00.家がない!
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 パチパチパチ。といえば、なんの音が思い浮かぶだろうか。
 ──拍手。それもあるだろう。大勢でもひとりでも、拍手といえばパチパチという音だ。
 ──揚げ物。それもあるだろう。油に入ったフライがキツネ色に揚がる音は、確かにパチパチという音だ。
 あとは──炎上の音、である。

「燃……えてる、っすねえ……?」
 朝晩の風が厳しく冷える10月28日の夜10時。A市立A大学の神学部一年生──十文字(じゅうもんじ)(はるか)が帰宅すると、住んでいたアパートが大炎上していた。遥の部屋からの出火ではなく他の部屋から火が回っているようだが、いかんせん火の勢いが甚だしい。
 さて原因はと言われても、授業やお祈りを済ませて学校から帰宅したばかりの彼にはさっぱりと分からなかった。混乱、困惑をひとまず飲み込んで、自分の安全を確保する。
 ウーウーと鳴きわめく救急車両や、やいやいとざわめく野次馬に目を回していると、ひたり。視線を感じて振り返った遥は、ひとつの影を捉える。
 それは、まさしく影だ。全身黒づくめのフードの……男、だろうか。見るからに怪しい人物が、人混みへと紛れていくのが視界に入った。追いかけようにも、この人の多さだ。見送るほかない。
 少し悩んでから、遥は警察に通報しておこうとスマホを手にした。これだけ人がいる。多くの通報の中の一つとなるだろうとは思ったが、見たからには連絡するのが筋だろう。
 警察へ連絡を入れて、感謝の言葉をもらって。通話を切って、フと溜め息を吐く。
(……住み込みバイトでも探すっすかねえ……)
 燃えてしまったものは仕方がない。犯人が気になるところではあるが、まずは自分の生活が最優先だ。幸い、通帳・カード・印鑑・財布等の貴重品は持ち歩いていたし、被害といえば部屋と教科書と過去のノートの類……あとはゲームと漫画だろうか。
 しかし、命あっての物種だ。文句は言うまい。
 スマホでカプセルホテルの予約を入れたあと、バイトを募集しているところを探す。とりあえずまだ開業しているらしい西行(さいぎょう)探偵事務所というところに、夜遅くで申し訳ないと思いつつ電話を入れた。
「夜分遅くにすんません。明日から住み込みでバイトしたいんすけど」

