生きる理由を頂戴



※ファミリーネーム固定。戦争の描写がありますので、ご注意ください。

ナーシサス家−−−私の実家は、軍の関係者ならば誰でも知っている名門である。先祖代々、海軍軍人を輩出し、戦争に貢献してきた。ナーシサス大佐が指揮を執れば、海上から敵国の船は消え失せる。私の父は、軍内ではそんな風に言われているらしい。笑ってしまう。端から見れば凛々しく気高い一族でも、中身は腐った果実そのものだ。枝で突けば、容易く皮は破れ、汚い果肉が液体となって溢れ出すだろう。毒を持つ花の名は、古臭い伝統に縛られたこの家の内状を如実に表している。これ以上ないくらい相応しい名前だと思う。国王の子が次の王になるように、この家では皆等しく軍への従事を強要された。

「これだから女は」「何の為に生まれたのか」「名前だけしか価値がない」。囁かれる噂に反発するほど、私はこの家に執着がなかった。なのに出奔することは許されず、結局ナーシサスの名を背負ったまま生きてきた。軍靴の中に入った石のように煩わしく思っていたのなら、いっそ追い出してくれればよかったのに。真綿で首を絞められるような環境で私に与えられた選択肢は、片手で数えても指が余るほどしかなかった。女の身で軍人になるか、他の方法で軍に貢献するか、この命を絶つか、そのどれかだ。生憎と軍人に必要な誇りも戦闘の才も私には備わってはおらず、家の為に散らせる安い命も持ち合わせてはいない。故に、残された選択肢はただ一つだけ−−−私は軍医になった。敢えて人を救う仕事を選んだ根底に、ささやかな抵抗があったことは否定できない。

「これはこれはブーゲンビリア大佐。先の戦闘での活躍、素晴らしかった。辺境伯の名に恥じぬ戦い振り、感服いたしました」
「貴君の方も、敵国の船を一掃したと聞きました。複雑な地形を逆手に取った戦法、流石です。おお、そちらの美しいお嬢さんは御息女ですかな。丁度良い、息子を紹介しましょう。ギルベルト、こちらへ来なさい」
「はい、父上」

何が丁度良いのだろう。いつもこれだ。名門ナーシサス家のご令嬢。私は軍医である以前に女なのだ。男ばかりのこの世界で、名家の女は息子の結婚相手でしかない。とあるパーティの席で、初めて彼に会った。ギルベルト・ブーゲンビリア−−−穏やかな表情で私を見る姿はとても軍人とは思えず、戸惑ったのを憶えている。そしてその宴の中に、同じ花の名を背負った男がもう一人いた。長く伸ばした黒髪は、規律を重んじる軍の集まりの中ではひどく異質だった。あのとき長男である彼を差し置いてギルベルトを紹介した理由を、風のたよりで聞いた。あの男は家督を弟に押し付け、海軍に入隊したのだと言う。それを耳にして、妙な親近感を覚えた。いくら嫌っても、戦争からは逃れられない。そんな所が、自分とよく似ていたから。結局その日は言葉を交わすことはなかったが、数日後に相見えることになる。必然だった。父が彼の上官だったのだ。以来、私とディートフリートの関係は起伏を繰り返し、奇妙なことに希薄にはなれど切れることはなかった。

「誰かと思えばナーシサスのご令嬢か」
「その名で呼ぶのは止して。それとも嫌味のつもり?」
「相変わらず気性の荒い女だな。貰い手がないのも頷ける。淑女としての教育くらい受けているのだろう?麗しく一礼くらいしたらどうだ?」
「いくら退屈だからって私に八つ当たりしないで。せっかく静かな場所を見つけたのに、貴方の所為で台無しよ」

戦と戦の合間のこと。また一つの戦闘に区切りがついた。勇敢に散った戦士達を讃えて、などと言って皆酒を煽る。その輪に入るのが苦痛でひとり外に出ていたら、背後から声をかけられた。粗暴な口調と揶揄うような物言いで、すぐに誰だか理解する。自分だけの寂静を破られた心地がした。会話を続ける気になれず、踵を返そうとしたところで手首を掴まれる。

「おい、なんだその顔は」
「は・・・私の容姿に文句があるなら、貴方の上官に言って、
「顔の造りの話ではない。顔色だ。沼のようだぞ」
「本当、失礼な男。人に淑女がどうとか言っておいて自分はどうなの?貴方に女性として扱ってもらった記憶が私には無いわ。少しはギルを見習ったらどう?」

その名を口にした瞬間、彼は鋭い目をさらに細めて私を見た。それでも少しも恐怖を抱かないのが不思議だ。きっと戦場では、何倍も冷たい目をするのだろう。あのギルベルトでさえ、冷酷な軍人になるのだから。

