煙草と何を手向けよう



※萩原夢ですが、松田視点で進みます。むしろ松田の独白。中々にドライな主人公です。また、死ネタになりますのでご注意下さい。


例えば、どうしようもなく疲れた日。例えば、あいつが死んだ場面を夢に見た朝。そういう時に頭をよぎる。

−−どうして俺も・・連れて行ってくれなかったんだ?

そう思ってすぐ、何を馬鹿なことを、と自嘲するまでがひとつのサイクル。あいつの、萩原研二の無念を晴らす。ただそれだけを胸に抱いていればいい。

−−−−−

確か、高2の夏のことだ。萩原が下校中に落とした爆弾発言。ガキの頃からの付き合いでも、流石に驚いたのを覚えてる。『彼女ができた』とあいつは言って、その意味を理解するまで数秒かかった。

そんで『やっとかよ』と言い返して、同時に『正気か』と内心突っ込んだ。女と見れば片っ端から声をかけるような奴だったし、よっぽど懐の広い女じゃない限り許容できる範囲ではない。どうせ数日で愛想を尽かされて、終わるに決まってる。そう確信していた。

ところが、だ。半年経っても萩原は『別れた』と言わないまま。別に報告する義務はない。だから俺には言っていないだけで、とっくに別れているものだと高を括って、こう聞いた。

「お前、いつ別れたんだよ?」
「…誰と?」
「彼女できたって言ってたろ、結構前に。その女」
「別れてないけど」
「……はあ!?な、なん、まだ付き合ってんのか?」

嘘だろ。開いた口が塞がらない。あそこまで間抜けな面を曝け出したのは、あれが最初で最後だろう。

単純に、萩原研二という男が同じ女と半年間も続いていることに驚いたのが半分。もう半分はその女だ。どんな神経してやがるんだと思った。半年の間もあいつは相変わらず女の尻を追っかけていたから。どこのどいつか知らねえが、恋人が他の女にそんなことしてたら普通は何かアクションを起こすだろ。

しかしこの半年、萩原が特定の女と帰るところは見ていない。しかもこの前のバレンタイン、義理から何まで全部貰ってたじゃねえか。もしかしたら、うちの高校の生徒じゃねえのか。いやいや、それにしたって彼女いたらチョコ貰ったりするか、普通。そこまで考えて、はたと一つの可能性に気付いて恐る恐る尋ねた。

「おい、本当に相手は実在するんだろうな?」
「何言ってんの、人間だよ。陣平ちゃんも知ってる子」
「なんだよ、やっぱりうちの高校の生徒かよ」
「そう、苗字だよ。苗字名前」
「……は?」

何だって?苗字って、あの苗字か?正直、予想外だ。苗字と萩原が会話しているところを見た覚えはない。仲が悪いというよりは、そもそも接点がないというイメージの方が強かった。一体どんな経緯で付き合うことになったんだ。気になるが、質問攻めにするのも何となくプライドが許さない。俺が興味津々みたいじゃねえか。結局、それ以上追求することはしなかった。

−−−−−

苗字名前という女を一言で表すとするなら、"掴み所のない女"だ。萩原のことがなければ、高校卒業まで話すこともなかったかもしれない。別に目立つ方じゃないし、高嶺の花というわけでもない。どちらかと言えば、萩原の方が目立つしモテる。だから尚更分からねえ。

「あ」
「あれ、今日は萩原と一緒じゃないの?」

放課後、下駄箱の前。無意識に声が漏れたが、まさか話しかけてくるとは思わなかった。驚きで返事が出来ずにいる俺をそいつは興味なさげに見つめた。それより、俺と萩原が昔馴染みだということは知ってるのか。もしかしたら、あいつが話したのかもしれない。

