この笑顔を餞に



※死ネタです。


私にはこれしかなかった。家柄も、紋章も、持たずして産まれてきた。人並み以上の美貌も、知性も、持っていない。そんな私からすれば、貴方は何でも持っているように見えた。それなのに、どうしてそんな風に笑うのだろう。せっかく綺麗な顔をしているのに勿体ない。

「いつも思うけど、それ楽しいの?」
「っ、おお、名前…もう少し普通に声かけてくれねぇか?」

大きく肩を揺らしてこちらを見た男−−シルヴァン−−は青獅子の学級に所属する同級生。その頬には大きな手形が付けられている。またどこぞの女子を怒らせたらしい。いつもヘラヘラとしていて、授業に臨む態度も酷い。あの凛々しい王子様や可愛い幼馴染に怒鳴られているのをしばしば見かける。女と見れば尻尾を振りながら駆け寄る色情魔、とフェリクスは言っていた。

「いやぁ、どうやら本気だったみたいでさ・・・参っちゃうよな。そこで頼みがあるんだけど、この後どうだ?可哀想な俺を慰めてくれよ、名前。退屈はさせないからさ」
「おい!何してるさっさと・・・・シルヴァン」

私の背後から苛ついた声が響く。いけない。待たせているのを忘れていた。フェリクスは意外に面倒見がいいし、顔が少し怖いから誤解されやすいけど良い人だ。私の数少ない友人、そして好敵手。名門貴族らしからず、本気で打ち込める相手。

「なんだ、またフェリクスと稽古か?たまには俺と出かけようぜ。せっかくの美人が剣しか持たねえなんて、有り得ねえだろ」
「チッ、おい!遊びなら他を当たれ。こいつはこれから俺の相手をする。貴様みたいに暇じゃない」

眼光鋭くシルヴァンをひと睨みすると、私の腕をむんずと掴んでフェリクスが歩き出す。そんなムキにならなくてもいいのに。だって最初から私を誘えるなんて彼は思っていないし、シルヴァンと街に行くよりフェリクスと稽古する方が私にとっても有意義だ。私は彼らとは違う。他に選べる道がないのだから、この胸が痛むことはない。

「そんなに一生懸命になったって意味ねえだろ。どうせ、なるようにしかならないんだから」

ひらひらと手を振りながら彼が吐き出した小さな呟きが風に乗る。一つしかない私より、全部持っている彼の方が何倍も苦しそう。凡人には分からない痛みがあるのだろう。人である限り、生きている限り、葛藤する。何でも持っているから余計に考えることが多いのだろうか。でも、大体同じ立場のフェリクスはそんなことなさそうに見える。

「まだ続ける?」
「はぁ、はぁ、クソッ!今日も負けか」
「フェリクスとの勝負は楽しいよ」
「一本も取らせないうえ、息一つ乱してない奴に言われても嫌味にしか聞こえん」

本心なのにあんまりだ。フェリクスはよく私を稽古に誘ってくれる。確かに、同じ青獅子の生徒は槍術を使う人が多い。彼ほどの使い手なら相手はいないだろう。それにしたって、平民で他学級の私を相手に選ぶなんて物好きだ。

「あ、そういえば・・・新しい先生も強いらしいよ」
「ああ、お前の学級のあいつか」

私の学級−−ヒルシュクラッセ−−の担当になったのは、あろうことか元傭兵。表情が乏しいうえ、口数も少ない彼を思い出して笑う。あのクロードですら興味を持ってるみたいだったし、なにより手合わせしてみたい。ワクワクを隠さない私を見て、フェリクスが小さく笑った。

「いたいた、名前ちゃん!」
「ヒルダ、何か用?」
「ご飯食べよー!」
「片付けたらすぐに行く」

大きく手を振るヒルダに返事をする。我が学級はフランクな学生が多い。まあクロードの影響だろう。立ち上がって訓練用の剣を片す。フェリクスに一声かけようと振り向くと、じっとこちらを見つめていて身構えてしまう。

「お前は、何の為に強くなる?」
「・・・理由なんてないよ、必要ないから」

なんて事ない質問に、さらりと答えて背を向けた。私にはこれしかない。幸い剣術は好きだし、苦じゃない。その先には何もないのかもしれない。ただ死体が転がるだけの未来でも、その死体になるよりマシだ。

−−−−−

胸糞悪い。世の中を良くするだとか、全ての人類に救いをだとか、そんな大それた志はない。それにしたって酷い。目に映る魔獣バケモノは彼の兄だった人。槍に飲み込まれて、自我を失った哀れな人。今節の課題は盗賊退治だったはずなのに、やってられない。思わず舌打ちをした。記憶を掠める彼の横顔。「すみませんね」と笑っていたシルヴァンは初めて見る顔をしていた。

