれた年若い商人だった。焦燥に満ちた顔で、それでも私を心配して立ち止まってくれた。なんて優しい人の縁に恵まれた事だろうと場違いにも泣き出したくなった。
「今日、祖父母は街へ向かったんです。安否を確認しないと!」
「きっと君のお爺様もお婆様も無事に逃げている!今は早くここから離れて、安全な場所で落ち合うのが得策だ!」
冷静になれない頭では、彼の意見を上手く飲み込むのが難しい。きっと、彼の言っている事は正しい。ここに居たって何もできない。自分から死に突き進むような愚行だ。それでもこの場を後に出来ないのは二人が逃げ延びた確証が無いからだ。
躊躇う私に焦れた彼が手首を掴み走り出そうとする。私はそれに制止の声を上げなかった。否、上げれなかったのだ。
彼の胸から、剣が生える。彼の口から、血が流れ落ちる。はくはくと動く口は状況を理解できていないのだろう。彼の瞳に映る私は目を見開いたまま固まっている。
剣が引き抜かれると同時に彼の体は地面に崩れ落ちた。頬に浴びた返り血は嫌に生ぬるく、現実から目を反らすことを許さない。
「どう、して……」
顔を上げれば慣れ親しんでいた深い赤の瞳と視線が交わる。しかしながら、そこに浮かぶ感情は無であった。人を殺したというのに普段となんら変わりなく佇んでいる彼に対して、初めて本当の意味で恐怖した。
住む世界の違う存在であるとはひしひし感じていた。それでも、彼の与える優しさは本物であったから。私を気に掛ける様も、くだらない会話を重ねる様も。そうであったからこそ目を反らし続けていた違和感がここに帰結する。
あまりの恐ろしさに体の力が抜ける。その場にへたり込めば、あの商人の流した血が地面に触れた服に染み込む。一面が赤い海のようであった。私もここで殺されるのかもしれない。そんな事をぼんやりと思った。
刃さんは倒れた男を一蹴すると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。座り込んでいる私と目線を合わせ、血に濡れた頬に手を添える。
「やはりお前には赤が映える」
心底愛おしいといった様相で告げる目の前の男に私は動揺する。この状況の一切が彼にとってなんら心を動かすに足り得ないのだという事実がありありと伝わった。今、この瞬間。彼の興味は私にしか無い。その異様さに体は機能する術を忘れたように固まってしまった。
「私を、殺すんですか」
そう問いかけるも変わらずに頬を撫で続ける彼に、審判の時を待つ敬虔な信徒のような面持ちで押し黙る。目の前にいる男が私の行く末を左右する。自身ではどうすることも出来ない状況に怯えながら、次に発せられる言葉を待った。
「この星は今日滅びる運命だ」
ゆったりと、滑らかな低音が耳朶を打つ。それは天から遣わされた使者が揺るがない予定調和を告げるような残酷さであった。この星が、滅びる。なんと現実味に欠けた言葉だろう。しかしながら、目の前に広がる光景が否定を許さない。
「この星に生息する全ての生き物は平等に死を与えられ、終わりを迎える」
「そうであるのなら、刃さんが私を殺さずとも勝手に野垂れ死ぬのでは」
「まぁ待て。そう話を急かすな」
まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるような、そんな穏やかな仕草が場にそぐわず、言い知れぬ薄気味悪さが増長する。慣れない緊張感に晒され続けて今にも気を失ってしまいそうだった。
「お前はこの世界の人間ではないから連れ去っても構わない、とエリオは言っていた」
その言葉に思わず目を見開く。私が異世界の人間であることは親しい人以外には知られていないからだ。誰も彼も口が堅く、それならなぜ知っているんだと疑問が湧いた。それに、連れ去るとはどういうことだ。死とは別の方向で不穏になる話の流れに口をぎゅっと噤んだ。
「毒にも薬にもならない。そんな人間であるのなら好きにすれば良いと」
そう言いながら彼は私を抱き上げる。あまりの事に驚いて一瞬動きが止まったが、慌てて下ろすように説得する。
「私はまだお爺さんとお婆さんに会っていません!それに、この星が滅びると言うのなら私も二人の傍で終わりたい」
本当は、死にたくなんてない。本当は、帰りたくて仕方がない。それでも、この世界で家族のように接してくれた二人が何よりも大切なのだ。それこそ、この星が滅んでしまうのであれば最期の瞬間に共に在りたいと思うほどに。
「それは叶わぬ願いだ」
火の手が強くなる。ジリジリと肌を焼く熱さと、有機物の燃える臭いに目眩がしそうだ。
「死への希求は誰よりも理解している。だが、お前が死ぬのは今ではない」
宥めるような、そんな柔らかな言葉が降り注ぐ。震える呼吸では、上手く言葉を紡ぐ事が出来ない。
「本当は、彼岸へは一人で向かうつもりだったのだ。それだというのに、嗚呼。実に不思議だ」
甘やかな独白。きっと、このような状況で無ければ聞き惚れてしまうだろう。体がカタカタと震える。見なければいいのに、何故だが私はつられるように顔を上げる。目が合った瞬間、逃げられないという確信があった。
「俺に見つかった己の不幸を嘆くことだな」
燃える彼岸で逢瀬