クグロフの城
「アーサー! アーサー王、いる?」
 カルデアのマスターは、サーヴァントの名前を呼びながら廊下を歩いていく。すれ違う他のサーヴァントたちに、なんだなんだと不思議そうな目で見られながらも、呼ぶのを止めることはない。
「私をお探しですか」
 武装のない青いドレスのみをまとった、少しだけラフな格好をした騎士王が、行き先の曲がり角からひょこっと顔を出した。
「アルトリア! ……じゃ、ないんだ。ごめんね」
 立香は眉を下げる。
「おや。それでは、この間来た彼の方ですか」
 彼女は、その少女と呼べるほどの可愛らしい顔立ちに、ちょっぴり驚きの色を乗せる。だが、その色はすぐに、純粋な疑問の色へと変わった。
「しかし、なぜ彼を?」
 騎士王はコテンと小首を傾げる。本当に、心からの疑問なのだろう。邪気が全くない。それを受けた立香は、難しい問題に当たったような、そんな思案顔になる。騎士王は慌てて、片手をひらひらと振った。
「ああ、いえ。立ち入った質問でしたね。すみません」
 彼女の、その様子にこそ、立香はうろたえる。
「ち、違うんだよ、アルトリア。いや、違うというか。なんていうのかな……うーん」
 顎に手を当てたまま、立香は騎士王をチラリと見た。そしてぽこん、と頭上に電球を浮かべると。
「アルトリア、ちょっと耳貸して」
 ごにょごにょと手を添えて、騎士王へ耳打ち。青色の王はややくすぐったそうに肩を縮めていたが、ふんふん、と数回頷いて、それから得心したように笑んだ。
「そのようなことでしたら。私とて、王である前に一人の騎士。レディのエスコートは、どうぞお任せください」

