枷を付けてくれ



※ジェハ視点、長め。口調が迷子です。

あのお姫様との出会いを赤と例えるならば、彼女との出会いは白だろう。鮮烈な王との出会いに比べ、何一つ感じなかった。大勢いる素敵な女性のうちの一人。荒くれ者ばかりの海賊達の中で、その姿は確かに異質だったけれど、それだけ。しかし、今更そんなこと言ったところで説得力の欠片もない。これは、名前がいつか僕じゃない誰かの物になることに対する負け惜しみだ。

「美味しいお酒があるの、一緒に飲まない?」
「っ……もちろん、君のお誘いなら」
「どうして隠すの?」

船の甲板でぼんやり月を眺めていたら、急に視界が一変する。屈んで僕を見つめるのは予想外の人物で、咄嗟に露わになっていた右足を布で隠した。それをピシャリと指摘されて、いつもの作り笑いで誤魔化そうとしてみる。

「その胡散臭い顔やめて」
「手厳しいねぇ、そんな所が堪らない!」
「やっぱり隠したくなるもの?」

そのままの流れで終わってほしかったのに、あっさり躱された。深く踏み込んで来ない相手はいい。甘い声で腕を絡ませて、楽しく遊べる女性の方が何倍も楽だ。広く浅く、器用に立ち振る舞う。彼女は、僕がそういう質だってことを分かったうえで心に入ってくる。だから、嫌いなんだ。いや、苦手と言った方が正しい。

「あんまり綺麗なものじゃないからね。君みたいな女性は見ない方がいい」
「海賊の女を気遣うなんて、ジェハくらいね。貴方の一部だもの、私は好きよ」

嗚呼、これが一夜を共にする女性からの言葉だったらよかった。それなら素直に返事をしたのに。冷たい手が布越しに右足を優しく撫でる。それが堪らなく嫌で、気付けばその肩を押し返していた。小さな声を漏らしてふらつくのを見て、初めて我に返る。慌てて謝ると、彼女は柔らかく笑った。

「ジェハは、強いのに臆病よね…ごめん、今のは失言。私が返したかっただけ、本当ごめん」
「返すって、何をだい?」

無意識に訊き返していた。だって僕の記憶の限りでは、彼女に何かあげたことはない。返してもらうような贈り物の見当すらつかない。そんな僕に控えめに笑うと、隣に腰掛ける。ちょうど拳三つ分くらいの距離に、何故だか胸が軋んだ。

「やっぱり憶えてないよね。まあジェハにとっては社交辞令だろうから仕方ないけど、少し落ち込んじゃうなぁ」

仲間達が騒ぐ声が遠くに聞こえる。星空を見上げるその横顔をそっと盗み見た。吹いた風に前髪が揺れて、額が露わになる。それを片手で隠すと、彼女は目を伏せた。

「私さ、物凄く貧しい家に生まれたの。苦しかったけど、楽しいことも確かにあって、これはこれでいいかなって思ってた。でも流行り病で両親が死んで、どうしようもなくなったとき、身体を売ろうとしたことがあってさ」

彼女は一旦言葉を切ると、膝を抱えた。決まり悪そうに話すのは、自分でも嫌な記憶だからだろうか。他の男に抱かれる姿を想像して、無意識に顔を歪める。何故か相槌をする気にもならなくて、黙って先を促した。

「いざ店に行ったら、言われたの。顔に傷がある女は雇えないって。まるで傷一つで女として否定された気がした。悔しくて、情けなくて、ずっとなんとなく隠してきた」

彼女はそう言いながら、荒れた指で額にある傷をなぞった。前髪の下、ちょうど小指くらいの長さの古傷。確か、役人に暴力を振るわれて硝子で切ったと言っていたっけ。会って間もない頃に、何と無しに尋ねた。せっかく綺麗な瞳をしているのだから、不自然に伸ばした前髪なんて邪魔だと思ったのを憶えている。

「そしたらジェハが言ってくれた。それは勲章だから隠さなくたっていいって。貴方のことだから傷があっても綺麗だよとか言われると思ったら、全然違った。私が闘った証だって言われたのは初めてで、あれからほんの少し自信が持てるようになったの。だからもし、貴方がその力に劣等感を抱いているなら何か言葉を贈りたかった。ただの自己満足、ごめんなさい。詮索や干渉は誰だって嫌だよね」

