そんな顔もするのね

※プロポーズ後の話。モブが出てきます。

どうやら顔に出ていたらしい。仕事終わり、苦手な先輩と目が合ってしまった。今日は金曜日。要が夕食をご馳走してくれることになっている。約束の時間までそれほど余裕はない。会釈をして帰ろうとしたけれど、相手は許してくれなかった。

「お、名字!」
「お疲れ様です」
「まあ、そんな嫌そうな顔するなって。帰るんだろ、送って行こうか?」

この人は私がプロポーズされたことを知ってなお、これだ。決して悪い人ではないけれど苦手なのは、どこか光に似ているからだろうか。呆れたように見返すと、ケラケラ笑って肩を叩かれる。

「冗談だよ。しかしお前が結婚とは…一度も合コン来たことないくせになぁ」
「合コンなんて誘われたことないですけど」
「そりゃ、誘わなかったんじゃなくて誘えなかったんだ。お前、金曜はいつも定時だし」

確かに、金曜日は今日みたいに要と約束していることが多かった。まあ何もない日に誘われていても断っただろう。だって、私が好きなのは要だけだ。なんて事を言ったら、あれこれ訊かれるに決まっている。「なるほど」と無難に頷くだけに留めた。仕方がないが、どうやら駐車場まで一緒らしい。盛大に溜息を吐きたくなる。

「でも、お前を誘えなかった奴等も納得するほどの良い男らしいな。俺も見たかった!しかし有名声優と結婚とは、やるな」
「ちょ、ちょっと待ってください!なんの話ですか、声優って?」

聞き流そうとしたのに、それどころじゃなくなった。一体どこから突っ込めばいいのか。そもそも『見たかった』の時点でおかしい。職場で要の写真など見せたことはないし、デート中に同僚に会ったこともない。つまり、仕事関係の知り合いで私の結婚相手が要だと知っている人はいない。そして、有名声優という単語。私の周りで有名声優に当てはまるのは二人。とりあえず、この人が思い違いをしていることは分かった。

「あのそれ、間違いです」
「今さら隠しても無駄だと思うぞ。黒髪のイケメンだって専らの噂だ」
「いやだから、その黒髪のイケメンは恋人ではなく幼馴染です。誤情報を広めないでくださいね。シビアな業界なんですから、ネットにでも書かれたら迷惑です」

やっぱり梓だ。確か私が落ち込んでいるときに、梓が職場まで来てくれたことがあった。それを誰かが見ていたのだろう。梓は人気があるから、顔を知っている人がいたとしても不思議じゃない。

「なら、その片割れがそうなのか?確か双子なんだろ、その黒髪くん」

何故そんなに知りたがるのだろう。仕事は好きだし、同僚も良い人達ばかりだ。しかし、要のことを職場でペラペラ話す気にはならない。それこそ朝日奈兄弟や父さんと話す方が有意義だ。やり過ごそうと口を開いた時だった。

「ん?なんか騒がしいな」

釣られて門の方を見ると、確かに人集りができている。さっきまで話をしていたから、まさか梓が来ているのだろうかと思ってしまった。でも余程の急用でない限り、職場まで訪ねてくることはまずない。自分には無関係と端から外に出ようとして、我が目を疑った。

「要?」

思わず名前を呼ぶ。見間違えるはずもない、確かに要だ。隣の先輩がギョッと私を見るけれど、構っていられない。私の姿を認めて近付いて来るから、取り囲む女性達の視線がグサグサ刺さる。

「家にまだ帰ってないようだったから、迎えに来たんだよ」
「そう、なんだ」

驚いてしまってそれしか言えなかった。此の分だと明日は会社中の女性社員から質問攻めに遭うのが目に見えている。釣り合わないとか、取り入ったのだろうとか思われるのは別にいい。陰口や噂に傷付いたり、周りにどう思われているのか想像して卑屈になったりしなくなったのはいつからだろう。慣れたわけじゃなく、いつの間にかそれらを弾き返すほどの自信とプライドを持つようになった。誰にどう思われようと、これからの人生に迷うことはもうない。要の隣に立つのは私だ。しかしいくら私が頑丈とは言え、この突然の出来事に臨機応変に対応できるほどタフではない。

「おい、名字…まさかこの人か?男の俺でも分かる、めちゃくちゃモテるだろ」

狼狽えた先輩が私の肩を掴んで揺らす。もう面倒くさいな、この人。これ以上目立つのはできれば避けたい。どうにか頭を回転させようとしていたら、要が私の手を取って引き寄せる。

「すみません。これから彼女は俺とディナーなので失礼します」

有無を言わさぬ雰囲気にサッと道が開く。レッドカーペットの幻覚が見えた気がした。手を引かれるままにその間を抜けて、門の外へと出る。近くの駐車場に停めてある要の車に乗せられてやっと我に返った。