「ああ。三者面談なんだよ、あいつ」
「あー、成る程ね」

絶対に興味ねえじゃねえか。それを隠そうとしない所はいっそ清々しいな。ふい、と目を逸らして靴を履いた。鼻から息を吐いて顔を上げる。

「んだよ、帰んねえの?」
「松田って家どっち?途中まで一緒に行こうよ」

何でだよ。萩原も大概だが、こいつもやべえ。本当に付き合ってんのか。と、そう思った。たぶん全部顔に出ていて、苗字は愉快そうに笑った。馬鹿にしたような笑い方じゃなく、さも面白そうに。

「別にいいでしょ、話してみたかったの」
「萩原に怒られても知らねえぞ」

こいつら、揃いも揃って…。呆れたように隣に並んで歩き出す。ちらりと盗み見た横顔に呆然とした。俺は詩人じゃねえ。だけど、そのまま消えてしまうんじゃねえかと思った。ふざけんな、なんて顔してんだよ。

「なんであいつと付き合ってんだ?」
「…なんでだろうね」
「好きじゃねえのか、あいつの事」
「好きか嫌いかなら、好きだよ」

その二択で嫌いなら、恋人にはならねえよ普通。萩原に聞けなかった、付き合ってる理由や経緯。のらりくらりと躱される質問。煙みたいな奴だな。
結局、知りたかったことに答えは貰えず。俺がそれを知るのはもっと後になってからだった。

−−−−−

それから卒業して、2年が経った。その間、苗字とは会ってない。萩原は頻繁に会っているのか、それも知らない。気にはなるが当事者同士の問題だ。だから、苗字と会うから一緒に来てくれと言われた時は驚いた。

「なんで俺も行くんだよ」
「どうせ暇だろ?苗字も会いたいって」
「お前と二人になりたくないんじゃねーの?」

まだ苗字で呼び合ってるのか、こいつら。でもまあ、これくらいの距離感だから続いているのかもしれない。半ば引きずられるように連れて来られたカフェ。苗字はすでに来ていた。窓際の席に座っている。シンプルなブラウスとパンツ。それを見て、らしいなと思った。制服姿しか知らないから少し新鮮だったが、甘ったるい服を着るイメージはない。

ぼんやりと外を眺めて、俺達に全く気付いていない。これが待ち合わせしている恋人同士かよ、と突っ込んだ。テーブルの側まで来て、やっとこちらに視線を向けた。軽く手を挙げた萩原に、手を挙げ返したその顔には薄ら化粧が施されている。

「ごめん、遅くなった」
「別にいいよ。松田、久しぶりだね」

社交辞令ではなく、本当に『別にいい』と思っているらしい。数えるほどしか話したことがないし、掴み所がないが、こいつはたぶん嘘は言わない。

短く返事をして、席に座った。とりあえずコーヒーを頼んだはいいが、何を話せばいいんだ一体。くそ、どうして俺が頭を抱えなきゃならねえんだ。眉間に皺が寄るのが分かる。目が合った苗字が笑う。この女、ど突いてやろうか。

「なんで笑ってるの?」
「いや、松田の機嫌が最悪だから。私が話したいって言ったからだよね、ごめん」
「なら俺を巻き込むな」
「大学生の松田、一回見てみたかったの」

初めて話したあの日と同じ、愉快そうに笑う。何となく負けた気がして、外に目を向ける。そして、驚いた。ガラスに映った萩原が穏やかに笑っていて。その視線は目の前の女に向いている。なんだよ、気にしてる俺が馬鹿みたいじゃねえか。きっかけも、理由も、知らない。だが、少なくとも今のこいつらは間違いなく"恋人同士"なんだろう。胸の辺りが少し軽くなって、気付かれないように口角を上げた。