彼女は目を合わせず笑うと、立ち上がった。僕の過去も使命も、彼女は知らない。そんな相手に何が分かる。心でそう思いながらも、胸が少しだけ軽くなったのを感じた。もしかしたらあの時にはもう、彼女に惹かれていたのかもしれない。背中越しに見えた星空は、いつもより綺麗な気がした。

−−−−−

ある日、彼女は仲間達に囲まれていた。何事かと歩み寄ると、両手いっぱいに新鮮な魚を持たされている。いくら海賊だからって、女性に荷物持ちをさせるなんて神経を疑うよ。持ってあげようと近付いて、驚く。初めて見る服を着ていたから。珍しい装飾から、輸入品だと分かる。

「皆、ありがとう!今晩はこれで夕食を作るね」
「やったぜ!!」
「おい、主役に作らせていいのかよ」
「主役って、今日は宴でもするの?」

何の主役なのか分からず尋ねた。僕の存在に初めて気付いたのか、皆がキョトンとこっちを見る。名前の隣に立っていたギガン船長が僕を睨んだ。鋭い視線に嬉しさと恐怖で後ずさる。

「誕生日だからね、とびきりの酒で祝うんだよ」
「誕生日って・・・名前の?そう、なんだ」
「すぐにご飯の支度するから、待ってて」

呆然とする僕を気にも止めず、手を振って調理場へと消えて行った。誕生日だなんて知らなかった。さすがに何も贈らないわけにはいかない。別に特別な意味なんてない、日頃の感謝を込めて彼女が生まれた日を祝うだけだ。早く町に行かないと出店が閉まってしまう。何を贈ろうかと考えながら、空に向かって飛んだ。

結局、何の捻りもない首飾り。いつも走り回っている彼女の邪魔にならないように装飾は小さいやつを選んだ。こんな安くてどこでも手に入りそうな物。時間がなかったなんて言い訳だ。なんだか格好がつかない。控えめに溜息をついて船に戻ると、宴はすでに始まっていた。

「ジェハ!どこに行ってたの?」
「名前・・・ちょっといいかな」

駆け寄って来た彼女の手を引く。簡単に折れそうな細い手首だ。本来なら庇護される立場なのに、それを忘れてしまうほど彼女は凛々しく逞しい。生き生きとしたその姿は、僕が求める自由を体現している。苦手だと感じるのは、心のどこかで嫉妬していたからなのかもしれない。

甲板へ出てから手を放すと、不思議そうに僕を見つめ返してくる。吹いた風で顔を出したあの傷を隠すことはしない。受け入れて進むことにしたのだろう。彼女の傷は、世界からすれば取るに足らないものだ。それこそ四龍の血と比べれば、天と地ほどの差がある。名前に限らず、世の中の奴らが抱えてるものなんて、この力に比べたら矮小なものだと思っていた。それでも、彼女にとっては擦り傷じゃない。少なくとも、他人ぼくの言葉に縋らなくてはいけないくらいには重かった。

「これを君に。ついさっき買って来たから安物だけれど、次はもっと君に似合う物を贈るよ」
「…値段なんて関係ない。大事なのはジェハの思いだよ。それがあるだけで、これは私にとってただの首飾りじゃなくなる。ありがとう、大切にするわ」

掌の首飾りを見て微笑むと、そう言った。荒んだ世界の中で、名前の心はとても綺麗だ。隣にいたら絆される。無意識に彼女の、そして自分の幸せを願いたくなる。月の下で笑うその姿を、ずっと見ていたいと思う。近づき過ぎれば、こうなると本能的に分かっていた。

「ねえ、ちょっと見て!この石、光にかざすと凄く綺麗。キラキラしてる」

グイと腕を掴まれて、彼女が掲げたそれを隣で仰ぎ見る。月明かりに照らされ輝く石は、今まで見たどんなものより美しかった。自分の手の中にあったときは、小さくて安っぽい石だったはずなのに。なんだか可笑しくなって笑った僕の隣で、名前も肩を揺らした。

「ジェハの色ね」
「え?」
「ほら、貴方の髪と同じ色。これでジェハが遠くに行っちゃっても、寂しくないね」

どこから突っ込めばいい。天然で言っているにしても質が悪い。確かに選んだのは緑色の石だ。でも別に自分の代わりに傍に置いてほしかったわけじゃない。彼女は海が好きだから、青色があればそれにした。でもなかった。それだけだ。