「ふん、敬うべき女にはそうする。だが生憎、お前はそうではない。噂は届いている。戦場の女神−−−大層な呼び名じゃないか」
「言われなくても分かってるわ。戦場に、女神なんかいない。その輪に入った時点で悪なのよ。私も、貴方も」

掴まれたままの手を振り払い、背を向ける。私はこの男が好きで、同じくらい嫌いなのだ。境遇も、素直じゃない所も、自分とよく似ている。こうして会話を交わしていると、鏡越しに己と話している気すらする。触れた指先は冷たかった。そのくせ最後に一瞬だけ交わった視線がひどく優しくて、笑ってしまう。嗚呼やはり、違う。少しも似てなどいなかった。私には、こんな瞳はできない。人を救う立場にあっても、身近にいる人間にすら優しくできない。なんて不器用な女だろう。放っておいてほしいと思いながらも私は、会う度に自分がこの男に惹かれていくのを感じていた。

**

「何も吐きそうにないな、頑固な奴だ。仕方ない、殺せ」

軍の指揮官はそう言い放った。その視線の先には、ひとりの兵士。纏っている軍服は、周りを取り囲む兵士達とは異なっている−−−捕虜だ。頬は腫れ上がり、爪は一枚残らず剥がされ、拷問の痕跡が至る所に残っている。その瞳はすでに虚空を見つめていた。生きることを放棄した目。

「少佐、始末を頼む」
「はっ」

少佐−−−ギルベルトの返事を合図に前へと出たのは、少女だった。戦いばかりの毎日の中での一頁。その子を初めて見た。ギルに追従していると噂の少女兵。髪は乱れ、手足は傷だらけ。銃を構え、いつでも殺せるといった顔をしている。ギルが一瞬だけ顔を歪めるのが分かった。その表情の意味は、どちらなのだろう。捕虜に対する同情か。それとも、この子に引き金を引かせることへの罪悪感か。兄に似て、優しい男だ。その瞬間を記憶に刻むべく、私は顔を上げた。仲間に看取られることなく、敵に囲まれ死ぬのだ。せめてこの場にいる者として、彼の死を背負う責任がある。刹那、私は我が目を疑った。そして次の瞬間、気付いたら少女の進路を塞いでいた。

「なっ、何をしている!?そこをどけ、医者風情が出しゃばるな!!」

汚い唾を撒き散らし、指揮官はそう言った。少女は表情を変えない。ただひとり、ギルだけが戸惑うように私の名を呼んだ。何をしているのか、自分でも理解できなかった。それでも見てしまった、光の失った目から零れた涙。これは医師としての義務だ。私の意思じゃない。

「私は医師です。敵だろうが味方だろうが、生きたいと願う者を救うのが仕事です」
「御託はいい。どかぬなら、貴様もここで殺してやろう」
「っ、お待ちください」
「先ほど、医者風情と仰りましたね。もし我々が居なければ、あなた方は今回の功績を成し遂げることはなかったでしょう。ご自分の立場が大勢の血と涙と犠牲の上に守られていることを、ゆめゆめお忘れなきように。人を見下す者は、上に立つべきではない。ここで貴方に屈してしまったら、私はこれから一生胸を張って生きられなくなる。だから、何を言われようと、どきません」

自分でも驚くくらい言葉が流れるように出てきた。医師の資格剥奪、それならまだマシかもしれない。どうせなら、勘当してほしい。そうすれば、あの家から解放される。どこかの片田舎で小さな診療所でも始めればいい。緊迫した状況下でそんなことを考えながら、返事を待った。

「いいだろう。だがもし、その捕虜が我が軍に不利益を与えるようなら、貴様諸共殺す」
「お好きにどうぞ」

鼻を鳴らしそう言って、足音は遠ざかっていった。力が抜けてふらつく。へたり込むと、肩に何かが触れる。振り向けば、眉間に皺を寄せたギルの顔があった。こういう表情を見ると、やはり兄弟なのだと思う。嗚呼いやだ、近くにいるのはギルなのに、頭をチラつくのはあの男だ。粗暴で冷たくて、傍に居ないのに。

「本当、卑怯な男」

**

穏やかな昼下がり。街は活気に満ち溢れ、人々は笑顔で通りを往来している。戦争は終結したのだ。未だ人々の心には傷があり、それは決して無くなることはないだろう。それでも新たな傷を負うことはなく、塞がり疼く記憶となる。そんな日に、私は絶望していた。告げられた言葉に納得できず、怒りで唇が震えるのが分かる。馬鹿ではない、意味は理解できた。そして、心のどこかでそう言われるだろうことも予想していた。それでも聞き返さずにはいられなかった。

「今、なんと仰ったのですか、父上」
「聞こえなかったのか。ならば今一度言う、お前の嫁ぎ先が決まった。五日後に顔合わせがある。準備をしておけ」
「奪うのですか……」
「なに?」
「っ、医師という立場この場所しかお与えにならなかったのに、それすら私から奪うのですか・・・今更、普通の女として生きろと仰るのですか!!」