「あ、悪い。ちょっと電話出てくる」

そう言って、萩原が店の外へ出て行く。必然的に二人きりになる。視線を感じて顔を向ければ、それを待っていたとばかりに苗字が話し出す。

「松田さ、前に聞いたよね。どうして萩原と付き合ってるのかってさ」
「ああ、なんだよ。答える気になったのか?」
「ゲームみたいなものかな」

今なんつった?遊びってことか。確かにお前らは人前で手を繋いだり、関係をオープンにしたりはしなかった。でも、想い合っていただろうが。少なくとも萩原はそうだ。

「怒らないで最後まで聞いて」

ぽつぽつと、思い出すように苗字は語った。付き合おう、と言ったのは萩原らしい。だがそれは、告白と呼ぶにはあまりに淡白。

「さすがに驚いたよ。だってそれまで満足に話したこともなかったのにさ。萩原言ったの、『苗字は俺を色眼鏡で見ないよね。そんな女これから会えるか分からないから、予約してもいい?』って」

なんだよ、それ。あの腰抜けが。でも実際、その時はその言葉通りだったのかもしれない。本当に予約のつもりで、あいつは言ったのか。

「予約期間は大学卒業するまでなの。それまでお互いに特別な相手がいなかったら契約成立。つまり、正式に恋人同士ってこと」
「はっ、理解できねえ。そんな事する必要があんのか」
「メリットはあるんじゃない?期限までは何をするのも自由だもの。恋人を作ろうが、誰と何しようが……もしかして、幻滅した?」

理解はできねえ。だが、俺が口を出せる問題ではない。もう3年以上経ってる。それに、残り時間の方が短い。たぶん、このまま時間が過ぎて、苗字は胸を張って彼女だと言える日が来るのだろう。そう考えて気付く。こいつは、それを望んでいるのか。萩原と同じで、軽い気持ちで始めただけじゃないのか。

正直分からない。だが、他に想う相手がいるのに黙って萩原に付き合うような女には見えない。それなら、残された時間に意味はないと思う。萩原は紛れもなく苗字名前に惚れている。いつからかナンパや合コンをしなくなったのは、今思えばその所為だったのだろう。

−−−−−

また一年が経った。時々、萩原に引きずられて3人で食事に行った。あいつらは相変わらず苗字で呼び合って、恋人らしい素振りは見せない。それなのに、妙に気を許しているような感じに見えるから不思議だ。苗字が言った、期間満了まであと一年になっていた。

そして、あの日がやって来る。その日は、雨だった。忘れもしない。あの出来事がなければ、普通の一日になっていた筈だ。
昼過ぎ、いつも通りに萩原と飯を食っていた。くだらない話を聞かされながら。その時だ、萩原の携帯が鳴る。画面を見て少し驚いた顔をしたと思ったら、すぐに耳に当てた。

「珍しいね。そっちから電話かけてくるなんて……は?どういう、こと…ですか、それは」

声の調子からして相手は予想できたが、反応がおかしい。こいつはいつも飄々としていて、滅多なことでは態度を崩さない。暫く話し込んでいたが、終始取り乱した様子だった。電話を切った後の顔は、生まれて初めて見る−−−血の気が引いて蒼白な。

「おい、何があった?相手、苗字だろ?」
「……っ、苗字が、事故に遭った」

放心状態の萩原からどこの病院か聞き出して、すぐに向かった。手術室の前で立ち尽くす親友に、かけてやれる言葉など持ち合わせていない。現場に駆けつけた警官が、履歴の一番上にあった萩原の番号にかけたらしい。

二人とも一言も発さず、手術中のランプは消えない。車が激突したらしい。目撃者の話だと、運転手は意識を失っていたそうだ。制御不能の車は苗字をはねて、電柱に衝突。運転手は即死だった。
もし、相手の過失だったら萩原はどうしただろう。拳の一発でも食らわせただろうか。

「っ、先生!娘は、娘は無事なんですか!?」

その声に、はっと顔を上げる。手術が終わったらしい。声の主は苗字の親だ。未だ無言を貫く萩原の代わりに説明したのは俺だが、娘に恋人がいることを初めて知ったようだった。当然だ。正式にはまだ・・恋人じゃない。