 10月29日。十文字遥の翌日は通常通り訪れた。大学の授業を入れていない日だったので、朝からバイト先へ顔を出し、そのまま業務説明を受ける。
「簡単な書類整理とお茶出しくらいかな」
 まあ、その顔だと依頼人に怖がられちゃうかもしれないねえ。そう付け加えた雇い主・西行という男は、なかなか歯に絹着せぬ物言いをするらしい。人相が悪いことを自覚している遥は然程気にした様子もなく、そうっすねえと朗らかに同意した。
 西行探偵事務所の初業務をつつがなく終え、来たる翌日10月30日。十文字遥のハロウィン前日は通常通り訪れた。
 今日は一コマ授業を入れていたためそれに出席をして、昨日のアパート火災のこともあって少しだけ図書館で新聞アーカイブを調べた。
  −図書館(70)>61 成功
 どうやら9月頃から、爆弾騒ぎと連続放火が起きているらしい。爆弾騒ぎはガセが多く、放火は家や物が燃えることが多かったという。また放火の方は、ここのところエスカレートしているとのこと。目を惹く放火事件といえば、28日から29日にかけての夜中に、ひとり人が燃えたというものだろうか。
 今までの爆弾騒ぎ・放火の犯人は誰も見ていないらしく、不審者情報といえば昨日のアパート火災で『黒づくめの男を見た』という一本の(・・・)電話通報のみとのこと。
(……俺しか、通報していない?)
 思わず眉をしかめた。あれだけ人がいて、通報者は遥ただ一人。えもいわれぬ異様さに背筋を撫ぜられた気がして、彼はしばし黙り込んだ。
 無言でアーカイブファイルを棚へ戻し、図書館を出る。少しだけ課題を消化して、礼拝堂へ寄って御祈りをしよう。このときばかりは神学部でよかった、と遥は思う。手放しに縋れるものが、自分の中へ存在しているのだから。
 やるべきこととやりたいことを終え、気づけば昼の2時になる10分ほど前だった。
(学内の礼拝堂に長居しすぎたっすかね)
 荷物をまとめて、西行探偵事務所へ向かう。
 ところで、西行探偵事務所は建物の二階にある。見上げたところで、客人が来てるかなど分かりはしない。のだが。遥がつい、と視線を事務所に向ける──
 ──ドッ!! と──
「……は」
 爆音が耳の奥で反響しているような気がした。
 もうもうと立ち上る黒煙、ガラスが割れるキンとした音、熱、焦げた匂い、赤橙の炎、それから。
 ガサリと事務所の裏手、茂みから音がして、そちらへ目を向ける。
「西行さん!」
「や〜、十文字くん」
 低い垣根へ仰向けに埋まるようにしていたのは、探偵事務所の主である西行と、その助手であった。どうやら助手の方は気絶しているようで、容態を聞けば「救急車は呼んであるよ」とのことだ。……救急車が必要な容態、ということか。
 助手のことばかり話す西行に、遥はしとりと尋ねる。
「西行さん、怪我は」
「……いんや。かすり傷、かすり傷」
「失礼します!」
 あまりに空々しい返答に、遥は西行のシャツを開けるという強硬手段に出た。「十文字くん、大胆だねえ」なんて軽口を叩かれたが、そんな場合ではない。西行の腹には、刺し傷があったのだから。
  −応急手当(50)>20 成功
 出血には圧迫か、と遥は判断する。持っていたタオルを傷口に当て、西行の着ていたシャツを傷口付近まで持ち上げて縛ることで圧迫をした。
「西行さん、これ応急っすから。すぐ形成外科受けてくださいよ」
「いやー、助かった。ありがとう」
 腹を刺されたというにも関わらず、西行はあまりにも飄々としている。その語り口のまま、彼は遥へ紙を差し出した。
「ここの紙に書いてある人にさ、この写真を見せて鑑定してもらって。たぶん協力してくれるから」
「たぶん!?」
 紙を見やると、住所と電話番号、それから『アーロン』という名前が記されていた。次に写真を見──
  −SANc(60)>16 減少なし
 黒焦げのヒト型が写った写真だ。どうしたらここまで燃えるのだろうと疑問に思うくらいの、黒焦げ。写真の中の出来事だからか、遥はあまり恐怖を感じなかった。
「これを……この住所の人に?」
「そ。よろしく。あと十文字くん、気をつけなよ」
「え?」
 なにがと聞く前に、西行は目を瞑ってしまう。ひとまず救急車は呼んであるようだから、呼吸に気をつければいいだろうか。遥はそんなことを考える。
  −目星(46)>19 成功
 ハタと視線を感じた。
 辺りを見回すと、あのとき──アパート火災──の黒づくめの男と目が合う。
 ゾワリ。悪寒……と、そう呼んでいいのだろうか。悪寒というにはあまりにも──熱過ぎる!
 熱烈な視線、と表現することがあるだろう。まさにその文字通り(・・・・)なのだ。受けている視線が、熱い。身が燃えていると錯覚する。そう、体内に火を放たれたような──
 遥がハッと息を吸うと、その黒づくめはどこぞへと消えていた。動悸、呼吸の震え、手足の発汗。体内で燃ゆる火の感覚は、まざまざと思い出せる。
 ああ、と遥は思った。
(命の危険て、こういうこと言うんすかね……?)
 そこかしこで救急車両のサイレンが鳴り響く。そんな感じで、十文字遥の10月30日・午後2時は、嵐のように過ぎ去っていった。


2018.11.01


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