「本人が傍にいるじゃないか」
「そうね。でも、ジェハは何処にでも飛んで行けるでしょう?貴方が空を舞う度に思うの。このまま帰って来ないんじゃかなって。そうなったらもちろん寂しいけど、私は嬉しい」
「えっと……僕って実は嫌われてる?」

いなくなって嬉しいって、そういうことだよね。他人の感情には敏感な方だと思っていたけれど、まさか。サーッと血の気が引きかける。そんな僕を見て名前は腹を抱えて笑い出す。全く厄介だよ、君は。

「まさか!大好きよ…私はここの仲間が大好き」

ズルっと転びそうになった。今の流れは僕のことが大好きだって言うところだと思う。目の前にチラつかされた餌に飛び付いて、届く前に引っ込められた気分だ。

「本当にここにいたいと思ってくれているなら、とても嬉しい。だけどいつか、貴方が別の場所を望んだとき、私は迷わず見送る。自由を求めてこそジェハだから。私の感情で縛り付けることは、貴方を殺すことと同義」

まずい、泣きそうだ。自分ではいつも軽口を叩いているからか、本気の言葉をぶつけられるのは苦手だ。例えばそれが、罵倒とか哀れみなら痛くも痒くもない。でも彼女の言葉は真逆、感情が溢れそうになる。何も言わない僕を覗き込もうとするから、誤魔化すように背を向けた。

「名前、ちょっと僕に背負われてくれない?」
「は、なんで?」
「いいから、ほら」

逃げようとする手を引いて、小さな体を背負った。本当は腕の中に抱きたかったけど、今の顔を見られたくない。迷うように肩に手が乗せられると同時に、足に力を込めた。小さな悲鳴と共に首へと腕が回る。背中越しに感じる柔らかい感触を、意識しないように努めた。

「海もいいけど、たまには空も悪くないだろう?」

背後で息を飲む気配に、得意げに笑う。もしこれから僕がここじゃない何処かを願ったとして、僕がいれば君だって何処へでも行けると言ったらどんな顔をするだろう。

−−−−−

「ユン君、料理上手ね。これじゃ私はお役御免かな」
「名前もなかなかだよ。珍獣共とは大違い」

話しかけようとして、やめた。くすくす笑う横顔は久しぶりに見る。ヨナちゃん達の前だと、名前はいつもよりよく笑う。元々、海賊に身を置くような女性じゃない。素直で手先も器用だし、人見知りもしない。彼女にはもっと相応しい場所がある。

「名前が帰って来ない?」
「そうなんだよ、もうすぐ暗くなるってのに」

ヨナちゃんとユン君がクムジの船に潜入する前日、名前が消えた。まだ明るいうちに買い物に出かけたはずだ。いくらなんでも遅すぎる。言い様のない不安が胸を覆った。

「ジェハ!名前がいなくなったって本当なの!?」
「クムジの野郎の手口はあいつも知ってるんだろ?」
「あの子は馬鹿じゃない、一人で乗り込んだりしないよ」

取り乱すヨナちゃんとユン君。他の女の子みたいに、クムジに攫われたんじゃないかとハクが言う。それをギガン船長は真っ向から否定した。僕も同意見だ。彼女は危機管理ができない人間じゃない、引き時は見極められる女性だ。それなら何処に消えたって言うんだ。探しに行こうとする僕を船長が制止する。

「作戦決行は明日だ。言っている意味は分かるね?」
「っ……はい」

激昂しそうになるけれど、なんとか留まった。気遣わしげに僕を見るヨナちゃん達の視線から逃れるように踵を返す。固く瞳を閉じて、拳を握った。このまま会えなくなったら、きっと僕は後悔する。そう確信している自分に笑った。鬱陶しく感じていたはずだ。それがいざ視界から消えたらこんなにも不安になるなんて、天邪鬼もいいところ。恩返しがしたいと言われたのは初めてだった。深く考えず放った言葉が、まさか誰かを救っていたなんて思わなかった。ましてや返ってくるなんて青天の霹靂だ。

「僕は、もう充分すぎるくらい君に救われている」

作戦の日。潜入した二人を案じて皆まともに眠れていないようだった。追い討ちをかけるように、名前の不在が息をしづらくさせる。喉元に手をやって、軽く爪を立ててみる。苦しい。会いたくてたまらない。