***

 カルデアにある食堂の、奥まったところにあるキッチン。材料を置くステンレス製のテーブルの上に鎮座するのは、強力粉や砂糖、塩、スキムミルク、バターにドライ・イースト、卵と水と、ドライフルーツ。そしてクグロフ型。
 それらを前にして妙に意気込んだ、エプロン姿の立香。
「エミヤ、君の力を借りたい」
 拳を握り、真面目くさった顔で事情を話す人理修復者に、アーチャーのエミヤは鼻で深呼吸をする。
「いや、まあ……なんだ。彼女ために、クグロフを作るのだろう。それはいい」
 赤い外套の上から黒いエプロンをつけたエミヤが、頭痛のする頭を押さえるようにこめかみを揉んだ。
「だが何故、男の方の騎士王がいる?」
「……ええ?」
 人類最後の魔術師は、未だ幼さの残る瞳をきょときょと、と瞬かせた。それはクエスチョンの意。このマスターはエミヤが、異世界の騎士王がキッチンにいるという事実に訝る理由を、わかっていない。
 一方で、訝られた騎士王は、合点がいったように苦笑した。
「ああ、うん。なるほど。いつもキッチンにいない僕が、こんなところにいたら、そりゃあ不思議に思うだろうね」
「…………」
「とりあえず。僕は食べることも、作ることも好きだ、と言っておこうか」
 言って騎士王は、手慣れたようにエプロンを着ると、後ろ手に紐を結ぶ。
カルデア(ここ)に来て日が浅いからね。手伝っていいものか、迷っていたんだ。――新入りが食べ物に触るなど、あまり良くないだろう?」
 アーサーの言に、エミヤはわずかながら瞠目した。久方振りに、ゾッとしたと言ってもいいだろう。
 今までカルデアはずっと、人理修復のために、みんながみんな団結していた。人数の少ないカルデア職員の連携は見事であったし、立地が立地なだけに外敵も来ず、戦闘はもっぱらレイシフト先。人理修復後に残ったサーヴァントは好事家か、この、どこにでもいるような平々凡々なマスターが心配で残った者か、はたまた気に入った者かの、どれかだ。
 このアーサーは人理修復後、単身、異世界から迷い込み、単独で放り出されている立香と出会った。
「そうか――そうだな。私が浅薄だった」
 やれやれ、とエミヤは肩をすくめて見せた。
「今回はマスターに呼ばれてしまったからね。諦めてくれ」アーサーの苦笑。
「ああ、諦めよう」エミヤは騎士王の目を、横目でしっかりと捉える。「しかし、この菓子作りが終われば、もしかすると君にも、食事当番のオファーが来るかもしれんぞ」
 皮肉屋がニヒルに笑った。サーヴァントたちのやり取りを困惑した様子で眺める立香の背を、仕切り直しとでも言うようにパシンと叩く。エミヤは声を張った。
「さあ、始めるぞマスター。クグロフを作るなら、中途で発酵がいる。急ぐぞ」
「?? お、おう! 頑張るぞー!」
 えい、と空に拳が突き上げられた。
 エミヤは直接的な指導、アーサーはサポート。そのような采配にしても、クグロフ作りは難航した。
「待てマスター。もっとよく練るんだ」
「ヒエ……」
「忘れてたみたいだから、ボウルと型にバターを塗っておいたよ」
「あああ、ありがとう」
「もう一回発酵だ、生地を丸めろ」
「うそ、まだ発酵あるの」
「オーブンの設定は200°Cだったかな?」
「あー、忘れてた! そう、お願いします!」
「型のすみまでキチンと生地を押し込め。不恰好になるぞ」
「入るのこれ……。入るの……?」
「はい、霧吹き」
「本当ありがとう、アーサー……」
 オーブンに生地を入れ、あとは焼き上がるのを待つだけとなると、立香もエミヤも、ぐったりとしてしまっていた。アーサーでさえも、ちょっと疲れたような顔つきである。
 発酵の間、休む時間があったとはいえ、ものつくりには割と気力を使う。休憩で取り戻した気力よりも、消費する気力の方が大きかったのだ。
「うまく焼けるかな……」
 ステンレス製のテーブルに突っ伏したまま、立香は呻くように言った。
「焼けるさ、きっと。素敵なクグロフがね」
 アーサーは優しく返す。手作りのものは、味よりも心だ。料理人(シェフ)菓子職人(パティシエ)など、生業としている人には味も求められるが……このクグロフを作ったのは、カルデアにいる平々凡々なマスター・立香である。
 それに、だ。
「優秀な指導者を二人もはべらせておいて、うまく焼けないとでも思っているのかね。マスター?」
 キッチン備えつけのパイプ椅子に深く座り、背もたれにガッツリともたれて腕を組むエミヤが、眇めた目で立香を見ながら薄く笑う。
「……思わないけどさ」
 口を尖らせながら、立香は端末を取り出した。
 そう。後はもう、クグロフの装飾が終わるくらいの時間を、アルトリアに連絡すればいいだけ。それだけなのに。
「自分が作ったものひとにを出すって、緊張するなあ……」
 それを聞いたアーサーが、あはは、と。
「そうだろう? 僕も、きっとエミヤくんも、経験したことさ」
 香ばしい匂いが漂う。
 端末をいじり始めた立香を見て、エミヤとアーサーは横目でチラリとアイコンタクトをとった。焼き上がるまであと五分ほど。それから冷まして、デコレーションをして。どれくらいかかるだろうか。
「……マスター。1時間後と、セイバーに伝えておけ」
 エミヤは立香の瞳を見据えた。
「わかった。腹ァくくる」
「いいね、気合い十分だ」
 ぎゅう、と端末を持つ手に力を入れる。文字を打ち込んだ立香は、迷わず送信ボタンを押した。アーサーが席を立ち、粉砂糖とスライスアーモンド、コーティングチョコレートを準備する。
 そして――オーブンのブザーが、響く。