無意識に声を張り上げていた。何事かと部屋の外で控えていた使用人が駆け込んでくる。癇癪でも起こしたように取り乱す私を、父は表情を変えることなく見つめ返した。この人は昔からそうだ。母や私と接するときでも、戦場で見せるのと同じ顔をする。血が繋がっていようと、父にとって自分以外は等しく他人なのだ。そう痛感させられて、怖気付いてしまった。気道が狭くなったように息苦しくなって、真っ直ぐ立つことすら難しくなってくる。抗っているつもりでいただけだった。私は結局、この家に屈服し呑み込まれる運命だった。馬鹿らしくて、思わず笑ってしまう。嘲笑に聞こえたのだろう、父の視線が鋭くなる。投げ出してしまおうか。身を委ねればきっと楽になれる。思考に、視界に、靄がかかったように世界が色を失っていく。

「ならば俺の所に来い」

部屋に響いた凛々しい声に、心が震える。咄嗟に振り向けば、いつも通りの表情で彼は立っていた。制止しようとする使用人の手を払い除けて、規則正しい足音を立てながら私の傍までやって来る。モノクロになりかけた世界が、その瞳の緑から再び色付いていく。

「ディート…貴方、どうして、
「偉くなったものだな。それは私の娘だ。どう生きるかは私が決める」
「矜持を持たぬ者こそ、真の愚者である。よくご存知でしょう。貴方の言葉です。こいつには医師としての矜持があります。貴方ともあろう御方が、その手で実の娘を愚者へと堕とすおつもりですか」

戸惑う私と視線を合わせることなく、彼は父に反論した。張り詰めた糸のような空気が、部屋中を支配する。逃げ出したくなった。壊れそうな心を必死に保とうとしていると、胸の前で握っていた拳を取られ引き寄せられる。こんな時でも、いや、こんな時だからこそかもしれない。胸が高鳴った。口付けはおろか、手を握り合ったことすらない。初めて感じる温もりに涙が溢れそうになる。

「お聞き及びかとは思いますが、我が弟のギルベルトは未帰還扱いです。ブーゲンビリアは私が継ぐことになるでしょう。良いか悪いかは別として、それなりに名の通った家だと自負しております。体裁を重視するならば、何も問題はない」
「理解に苦しむな。そんな娘のどこがいい。女としても軍人としても中途半端。己の身を滅ぼすだけだぞ」
「貴方には一生、理解できないでしょう。女も軍人もただ従順なだけでは意味がない。不要だと仰るのなら、私が頂きます」

ディートフリートは毅然とそう言い放った。父は肯定も否定もせず、興味を失ったように私から視線を逸らす。不思議とそれに心が痛むことはなく、むしろ胸が軽くなった気がした。ずっと、煩わしく思われるより、無関心が欲しかった。そうすれば、どこへなりと行けるから。腕を引かれるままに部屋を出て廊下へ。怪しげな視線を向ける使用人の間を裂くように、速足で通り過ぎていく。玄関前まで来てやっと我に返り、声を上げた。

「待って、ディート…さっきの言葉、本気なの?」
「冗談に聞こえたか?」
「いいえ。でも、悔しいけれど、父が言ったことは事実よ。私はきっと、女として貴方に尽くすことはできない。それに一生、軍人としての貴方を肯定することもできないわ」
「俺がいつ、そんなことを求めた?」

苛ついたような声で問われる。それに萎縮するより先に反抗心が湧いてくるのだから、やはり私に淑女としての才はないらしい。不愉快そうな顔をしているのが自分でも分かる。一方、目の前の男は愉快そうに笑うと、扉を開けて振り向き言った。

「お前を縛る鎖は俺が解く。ついでに新しい花ブーゲンビリアの名をくれてやる。その代わり、約束しろ。矜持を胸に俺の傍で生きろ」
「・・・ずっと思っていたけれど、どうしてそう命令口調なの。もう少し素直になりなさいよ」
「どの口が言う。お前にだけは言われたくない。さっさと手を取れ。俺の気が変わらぬうちにな」

放たれた扉の向こうから差し込む陽の光に、堪らなくなる。本当はずっと、叫んでいた。初めは呼べる名などなかったはずなのに、いつからかたった一人の名前を叫ぶようになった。いつか貴方が、こうして私を連れ出してくれることを、願わずにはいられなかった。こうして重ねれば、強く手を引いてくれる。生きる理由が欲しかった。家の為にではなく、誰かの為に生きる理由を。汚い根から生まれた私でも、傍にいることを許してくれるのなら、迷わず踏み出そう。いつかこの身に巣食った毒を浄化して、貴方の隣で美しく咲いて見せるから。

−−fin.−−



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