愛を失い、愛を得る(前編)



「君と付き合うことはできない。君には幸せになってほしいと思っている。ただ、その相手は俺では駄目だ。これから先も必要なら頼って、好きなだけ利用してくれて構わない。だが、俺の役目はそこまでだ。……すまない」

人生2度目の告白は一刀両断された。
自惚れではなかったと思う。キスをするとき、髪を撫でられるとき、確かに愛情を感じていた。饒舌ではないけれど、触れられる度に好きだと、愛してると言われている気がした。でも結果、自惚れだったのだ。そう感じていただけ。気がしていただけ。

もう二度と誰かを好きにならないと思っていたのに、絆される自分を嫌悪したことは何度もある。留まる機会は幾度もあったのに、無視して告げた末路がこれか。

「なんて、なに被害者面しちゃってんの。馬鹿は私。勝手に勘違いして、告白して振られたくせに自分が一番傷ついてますって……何様なのよ」

本当は分かっていた。憐れみだったのだ。同情ではないと言っていたけれど、それは嘘。恋人に置いていかれた惨めな女を気まぐれに慰めただけ。結局その気まぐれによって、忘れることはできなくても抱えて生きていけるくらいには古傷は確かに癒えつつある。

人は存外強くできている。否、"都合よく"と言うべきか。心から想っていた相手がいなくなっても、他の誰かに縋れば悲しみが紛れると本能で分かっている。一人で立てるまで傍にいさせたうえ、愛情まで求めるのは欲張りだろうか。

−−−−−

たった今振った女を家まで送るなんて言うから笑ってしまった。性格も顔も全然似てないのに、優しいところは彼と同じだ。

布団に入り目を閉じて、そして、夢を見た。声色がはっきりと聴こえる。茶化すような口調のくせに一番安心できる声。
ずっと傍にいるって、信じて疑わなかった。当たり前に一緒に生きて、笑って、穏やかに死ねると思っていた。でも、もう隣にいない愛しい人。

───名前は意外に欲張りだな。まあ貪欲なのはいいことだと思うぜ。そのくせ、俺には我儘言わないし、なんで近い奴にほど遠慮するかな。

言われた事は覚えているのに、写真を見なきゃその顔を時々忘れそうになる。それでも、貴方の言葉が、思い出が私を形作ってる。

───人にはズケズケ言うのに、自分の事だと臆病になるよな。

生前と変わらず辛いときに奮い立たせてくれる明るい声。だからなのか、背中を押すような言葉ばかり浮かんでくる。夢の中だから自分の都合が良いことしか聞こえないのかもしれない。でも、夢の中なら会える。見える。聴こえる。

涙が出た。悔しい。私より私を理解しているこの人はもういない。夢の中でしか会えないし、もう二度と抱きしめてはくれない。
二度と会えないと分かっていたら、いつも通りの別れの挨拶なんかしなかった。急に電話が繋がらなくなったって生きていれば必ず戻ってくると信じて疑わなかった。もっと顔を見て話して、何度も手を繋いで、そして触れ合いたかった。思い返せば後悔ばかり。

死んだという事実だけ聞かされて自分を責めなきゃ息すらできないほど苦しかったはずなのに、数年経って普通に立っていられる自分が心底嫌いだ。それなのに、反響する言葉は責めるどころか私に優しい。

「やめて、元気づけるようなこと言わないで。都合よく解釈したくなるじゃない。貴方はそれでいいの?私が幸せを求めて許せるの?置いていくのは貴方じゃない、私の方よ。私が、貴方を置いて行くの!少しは責めてよ、怒ってよ、ねえ、景光」

恨み言の一つや二つ言ってくれたら良かった。自分だけ幸せを求めるなって、俺を忘れるのかって、ずっと縛り付けてくれていたら新しい気持ちに気づかない振りをしたのに。
いつも夢の中で穏やかに笑ってるから、手は握らずに半歩離れて私が先に進むのを待っていてくれるから、そういう人だって知っているから……、貴方は絶対に私の幸せを願ってくれるから手を伸ばさずにはいられなかった。

「"貴方のために幸せになる"なんて言わない。貴方を理由にはしない。これは私のため。でも置いてはいかない、一緒に歩くの。もう私の一部だから、返してなんてあげない。置いてけぼりになんかしない!」

無理矢理取った手の感触と、泣き笑いのようなその顔を絶対忘れない。本当に好きだった。初めての告白に笑って頷いてくれた、無理をしすぎたら叱ってくれた。これから他の誰かを愛すとしても、きっと何度も貴方を想う。

───馬鹿だな、それじゃ呪いみたいだろ。

夢の最後に、いつもの顔といつもの声でそう言われた気がした。

−−−−−

「死んだ彼氏の夢を見るなんて、どこぞの少女漫画か。ありがとう、景光。そうよ、私は貪欲だから『付き合えません』、はい分かりましたって首肯できるほど聞き分けは良くないの」

憐れみじゃない。景光の代わりではなく唯一として、隣にいてほしい。でも、無理強いをしてまで縛りつけたくはない。もし彼に自分以外の唯一がいても潔く身を引ける自信はないけれど、昨日言われた言葉をそのまま返そう。

────幸せになってほしい。

救ってくれた、傍にいてくれた人。余計な世話だと、俺には無用だと言われるかもしれない。それでも、今度は私が何かしてあげたいと思うから、その一言を伝えるだけでも許してほしい。

−−−−−

『久しぶりに会えないか?話したい事がある』

景光の死を告げられて以来、音沙汰のなかったもう一人の幼馴染みから連絡がきた。いや、"以来"どころか言葉を交わしたのは警察官になってからはその1度だけだったかもしれない。登録された番号は景光同様、かけてみても無機質な機械音が響くのみになった。

