本の森
※現代パラレル


 まとっている鎧が、窮屈そうに軋んだ。行動ひとつでギシギシいうし、喋るにも言葉が制限される。どんなに苦痛でもおいそれと脱げないそれは、確かに自分の身を守っているものだ。
 そんな鎧を着用している鶴丸国永は、あまりの息苦しさで喘ぎにも似た溜め息を吐き出した。身を守るのに十分が過ぎるその鎧は、使用者の身をキリキリと締め付けるシロモノである。

 今日も朝から、鶴丸は道化でありムードメーカーである……という鎧を着なければならなかった。快活で面白い、みんなの人気者。一度貼られたレッテルを剥がすのは、あまりにも大変だ。
 泳ぎを忘れた人魚みたいに息継ぎをしながら、ようやっと一日を終える。
 なんやかんやと嘘や理由をつけてひとりになった帰り道は、いつもよりずっとすっきりとして見えた。道中の家にサモエドが二頭いるのを初めて知ったし、細い路地の奥で猫がたむろしている様子がよく分かる。
 ちょっぴり体が軽くなったような気がして、いつもつるんでいるヤツらは絶対に行かないだろう図書館へ足を向けた。鶴丸自身、普段は行くことのない未知の場所だった。
 館内へ入ると、本棚と本棚の間を縫うように移動する男と目が合った。ひどいくせ毛が右目を隠しているその男、鶴丸を見て挨拶がわりに微笑むと、サッと自分の仕事へ戻ってゆく。
(あ)
 鶴丸はホと息を吐いた。不必要な会話をしない優しい淡白さが、あまりにも心地いい。人の多さとコミュニケーションに疲れた鶴丸にとって、この静閑な図書館は布団みたいに気持ちよかった。
 とりあえず、と窓際の空いてる席に座り、本棚の森をじいっと眺める。くせ毛の男がなにやら作業をしている。
 ひとりになりたかっただけであり、本を借りにきたわけじゃない鶴丸は、そのくせ毛の男を目で追う。
 のんびり柔らかな雰囲気をまとっているのに、仕事はさくさくと迷いなく行なっている。優秀な人かと思いきや、作業の途中で本を読みだしたり、文字を書き始めたり、仮眠をとったりとやりたい放題だ。
(掴めんひとだなあ)
 なんて鶴丸が思っていると、その男と歯車が噛むようにばちんと視線がぶつかった。あ、と思うもつかの間。男はそっとこちらへきて、こそりと囁いた。
「本、読まないのか」
 予想よりも高い声で驚いた。
「ああ〜……っと。すまんが休憩にきただけなん……です」
 危うくいつもの調子で喋りそうになって、あわてて『です・ます』をくっつける。男は気にした風でもなく、そうかと頷くと、つるりと本棚の森へ帰ってしまった。すこし残念な気持ちになりながら、窓の外へ視線を投げる。
 知り合いは皆うちへ帰っただろうか。もう、外へ出ても出会わないだろうか、話しかけられたりしないだろうか。ううん、と考えていると、眼前のテーブルへカクテルが提供されるみたいに、一冊の本が置かれた。
「読むといい」
 視線を上げなくても分かる。あの男だ。一応、と横目でチラリとうかがえば、やはりあのくせ毛の男。
 本を読む気は無かったのだが、作業員に勧められてしまっては読まないわけにもいかない。
 曖昧に頭を下げて曖昧に感謝の意を示しながら、本を手に取る。男は業務へ戻っていった。普段、本はあまり読まないのだが……まあ、たまにはいいだろう。そんな感じで、ぱらりと最初のページを開く。
 そこは邪竜に支配された国で、鶴丸国永はそれを討伐する剣士であった――

「そろそろ閉館だ。帰り支度をするといい」
 邪竜の手かがりを探していた鶴丸は、男の一声で高校生へとジョブチェンジした。……かなり、没頭していたらしい。
「これ借りてていい……ですかね」
 気づけば、そう口にしていた。早く邪竜の手がかりを見つけて討伐しないと、と思っていたのだ。なんたってこのままでは、街の人たちが危ないのだ。
「ああ。貸し出し手続きをしよう」
 男は嬉しそうに笑って本を受け取ると、カウンターの内側へと引っ込んだ。そのうちに支度を済ませてしまう。窓の外は、街灯と走る車のヘッドライトで明るかった。
「返却は二週間後だ。気をつけて帰れよ」
 本を受け取って、深く頭を下げた。
 図書館を出ると、少しだけひやりとした空気が頬をなぜた。とっとっ、とその場でジャンプすると、いつもよりも圧倒的に軽やかだった。早く家に帰って、邪竜から街の人を救いに行かなければ。
 ひとり家まで駆けながら、図書館のことを考えていた。明日も、明後日も明々後日も、あの心地いい空間へ身を浸したい。あのくせ毛の司書のいる、本の森へ。


2019/01/28


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