心だけは、さらってほしい



※現パロになります。須郷さんはSPです。ハッピーエンドではありません。それを踏またうえ、お読みください。


「貴方と、須郷鉄平と過ごした期間はたった2年だけだったけれど、その日々は私のちっぽけな人生で何より綺麗な宝石でした」

最後の日、私は笑ってそう言えたでしょうか。

−−−須郷と申します。本日より自分が警護を務めさせていただきますので、よろしくお願いします。

今この時も、耳に残るその声に思いを馳せています。

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拝啓 須郷徹平 様

貴方がこの手紙を読んでいるのは何月何日なのでしょう。きっと返事を貰うこともないでしょうから、書きたいことを書こうと思います。
一方的に手紙を送ることをどうかお許し下さい。

今だから言いますが、初めは私の貴方に対する印象は最悪でした。きっと顔に出ていたかもしれませんね。貴方と違い、私は無表情が苦手なのです。

風が吹いても崩れないオールバックの髪。夏なのに第一ボタンまで留められたシャツは見ているだけで苦しそうでした。定型的な挨拶をしながら、その表情に変化はなく、数秒の間に"堅物"という第一印象が叩き出されることになったのです。『よろしく』と言った私に深々とお辞儀をした貴方の後頭部を何の感情もなく見つめていたのを覚えています。

街行く人達に『苗字財閥といえば?』と尋ねれば、皆口を揃えて『国内有数の大金持ち』と答えるでしょう。恵まれていると感じてはいましたが、幸せかと問われて二つ返事でイエスとは言えないような娘でした。長女という立場であったものの、家を継ぐのは6つ年上の兄だと決まっており、過度な期待はそれほどなかったように思います。父母や兄との関係も悪くはありませんでしたし、苗字の名に泥を塗らない程度に過ごしていれば何か言われることはなかったのです。勿論、他と同様に教養や礼儀作法は叩き込められましたけれど。それでも、苗字の姓は私にとって足枷でしかありませんでした。どこに行っても解放されることはない、どこまでも絡みついて離れない呪縛のように。

当時は俗に言う"凡庸な生活"に憧れたものです。同い年のボーイフレンド、家族でファミレス、休日に同級生とカラオケ。どれも私には許されることのない普通・・でした。

20歳になり、私に残された自由があと2年になった年。それが終われば待っているのは退屈な余生だけだった筈でした。決められた相手と結婚し、与えられた道を行く。それが嫌だと反発したところで、たった一人社会に投げ込まれたらきっと生きていけなかったのに、それを素直に認められないくらい私は子供で、世間知らずだったのでしょうね。

その年の夏に貴方と出逢いました。貴方は執事のように従順で、必要以上に私と関わろうとはしませんでしたね。それでも私はどこへ行くにも貴方を連れて行きました。
今思えば、最後の悪足掻きだったのでしょう。誰にも告げずに、たった一人を伴って歩くこと。たとえ保護対象であったとしても私だけを見ている人がいたこと。全てが、"最後の瞬間"でしたから。

例えばあの時、出会ったのが貴方でなくても私は同じようにしたのかもしれません。だから後付けに聞こえるやもしれないですが、私の前に現れたのが貴方で良かったと心から思います。無口で、仕事以外には不器用で、優しい貴方に私は救われたのです。

父の取引先の上役や、海外の友人を招いた社交会に出席したときです。本来社公的ではない私には、幾度となく体験してきたパーティーでも苦痛を伴う時間でありました。一通り挨拶を終えて疲れ果てた私を外に連れ出すことを父に頼んでくれましたね。そして、都内の星空スポットに連れて行ってくれました。
そんなことまで仕事の範囲内でないことは鈍い私でも分かっていましたけれど、嬉しくて、その優しさに身を委ねてしまいました。

何も言わずに、ただ傍にいるだけ。最初は鬱陶しく感じていたはずでした。ですが、半年経つ頃には貴方の傍はとても心地よく心から笑える場所になりつつありました。現金ですよね、本当に。

貴方は、『仕事だから』、『できる事なら』と言いながらも私の希望をほとんど叶えてくれたのです。
映画館に行きました。100円で買えるお菓子を買いに行きました。そういえばファミレスにも連れて行って、私の話を聞いてくれましたね。
20年生きてきて、あの2年間にしたことは私にとって初めての経験ばかりだったのです。可笑しいですよね。そして悲しいことにその初めては、全てが最後の経験でもありました。

恐らく、頼めば今後も叶うような望みばかりであったように思います。それでも紛れもなく最後・・でした。貴方とは二度と経験することはできません。次に何をするにも貴方が傍にいないことが私には耐えがたかったのです。
ずっと焦がれていたのですから、数々の普通・・を特別に感じたのは確かでしょう。それでも貴方がいなければ、あれほどの幸福を抱くことはありませんでした。