彼が理由もなく連絡を断つような人間でないことは分かっていたし、繋がったところで何を話すのかと思い、指の数だけかけ直したあと、連絡を取ることは早々に諦めた。

彼と話せば自然と景光の話になる。あの時の自分が平常心で景光について語り合える自信はなかったというのもある。

ふと、もし彼が死んでしまったら今度は誰が自分に教えてくれるのかと考えて、すぐにやめた。記憶の中の彼−降谷零−は息をするように何でもやってのける、非の打ち所のない人間だ。必ず戻ってくるという確信があった。景光のときと同じように馬鹿正直に信じて疑わないことを選んだ。

それに会えばきっと自分は零を責めてしまう。何故守ってくれなかったのか、命を捨ててまですることなのか、と。零を責めるのは御門違いだと理解していた。景光は自分で選んでその場所にいたはずで、何より自分以上に零の方が辛いと知っていたから。哀しみの量は比べることはできないけれど、零が景光と一緒にいた時間は自分よりも長かったし、より多くのことを共有していたはずだ。

……なんて、全て後付けの理由だ。数年経ったとはいえ、一人でも生きていけるようになっている自分を見られたくなかっただけだ。

「零」

数年ぶりに声に出して名前を呼んだ。景光はいつも"ゼロ"と呼んでいたのを思い出して懐かしくなる。ヒロとゼロ。私は結局どちらも呼ぶ機会はなかった。
ほら、やっぱり浮かんでくる。少しずつ思い出すことが苦痛でなくなっていく自分が嫌で記憶に蓋をしていたけれど、今はもう抱えたままでも私は立っていられる。

相変わらず、後ろ姿だけでも目立つ。ハリウッド俳優のような金糸の髪。幼い頃はハーフであるという理由だけで自分も彼を敬遠しがちだった。他の大多数の人と同様に。
一度だけ、その髪色をからかわれて本気で言い返しているのを見てから次第に話すようになった。景光が仲が良かったというのもあるが、零も自分と同い歳の男の子なのだと知ったからだ。

振り向いたその顔は記憶の中にいる零とあまりに変わってなくて笑みが自然に溢れる。少しだけ精悍な顔立ちになった気がする。青い目と褐色の肌は健在で、今も引く手数多だろう。頭も良くて、ハンサムで、完璧に見えるのに、そのくせ童顔なのを気にしているのを景光と一緒にからかった。遠い、記憶。

「久しぶりだな、思ったよりも元気そうじゃないか」
「うん、久しぶり。何か頼んでもいい?お腹空いてるの」
「食い意地は健在か。ヒロの奴が笑いそうだ」

その顔があんまり穏やかだったから、目が離せなくなる。全てを享受した人間の顔。零は、強い。誰かに縋らなければ立ち直れなかった自分よりも遥かに。やっぱり勝てないな、何もかも。嫉妬することもあったけれど、好きだったの。貴方たち二人が肩を並べて歩く姿を後ろから眺めるのが好きだった。私が立ち止まったら二人して振り返って待っていてくれる。もう見ることのない景色。

「お前は強いな。強かな奴だと知ってはいたが、もう前だけを見てる」
「強くなんかない。私は…、1人じゃ前を向けなかったもの」
「名前。俺は、お前に謝らなければならない。謝罪して許されることではないが…。俺とヒロの仕事、分かってるだろう?」
「なにを今更。警察官でしょう?」

そう、知っている。教えられてはいなかったけれど、そこまで馬鹿ではない。私の与り知らぬ所で景光は死んでしまった。その事実だけで、どんな風に、何を想って死んだのかは聞かされなかった。
何より、二人で警察官を目指していたのをずっと見ていた。警察学校は厳しいと聞くが、二人が志半ばで挫折するとは到底思えない。

「もしかして、謝りたいことって景光のこと?そんなの零の所為じゃない」
「いや、違う。あいつに引き金を引かせたのは俺だ。俺が、殺した」

自殺。自分で自分を殺すこと。零から聞かされた景光の最期に言葉を失った。貴方の命が終わる瞬間どこで何をしていたとか、最期に一瞬でも思い出してくれたかなとか、そんなこと今更考えたって不毛なだけ。

「自分だけの所為にできなかった。他の男を恨むことで、罪を軽くしようとした。何度もお前に会いに行こうと、そうして叱責してくれることを望んでいた。ほんの一時でも逃げようとした。いくらでも責めてくれて構わない。気が済まないなら殴ってくれていい。すまない……、すまない、名前」
「同じだね」
「同じ?」
「そう、零と私。私、景光にも同じことを言ったの。責めて欲しかった。でも景光は叱ってくれなかったよ。置いていけないから連れて行くって言ったら笑われた」

零は笑わなかった。夢の中での死んだ恋人との邂逅を、大真面目に話すのを黙って聞いてくれた。

「景光は私の一部。零にとってもそうでしょう?だから、連れて行ってあげて、お願い。それだけでいいから」
「……はぁ、やっぱりお前は強いよ。…あの男にくれてやるのは惜しいな。ヒロの奴、悔しがるだろうな」
「は?」

呆れたような、降参だと言わんばかりの顔で笑った。それから、沢山話をした。子供の頃の話、三人で行った夏祭り、私が景光に告白した時のこと、警察学校に入学する二人を見送った日のこと。でも苦しくはなかった。笑って話せた。

−−私は、私達はもう大丈夫だよ。だから、安心してね。



TOP


(読了報告として押していただけると嬉しいです)