「手術成功しました。詳しい話はあちらで」

−−−−−

それから一年。予約期間は終わり、あいつらは晴れて恋人同士になった。−−苗字は目を覚さない。

「なあ松田。俺まだ、苗字とキスまでしかしてない」
「そうか」
「信じられる?俺が、こんなプラトニックな恋愛してるなんてさ。このままキスまでとか笑えない」

普段通りの口調で萩原が言う。俺は器用な方じゃない。こんなとき逆の立場なら、こいつは気の利いた台詞の一つや二つ出てくるのだろう。
そんなに惚れてたのなら、さっさと物にすればよかったじゃねえか。仮にそうしていたところで、苗字が事故に遭わなかったわけじゃない。だけど、少なくともお前はそんな顔せずに済んだ筈だ。

それから俺達は警察学校に入った。そこでの日々は忙しかったが、萩原にとってはそれがいい方に働いていたのかもしれない。一人で思い詰める時間も、白い顔をした恋人を見舞う時間もなかったから。忘れさせたいわけじゃないが、せめて仲間といるときくらいは心穏やかな方がいい。敢えて、苗字の話題を振ることはしなかった。俺達以外、あいつのことを知っている奴はいないから、萩原が意図せず思い出すこともなかっただろう。

警察学校を出て、めでたく警察官になっても苗字の意識は戻らなかった。爆発物処理班。俺達が配属された部署だ。萩原は新しい恋人を作ろうとせず、時間を見つけては苗字に会いに行っていた。もはや、女の尻を追いかけていた頃が懐かしく感じるようになって。

結局、俺達3人が揃うことは二度となかった。

−−−11月7日、萩原が殉職した。

−−−−−

事後処理が終わり、身体が自由になってすぐに苗字の所へ走った。意識が無くても、伝えなければ。今はもう、あいつの恋人だ。嫌な役回りだな、まじで。だから巻き込むなって言ったじゃねえか。

病室では、いつもみたいに消えそうな顔で苗字が眠っている。そのはずだった。鉛のような心持ちで顔を上げる。その光景に呆然とした。傍に立つ医者、ベットに縋り付いている苗字の親。それで全て理解した。

「は……なんだよハギ。結局最後は連れて行くのかよ」

絞り出した声は情けねえくらい震えていた。苗字は、この世に未練はなかったのか。そう聞けばまた、『別にいいよ』と言われそうな気がして鼻で笑った。萩原のいない世界は戻る価値がないなんて、そんなロマンチックなことは口にしそうにない。

萩原が殉職したその日、苗字名前は眠るように後を追って死んだ。恋人になれたことを喜ぶこともないまま逝った。

−−−−−

石畳の道を歩く度に、左手のビニール袋が音を鳴らす。墓参りへ行く前にコンビニに寄った。萩原の好きだった銘柄のタバコと缶コーヒー。

埋まっている場所は違うが、もう一人への供物を買おうとして、陳列棚に伸ばした手は宙を掻いた。俺は、あいつの好きな物なんて一つも知らない。チッ、と舌打ちをしたら、隣にいた女子高生が肩を揺らす。ミルクティーを棚からもぎ取り、走り去って行った。

「(まあ、餞別に文句をつけるような女じゃねえか)」

結局、女子高生を真似てミルクティーと、女子はみんな好きだろうと結論づけてチョコを籠へと放り込んだ。暫く歩いて目的の場所に着く。平日だからか、人は疎らだ。墓には花が手向けてある。誰か来たのかもしれない。煙草とチョコを供えて、缶コーヒーとミルクティーの蓋を開けた。ホットを買ったから、湯気が立つ。それがタバコの煙を思わせる。

「煙……か。よお、ハギ。苗字けむりは捕まえられたか?」

返事はない。親友はもう、いない。俺は一人だ。せめて、お前は一人じゃないといい。仇は討ってやるさ、安心して逝けよ。



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