水葬


明かり


 靴を脱いだ両足にビニールシートの感触を受けながら、真新しい蝋燭を受け取る。このときになって初めて、爽は胸の高鳴りを感じる。みたらし祭りには多様な屋台が立ち並び爽の目を引いた。だから、射的などの遊びがこのお祓い祈願を退け、爽の毎夏の化身となってしまうのも無理のないことだった。
 けれど、夜闇に水辺の静けさを感じつつ、爽は思う。この静けさは、遊び、などとはまるで違っている、と。爽はようやく思い出すのだ。御池の水際を前に、心臓の鼓動までもが秘密めく感覚を。昨年の夏も、このどきどきに呑まれたことを。
 列が前に進む。爽はごくり、と唾を呑んで、暗がりの先、御池の水面を見据えた。
 ひたすらに、あのつめたい水に触れたい。待ちわびる冷感とじっさいに肌に受けている人ごみの熱気がちぐはぐで爽は微かに身悶えした。
 列が前に進む。
 いよいよ爽の順番が回ってきた。蝋燭をぎゅう、と握りしめる。
 そろり、爽のつま先が、水面に触れた。
 しん、と冷えた水のつめたさは、足の爪の間の微細なあわいを穿ってくるようで、爽の血管の熱を侵した。身体の内側が震えるのを感じながら一歩踏み出す。水が動いて快い音がした。垣に潜む虫の声が膜を張ったようで、隙間ない世界へ爽を包む。
 歩みを進めると遠くに献火台の明かりが見えた。それは夜の空白に唐突に、浮かんでいるのだった。
 献火台までもうすこしのところで突然、歩みが止まった。
 爽は恐る恐る、足元に目をやった。
 水面は、夏夜の熱も祭りの喧騒すらも飲み込むように、ただ一面に真っ黒だった。その黒は、人のぬくもりに恋していた。人に焦がれる闇が爽の瞳につたを巻いて、爽を惹きつけてやまないのだ。あやしい闇の渦に爽は巻き込まれそうになる。恐怖に視界がぐわんと回り、けれど水から目が離せない。
 そのときだった。
「爽くん」
 はっとして顔を上げる。
 光る瞳と目が合う。同じクラスの南さんだった。不思議そうに爽の顔をのぞき込んでいる。けれど、爽は何も言えなかった。
と、南さんはにこっと爽に笑いかけた。
「行こう」
 あたたかな手が立ち尽くす爽の腕を引っ張った。
 南さんはぐいぐい進んで、あっという間に献火台の前に立った。御池は深くなって爽の膝は水の下にあった。けれど、もう爽は水を怖いとは思わなかった。南さんが斎火から火を貰う、その小さな炎のゆらめきを爽はぼうっと眺めていた。
 と、南さんの腕の上に、何かが光った。爽は目を凝らす。
 それは、蛍だった。暗がりの中、一匹の蛍が尾をあわく光らせているのだった。時期外れの蛍は、南さんの腕の小さなほくろの上を歩いた。
 爽は目を見開いた。
 南さんの腕にほくろがあることを、爽はそのとき初めて知った。
「七月も終わりなのにね」
 南さんがそう言って腕を振ると蛍はどこかへ飛び立っていった。はっと我に返った爽は慌てて斎火に蝋燭を近づけた。
そうっと、蝋燭を離す。
 手の中の明かりは、たしかな熱をもっていた。