 トントン、と食堂の奥。キッチンの戸がノックされる。それを耳にした立香は、冷水をかけられたようにピャッと背筋を伸ばすと、エミヤとアーサーを振り返った。
 エミヤは呆れたように、アーサーは穏やかに、笑う。
「マスター? よろしいでしょうか」
 扉越しだからか、聞こえてくるアルトリアの声はくぐもっている。立香は深く、深く息を吸った。
「どうぞ」
 ガチャリ、と扉が開いていく。その一瞬が、何秒にも何分にも、何十分にも思われた。耳の奥の方、心臓が血液を送り出す音が、しっかりと聞こえる。
「いい匂い。焼菓子の香りかしら?」
 鈴を転がすような、透き通るような声音。ハキハキとした喋りは、民衆の前に立つことが多かったからだろう。優しく耳に馴染む。
 ひょこん、と薄い銀灰色の美しい髪を揺らしながら現れたのは、これまた華やかな白い衣装をまとった、マリー・アントワネットだった。
「マスターが私にご用事がある、って。どうしたの?」
 にこりと微笑むその姿は、皆のアイドルそのものだ。立香はちょっぴりどぎまぎしながら、完成したクグロフを手で指した。
「ええと……。マリーが、好きだって話を聞いて。作ってみたんだ」
 それはまさに、サナギから蝶が羽化するような、つぼみが膨らんで華を咲かせるような。ふわあ、と髪の毛さえも、わずかに持ち上がったように見えた。
 きらりきらりと輝く瞳は溢れんばかりに見開かれ、ハッと息を飲むのと同時に、愛らしい小さな口さえも開く。後者はさすがに恥ずかしかったのか、パッと急いで両手を口に当てていたが。
「すごいわ、マスター!」
 わっと、遊園地を前に耐え切れず、駆け出す子供のようだった。
「クグロフって、私の故郷、ウィーンのお菓子なの! 本当に素敵!」
 マリーは思わずといったようにパッと両手を組むと、わあわあ楽しそうに、クグロフをいろんな方向から眺めていく。
「今まで見た、どんなクグロフよりも美しいわ! マスター、これ、いただいて、も、――」
 ぶわわ、と大輪の花が咲くように破顔して笑む彼女は、ボルテージが高まって感情がいっぱいになってしまったのだろうか。いよいよをもって、はらはらりと泣き出してしまったのだ。
「!!!」
 ギョッと、立香は目を皿にする。
「あら、あら、あら」
 桜の花びらが散るように、マリーの涙がこぼれ落ちていく。彼女がいくら目元を押さえても、次から次へと溢れてきては、カットアウトグローブに包まれた彼女の指先を濡らしていく。
「違う、違うのよ」へにゃりと、相好が崩れた。「悲しいわけではないの」
 立香がわたわたとハンカチを取り出して、マリーの目元に当てる。
「うふふ、ありがとう、マスター。私……」とっても嬉しくて。
 言葉にならない言葉を伝える代わりに、マリーはころころと笑った。
「まだ食べてもいないのに。きっと美味しいわ。食べたら、また泣いてしまうかしら」
「そっ、それは困る……」
 ふわふわと柔らかく涙をぬぐってやりながら、立香は裏返った声で返す。マリーが感極まって涙を流すとは、まったくもって思わなかったのだろう。
 それは他のサーヴァントたちも同じようで、落ち着かない様子でお互いに目配せをしていた。そのスピード感からして全員、マリーの涙に驚いたのは明白である。
 そしてとうとう、我らがマスターはサーヴァントに助けを求めた。
「え、エミヤ! クグロフ切り分けて!」
「オレか!?」
 白羽の矢が立ったのはエミヤだ。人理修復の旅が始まるとき、最初に召喚したサーヴァントだからだろう。彼に絶対の信頼を寄せている立香は、クグロフの切り分けついでに、なにか話題でも出してくれることを願った。が。
「……」
 静かなキッチンの中、カチャカチャと控えめに鳴るは、食器とナイフがこすれる音。そして、マリーが涙を拭う、かすかな衣擦れの音、のみ。
「エミヤ! 話題!」
「無茶を言うな!」
「もっと頑張れよドン・ファン!」
「なんだそれは!」
 立香の悲鳴にも似た非難の声に、エミヤは反射的にグワッと言い返す。マスターとサーヴァントというより、親子やきょうだいにも近いやり取りに、マリーはこらえきれないとばかりに噴き出した。
「うふ、ふ、あはは! もう! マスター、ケンカしてどうするの? 切り分けたのなら、食べましょうよ!」
 彼女の言に、口をつぐんだ二人はムッとにらみ合ったが……秒とも経たず、どちらからともなくフと息を抜く。丁寧に切り分けられたクグロフは、この場にいる皆に振る舞われた。
 いつもならこの時間、マリーはあてがわれた自室で紅茶を飲みながら、クラシックかなにかを聴いている。しかし今日は、立香お手製のお菓子(クグロフ)と、キッチンという、とても優雅とは言えない場所でのティータイム。しかも立ちながら、だ。
「――こんなに嬉しくて、楽しいのは、ひさしぶりだわ!」
 マリーの、心の底から溢れるような声に、立香はニパッと歯を見せた。

「オレも!」


2017/05/11
最後まで立香の性別を迷ってました。

おまけ↓
>エスコート上手な青王
 後でもう一度、クグロフを作ることで手を打ってあります。

>ゾッとするエミヤ
 久方振りに危機感を思い出したようです。
 カルデア内はぬくぬくしてて、ご飯に毒を入れようなんて思う人はいないでしょう。今は。
 アーサーの気遣いを聴いてハッとした、っていう話。随分とぬるい性格になってるエミヤさん。デミヤが聞いたら大爆笑もの。

>指導者枠のプロト王
 料理上手なんだ、へー。じゃあ教えてもらおう。
 みたいなノリ。

>マリーちゃんとクグロフ
 グレーテルのかまどのクグロフ回よかったです。

>嬉しくて楽しかった立香
 喜んでもらえて嬉しかったし、ひさしぶりのなんともない日だから楽しかったマスター。このお話の立香は、新宿はもちろんcccイベも終わってます。私は終わってない。


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