貴方に抱くこの気持ちを何と呼ぶのか、私は知らなかった。いいえ、分からないふりをしていたのです。もし父や母に知られれば、2年という期間がさらに短くなってしまうことは容易に想像できました。
貴方も私の想いには気付いていなかっただろうと思います。こんな事を言えば失礼でしょうけれど、貴方はきっと色恋に対しては不器用でしたから。

憶えていますか。貴方と過ごす2度目の夏でした。忘れもしないあの日です。海が見たいという私の望みを叶えてくれました。
夕陽がとても綺麗で、それが何だか切なくて、あんな事をしてしまったのです。驚かせてしまったことを本当に反省しています。

そうですね。気の迷いと本心と、あとは少しの悪戯心でした。
浜辺に立つ貴方となんの脈絡もない話をしながら、少しずつ水平線に向かって進みました。ちょうど腰の辺りまで海水に浸かっていて。振り向けば、気付いた貴方が浜辺から駆けて来るのが見えました。
その姿を見ながら、ゆっくりと波に攫われる私はどんな顔をしていましたか。
見たことないような焦った様子を見て、初めて我に返ったのです。その直後には貴方の腕の中にいました。

『何をしているのか』と、あれほど恐ろしい剣幕で怒られたのは初めてでしたし、きっとそれも最初で最後でしょう。
私といえば、自分がしようとした行為への恐怖と、男性に初めて抱き締められた羞恥心で何も考えられませんでした。その後は半ば引きずられるようにして、家まで帰りました。
あの日から一層、貴方は過保護になってしまって、それを喜びに感じる自分の心に戸惑い、そっと蓋をしたのです。

残された時間が残り2ヶ月になった頃。
あんな瞬間は二度と体験したくはありません。心臓が千切れるような感覚でした。
財閥の娘であるという自覚が薄れていたのでしょうね。それとも貴方が傍にいたから、安心していたのでしょうか。

貴方は私を守るために大怪我を負いました。酷く落ち込み自分を攻めた私に、父や母はそんな必要はないと言ったのです。分かっています。私を案じてかけてくれた言葉だったということは。
それでも、あのときは自分を保つのに精一杯で、貴方を軽視する父母の言葉を聞き流すことができませんでした。それで、胸に秘めた想いを口にしてしまったのです。

それを聞いた両親の行動は予想していた通りのものでした。私は二度と貴方に会わないようにと釘をさされ、僅かに残っていた2ヶ月を自らの行為で棒に振ることになってしまいました。
もしかしたら、貴方は安堵しているでしょうか。我儘で面倒な娘を護衛する必要がなくなったのですから。

最後まで意地っ張りで、ごめんなさい。貴方はそんなこと思っていても口にはしないでしょうに。
自分の本当の想いを口にしない限り、貴方はきっと私が喜ぶ言葉をくれるのでしょう。『楽しかった』と言えば、『自分もです』と言ってくれるのでしょう。

この想いを決定的な言葉で伝えて、貴方を困らせてみたい気持ちもあるのです。
でも、やめます。2年もの間縛ってしまったのです。
貴方は知らないかもしれませんが、私は本来、素直で聞き分けの良い娘なのですよ。

さて、終わりに。
予期せぬ別れ、とは言わないでしょうか。ほんの少し早くなっただけです。
怪我を負わせた挙句、最後は追い出す形になってしまったこと、本当に申し訳なく思っております。
まだ意識は戻っていないそうですが、お医者様の話では命に別状はないとのことで安心しています。
この手紙を書き終えたあと、一度だけ会えることになりました。
伝えたい言葉はその時に贈るでしょうから、ここではこれだけにします。

本当に、ありがとうございました。
さようなら、どうかお元気で。

                 苗字 名前
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「須郷、貴方との2年間は私にとってかけがえのない物です。これだけで私は生きていける。怪我をさせてしまって本当にごめんなさい。守ってくれて、ありがとう。
聞こえていないでしょうから、最後にひとつだけ我儘を言ってもいいですよね。どうか心だけは、私の心だけはこのまま攫ってほしいのです」

浅い意識の中で彼女の声が鼓膜を揺らした。声を出そうとしたのに、できない。耳だけは働いて、遠ざかっていく足音が聞こえる。


仕事だからと、そう思っていた筈だった。
必要以上に情を移せば、自らの首を締めることになる。過去に大切な人達を失って、痛いほど分かっていたことだ。だが、惹かれたことに後悔はない。
ただ、遣る瀬無いだけだ。手紙を読み終えて、呟く。

「自らの心だけを残して行くのですね。自分には心を預けることは許さないのに。ですが、貴方を責める資格はありません。想いを告げることもできず、全てを攫う覚悟もない自分には。貴方との時間は自分にとっても特別でした……名前」

もしも、いつかどこかで逢えたなら、その時はこの想いを−−−。



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