戦闘が始まる。胸を覆う不安を拭うように敵を蹴散らした。そして花火が上がる、ヨナちゃん達の目印だ。シンア君を伴って飛ぶ。目的の船へと降り立って、二人に駆け寄った。ユン君に至っては酷い怪我だ。

「ジェハ!名前がっ、クムジに連れて行かれた!」
「あいつ、名前が海賊の一味だから攫ったんだ!!」

矢継ぎ早に二人が叫ぶ。ああ、嫌だ。胸に何かが流れ込んでくる。これは、殺意だ。濁流のように全てを呑み込んでただ殺したいという欲望だけが燃えている。ここまで誰かに憎悪したのは初めてだ。緑龍の里の奴らにすら、こんなドス黒い殺意を抱いたことない。懲りずに襲ってくる雑魚を沈め、海原へと視線を移す。よりにもよって彼女に手を出すか。お陰で何の迷いもなく殺せそうだ。遠ざかる小舟に向かって飛んだ。舟の上にはクムジの他に船頭と、名前の姿が見える。暗器を構えると、僕に気付いた奴が彼女を引き寄せ弓を手に取った。

「っ、ジェハ!!当たってもいい、トドメを!!」

残酷なお願いだ。もしこの手で君を傷つければ、僕は一生後悔する。分かっているさ。君は僕を疑っていない。必ず奴だけを射抜けると、信じてくれているのだと。数瞬の迷いが手元を狂わせる。クムジが引いた矢が右肩を掠めた。体勢を崩して海へと落ちる中で、名前の瞳が絶望に染まるのが分かる。水面に顔を出すと、彼女が僕を呼んだ。再び舟へと視線を戻して、惑う。クムジの様子がおかしい。名前を突き飛ばし、狭い舟の上で怯えるようにどこかを見ている。刹那、背後から飛んできた矢に胸を射抜かれ、その身が傾く。その光景を見て、油断した。長い夜が終わるなんて台詞は、彼女をこの腕で抱きしめてから言うべきだった。海に沈む間際、クムジの手が名前の服を掴む。息を飲んで、華奢な体は容易く消えた。

「名前!!」

大きく息を吸って潜る。暗くて何も見えない。水を掻きながら、視線と腕を動かす。矢はクムジの心臓を射抜いていたはずだ。いつもの彼女なら振り払って、泳げる。でも、さっき見た様子だと万全じゃなかった。体も心も疲弊した状態なんだ。必死に目を凝らしたそのとき、小さな光が見えた。それは僅かな月光に反射してキラキラと主張している、ここにいると。暗闇の中を無我夢中で泳いで、手を伸ばした。指先に触れた細い腕を握って引き寄せる。抱えながら水面へと顔を出して、瞳を閉じたままの彼女の肩を揺すった。

「名前、名前!頼むから、目を開けてくれ!」
「ぐ、ごほっ、は・・・ジェ、ハ」

薄く目を開けて、弱々しく僕を呼ぶ。彼女の瞳に映った自分はあまりに情けない顔をしていた。それを見られたくなくて、胸元に引き寄せたずぶ濡れの髪に顔を埋める。力が入らないのか、されるがまま。震える唇に噛み付いたら、怒られるかな。邪なことを考えていたら、名前が小さく笑う。

「ここで笑っちゃうんだから流石だよ、うちのお嬢様は」
「ジェハの鼓動、すごく速い。心配してくれたの?」

挑発するみたいに見上げてそう言われる。ぐっと言葉に詰まる。掌で転がされている気分だ。今ここで想いを告げたら、その得意顔を崩せるかな。悔しいけれど、このままでいいとも思うんだ。いつだって君は、広く自由な心で僕を迎えてくれるから。

−−−−−

宴が始まった。食っては飲んでのどんちゃん騒ぎ。この喧騒の中にいられるのも、あと僅か。そっと視線を上げると、見慣れた背中が視界に映る。何も考えずに腰を上げて、後を追った。膝を抱えて水平線を見つめる名前の隣に座る。

「隣、いいかな」
「もう座ってるじゃない・・・皆にお別れは済んだの?」
「なんかもっとこう、ないの?雰囲気って大事だと思うんだけどな」

前置きすらない問いに苦笑しながら、膝に顔を埋めた。言葉ではそう言ったけど、ちゃんと伝わってくる。中々声をかけられないでいた僕を見かねて、わざと席を外したんだろう。その横顔を盗み見ようと少し顔を上げると、鼻先が触れ合いそうな距離に彼女がいて思わず後ずさった。

