日常はお砂糖とスパイスでできている
※現代パラレル


 ただいま。鶴丸が帰宅すると、飼っているキジトラがとてとてと出迎えてくれた。
「んっ? 珍しいな、きみ。出迎えとは」
 キジトラ猫を両手で抱え上げ、とすんと片腕に収める。そのまま空いてる片手で靴を脱ぎ揃えながら、いつも出迎えてくれるはずの鶯丸のことを考えた。
 細かいことは気にしないタチの彼であるが、挨拶ばかりはきちんとする男であった。おはよう、いただきます、いってらっしゃい、おやすみ。もちろん、おかえり、の挨拶だって欠かしたことは無いというのに。
 リビングへ行くと、陽が落ちているというのに電気すらついていない。たまにあることなので、いつもの鶴丸なら気にしなかっただろうが、今日はちろりと不安が顔をのぞかせた。
「鶯やい」
 電気をつけ、呼びながらソファを見る。寝こけているかと思ったが、予想に反して姿がない。にゃおん、と腕の中のキジトラが鳴いた。
 その訴えを聞いて時計を見ると、18時過ぎ。鶴丸はキジトラの額へ鼻先をこすりつけた。
「腹でも減ったか?」
 くすりと笑むと、猫は肯定するように鶴丸の唇をざらりと舐める。鶴丸はまたくすくすと笑って、キジトラを床へ下ろした。
「着替えてくるから、いい子で待っててくれな」
 猫はたしりと尾でフローリングを叩いた。
 さて、と鶴丸は寝室へ向かう。リビングにいないとき、鶯丸は大抵寝室にいる。各々の私室もあるのだが、彼はあまり使っていないのだ。強いて言えば、書庫として使っているようだが……。
 コツンと軽くノックをしてから寝室へ入る。
「鶯丸」
 声に反応したのか、ベッドの上の塊がもぞりと動く。近寄ってみると、布団に潜り込んだ鶯丸が胎児のように丸まって眠っていた。音に反応して身じろぎはするが、眠りが深いのか起きる様子はない。
「鶯丸」
 もう一度呼んで、額に手を当てる。熱はなさそうだが……本当に起きる様子がない。疲れているのだろうか。無理に起こすのも忍びなく思われて、鶴丸は静かに着替えをすませ、そっと寝室を後にした。
 ルームウェアに着替えた彼は、ソファで丸くなるキジトラを眺めながら夕飯の支度をする。簡単なサラダと、缶詰のミートソースを使ったスパゲッティと、キジトラの猫まんま。
「ほら、飯だぞ」
 言いながら定位置に皿を置くと、鶴丸の声で起きだしたキジトラがとんとんと軽い足音を立てて寄ってくる。つん、と鶴丸のズボンの裾を引っ掻いてから「にゃう」と鳴いた。
 なんだなんだと片膝をついてしゃがんでやると、ぴゃっと上体を伸ばしたキジトラが鶴丸の唇を奪う。これは浮気の範疇に含まれるのだろうか、という思考が一瞬横切る。が、それよりも。普段つれない態度のキジトラが、急に積極的になってくれたことに舞い上がって、それでいっぱいになっていた。
「きみ、いつもに増していとけないじゃないか!」
 首の付け根に顔を埋めて鼻先を押しつける。キジトラが頬やら口の端やら舐めてくれるのを享受しながら、もふもふの毛並みを堪能する。あまりのパラダイスに食事を忘れそうになった。危ない。
 そのあとは、いつも通り食事をして、片付けをして、風呂に入って、洗濯機を回して──。鶯丸が寝込んでいること以外は、ほとんどいつも通りであった。そしてその鶯丸は、鶴丸が就寝するそのときまでずうっと布団で丸くなったままであった。
 布団に入る前にと鶴丸は彼の額に触れて、熱がないことを確認する。
「明日も寝込んでたら病院だからな」
 おやすみ、と生え際にキスを落として布団へ潜り込む。眠りに落ちる直前、キジトラの鳴き声が聞こえた気がした。

 さあ、朝である。
 鶴丸が布団から体を起こすと、すでに隣のベッドは空。まばたきを一つ。ドアの隙間から、ふわりと漂う煙の紅茶。
「あいつ、朝から吸ってるのか」
 のそりと起き出して、薄いカーディガンを羽織る。
 リビングへ行けば、コンロ上の換気扇を回しながらタバコを食んでいる鶯丸がいた。彼は鶴丸に気づくと、タバコの灰を皿へ落としながら微笑む。
「おはよう、鶴丸」
「おはようさん、鶯丸」
 これが本来のいつも通りだ。なんだか一気に安心した鶴丸は、ふらりとソファへなだれ込む。視線の先で、キジトラが背を向けて丸くなっていた。このドライ加減もいつも通りだ。
 タバコを吸い終わったらしい鶯丸が、ソファで横になる鶴丸の側へ片膝をついてしゃがむと、ちゅっと音を立てて彼の額へキスをする。
「きみ、紅茶くさいぞ」
 くすくすと鶴丸が言う。
「そういうタバコだからな」
 鶯丸が、昨日は飲めなかったからと付け加えれば、鶴丸はそうだそういえばと言わんばかりに跳ね起きた。
「おっと」
「そういや昨日、出迎がなかったから心配したぜ。部屋に行ったら深く寝こけているし」
 後半、ちょっぴり拗ねたような物言いになってしまったが、たしかに鶴丸は拗ねている。一方の鶯丸は、一瞬きょとりとしたあと、にまりと笑って戯れに口付けた。
「おい、」
 キスひとつで誤魔化されんぞ、と鶴丸が棘を放つが、鶯丸は歯牙にも掛けず、にこにことしている。
「昨日は出迎えたはずだが……気づかなかったか?」


2018.12.08


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