「びっくりしすぎて何がなんだか…そもそも私がマンションに行く予定だったよね?時間だってまだギリギリってわけじゃないのに」

眉を顰める私に、要は無言だ。これは、何か考え込んでいるときの顔。要はイラついたりしない。強風が吹いても揺るがない自分を持っている。納得がいかないことがあっても、取り乱したり怒ったりするより先に、まず物事を俯瞰で見て考えることができる人だ。こういう時は黙って待つ。一向に走り出さない車の助手席から外を眺めて、小さく息を吐いた。

「名前…怒ってる?」
「え、全然。まあ、事前に言わずに職場まで来たのは要らしくないと思うけど」
「俺は生き生きしてる君が好きだ。私生活でも、もちろん仕事でも。君がどんな場所でどんな人達と働いているのか気になって、それで今日は迎えに行った。勝手に行ったのに、君が男といただけで動揺したんだよ」

一瞬、"男"が誰を指すのか考えてしまった。朝日奈兄弟は例外だけれど、要以外の異性は基本一括りにしがちだ。こんな風に嫉妬心を態度に出すことは滅多にない。四六時中一緒にいるなんてお互い仕事をしているのだから不可能だし、ましてや他の男と話さないなんてもっと無理だ。どうしようもないと分かっていても、消えない嫉妬をこの男にさせたことが堪らなく嬉しい。付き合い始めてからずっと私が抱いてきた思いを、要もまた持っているのだと知って胸が鳴った。声を出して笑うと、怪訝そうに見つめてくる。ああ、愛しいな。少しの揶揄いと不本意を込めて言葉にした。

「専業主婦にでもならない限り、要以外の男性と関わらず生きて行くなんて無理。それに私は今の仕事が好きだし、要と結婚したって辞めるつもりもない」
「本当、容赦ないよな」
「ただの事実でしょ。御伽噺じゃないんだから、24時間ふたりでいられるわけない」

苦笑いで要が言う。でも私の答えなんて、最初から分かっていたに違いない。要はきっと私以上に私を理解している。自己分析はできているつもりでも、要に言われて初めて気づくこともある。私らしさを失いそうになった時、一番に叱ってくれる人だ。ただ愛してくれるだけじゃなく、駄目なところは指摘してくれるから寄りかかり過ぎてしまう。

「大体、仕事で異性と関わるなんて要の方がプロじゃない。学生のときなんて、女子に笑顔振り撒くなんて日常茶飯事だったし。檀家さんと食事したのだって私より多いでしょ」
「返す言葉もないよ」
「別に責めてはいない。それ以上に要は私を愛してくれたし、他の子や檀家さんより私の隣にいるときの方が自然に笑うし、自分を見せてくれる。だから私は貴方の恋人でいられた。どんなに掻き乱されたって、それを凪ぐのも貴方」

目を丸くした間抜け面を見返す。こういう顔を見られるのも恋人の特権だ。要は誰にでも与えられる人だけど、私にだけくれるものがある。そして要に与えられるのは私だけだ。それだけで私はこの人の隣で生きていける。

「だから、要も私を信じて。他の女に泣きついたりしたら許さない。貴方の不安を取り除くのは私の役目なんだから」
「……名前、キスしていい?」

ムードとは。なんて、もうどうでもいいか。呆れる私に真顔で訊いてくる。断ったところで強行されるのが目に見えている。仕方なく顔を少し運転席に寄せようとしたら、伸びてきた腕が私を跨いでリクライニングレバーを引く。自動的に背もたれは後ろへ。小さな悲鳴と共に、咄嗟に閉じた瞼を上げると、要の顔がすぐ近くまで迫っていた。抗議しようとした唇が隙間なく覆われる。

「ん…なあ、俺の理性を暴走させてるって気付いてる?」
「安心して、全く暴走しているように見えないから」
「確信犯じゃないの…もう一回、ん」

車の中なのに妙な気分になってくる。それに今日はディナーに行くはずだ。見当違いなことを考えようとしたけれど、意識は唇に集中している。いい加減に止めないと、まずい。触れるだけのキスならまあ許容範囲だけど、このままじゃキスだけでは済まなくなりそうだ。まだ外は明るい。近くを誰かが通ったらと思うと気が気じゃない。

「はぁ、ああくそ…このまま続けたいけど、君に無理をさせるわけにいかない」

やっと私の上から身を起こす。安堵して椅子を元に戻しシートベルトを締めた。同時に車が動き出す。しかし街とは逆方向にハンドルを切るから、慌てて要を見て少し後悔した。どうやらディナーはなしの様子。少し熱くなった頬を誤魔化すように外を見た。

「あ、そう言えば…さっきの先輩、私の結婚相手が梓だと思ってたみたい」
「へえ、それならもう間違うことがないように毎日迎えに行こうかな」
「それはやめて」

-fin.-

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