「っ、はは!なに勿体ぶってるの、早く言いなよ」
「君はほんと、男前すぎて眩しいよ・・・僕は、ヨナちゃん達と一緒に行く」
「うん」
「だから、君にも付いて来てほしい」

はっきりとそう言うと、名前は目を見開いた。だけど次の瞬間には、いつもの表情に戻る。落ちる沈黙がとてつもなく長い。僕の言葉を反芻しているのか、それとも答えに迷っているのか。

「何故?”だから”の意味が分からない」
「僕は、君が好きだ。いつもの冗談じゃないよ、本気だ」
「それで?」

それでって、これ以上何を言えと。確かに付いて来てほしいというのは、四龍としての使命に彼女を付き合わせるということだ。誠意を見せずに無理矢理だなんて、僕の流儀に反する。

「その好きっていうのは、女としてってこと?」
「もちろん」
「そっか・・・まず、私は旅には付いて行けない」

胸を抉られる。のらりくらりが信条のくせに、相手に拒絶されると一丁前に傷付く。途端に視界が暗くなる。不透明だった未来が少し明るくなったと思ったら、これか。やっぱり執着するのもされるのも、碌なことにならない。

「話は最後まで聞いて。ジェハが嫌いだから行けないわけじゃない。前に言ったでしょ、貴方が違う場所を望んだときは迷わず見送るって。それに、私はこの街も仲間も大好きだから、離れたくないの。ここより貴方を選べるほど、私は貴方を好きだという自信がない」
「はぁ〜、つまり僕はこの街に負けたってことかい?なんだか釈然としないな」

軽口を叩いてみるけれど、泣きそうだ。振られて泣くなんて、かっこ悪すぎる。淀みのない瞳を見ていられなくて俯くと、身体に衝撃が走る。背中に回された腕に、狼狽えた。僕の胸に額を引っ付けて、名前が笑う。

「好きだって言ってくれて、嬉しい。そんなに私が欲しいなら、全部片付けて攫いに来てよ。まあ、他に男がいたら逃げちゃうかもしれないけどね」

歯を見せながら、また爆弾を落としてくる。額の傷が輝いて見えた。月の光を受けて、想いは育つ。彼女がいない間は大切に仕舞っておこう。まあ思い出すだけで愛しいから、どんどん成長しそうだけど。

「僕は海賊であって、盗賊ではないんだけど」

離れていきそうな腕を引く。容易く飛び込んできた体を抱き上げて、空へ。今度こそ背中ではなく、腕に抱えて。いつかまた、こうして一緒に月を見たい。やけに静かだから思わず見下ろすと、名前は胸の前に手をやって身を縮こませている。

「首に掴まりなよ」
「え、だって……っ、
「く、あはは!さっきまであんなに大胆だったのに、可笑しな子だ。照れてるのかい?」

密着するのが恥ずかしいらしい。もじもじと手を動かす姿が愛しくて、揶揄ってみる。キッと睨まれるけれど、今の僕には逆効果。崖上の一番高い木に降り立って、そっと小さな体を下ろした。今夜は三日月がよく見える。星も綺麗だ。何も言わずに佇む名前の隣で枝の上に腰掛ける。

「ジェハ……迎えに来ようだなんて、思わないで。私は自由な貴方が好き。だから、心に枷を付けないでね」

声が震えている。一緒に行けないとか言っておいて、これはもう告白じゃないのかな。勘違いしない奴がいたらお目にかかりたいよ。立ち上がって隣に並んでみても、名前は海だけを見つめている。堪らなくなって、額の傷に口付けた。強張る肩を引き寄せて、耳元で囁く。

「必ず、帰って来るよ」
「・・・人の話、聞いてた?」
「素直じゃないねぇ、そんな所も可愛いよ」

頬に顔を寄せようとしたら、そっぽを向かれた。追いかけられるのは嫌いけど、君に追いかけられるのは悪くなさそう。まあ、そんなことは一生起こらなそうだけどね。手を伸ばしてくれるだけでもいい。僕を求めてほしい。

「僕がいなくなった街で、寂しさを知ればいいよ」

−−終−−



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