「今だ!畳みかけろ!!」

ベレト先生の声を合図に一斉に攻撃する。クロードの矢が、ヒルダの斧が、リシテアの魔法が、魔獣の鎧を砕く。その体が大きく揺れて、隙ができる。足に力を込めて走り出す。一瞬だけシルヴァンの顔を思い出した。そうだ、足元に転がる死体は他人だけじゃない。私の一撃でその姿は消え、残ったのは一人の死体と一本の槍。

「シルヴァン」
「っ、おお、名前か。今回は悪かったな」
「貴方の兄は…私が殺した。でも、謝らないから」

シルヴァンは驚いたように私を見て、呆然と名前を呼ぶ。もはや人とは呼べない姿となっても、紛れもなく彼の兄だった。後味は悪いし、達成感もない。でも仮に魔獣あれがシルヴァンだったとしても、私は斬っただろう。フェリクスだとしたら、少し迷ったかもしれない。

ひどく合理的で冷酷。だけどこの世界はそれ以上に残酷だから、その方が息がしやすい。そのはずなのに、背後から聞こえた「ありがとな」という言葉に胸が軋んだ。一番欲しくない言葉だった。知っていた、彼が優しさも持っていること。彼に言い寄る女の何人が、そのことを知っているのだろう。自分がその優しさを享受することなど一生ないと思っていた。その日の夜、真っ暗な部屋で少しだけ泣いた。

−−−−−

「フェリクスはさ、後悔していないの?」
「何の話だ?」
「ディミトリやシルヴァン、イングリットと袂を別ったことだよ。いつかその剣で殺すことになるのに」
「勝つ前提なのがお前らしいな。俺は俺の意志でここにいる。揺らぐことはない」

あれから5年が経った。エーデルガルトが反旗を翻してファドラ統一を掲げてからというもの、戦争、戦争、戦争。フェリクスはその中で、ディミトリ率いるファーガスではなく私達と行動を共にすることを選んだ。その理由となったベレト先生も5年の時を経て戻ってきたからか、嬉しそう。

「そう、余計なお世話だったね」

小さく笑うと、何か言いたげにフェリクスがこちらを見る。私も彼も、この5年で変わった。そのひとつ、幾度も手合わせをして、以前より思考が読めるようになった。これは心配しているときの顔。フェリクスに心配されるなんて、まだまだだ。

剣術においては、まだ私の方が強い。でも時間の問題だろう。性別の差はどうしても付き纏う。それはきっと、今ここにいない彼も一緒。私の強さに追いつかれる前に、早くその日が来てほしい。

『俺は殿下と一緒に行く。フェリクスのこと、頼んだぜ』

然して仲が良かったわけじゃない。ましてや一緒に出掛けたことも、夜を共にしたこともない。でも何故かあの日、彼は私に声をかけた。フェリクスのことがあったからかもしれない。その声はどこか切なげで戸惑った。

『なあ、名前。もし俺と戦場で会ったらさ、ここを狙ってくれ。お前の剣ならできるだろ?』
『一撃で仕留めるなら、頭を狙うのが定石』
『はは、容赦ねえな。ほら俺の顔って、結構イケてるだろ?だから最期も綺麗でいたいわけ。地獄にだって美人がいるだろうし?』

自らの心臓を指差して、シルヴァンは言った。地獄でも女を口説くつもりらしい。少し笑った私を驚いたように彼は見つめた。どこか可笑しな反応だっただろうか。首を傾げると、今度はひどく優しく微笑むから言葉に詰まる。

『あと、今みたいに笑ってくれ−−−頼む』

小さく名前を呼ばれて、現実に引き戻された。横を見ればフェリクスが私の肩を揺すっている。ああ、どうやら刻限らしい。いよいよ出陣だ。この戦場に彼がいる。愛刀を手に取ると、いつもより少し重く感じた。

−−−−−

「名前」

走り出そうとして引き止められる。聞き慣れたフェリクスの声。振り向いた私に向けられた瞳はどこか優しい。この男が優しいことはずっと前から知っていたけど、調子が狂う。無言で聞き返す私の鼓膜を、凛とした声が揺らした。

「死ぬなよ」
「フェリクスこそ」

笑って、今度こそ背を向けた。死ぬな−−−それは迷わず殺せ、ということ。迷いはない。この日を待ち侘びていたくらいだ。誰かの肉を裂く度に、私の剣が彼の心臓に近付いていく気がした。そして今日、やっと切先が届く。

「シルヴァン、私以外に殺されたりしないでよ」

森の中を駆けながら、見えた軍勢。橙色の髪はあの日のままだ。黒馬に乗って地を駆けるのは、紛れもなくシルヴァン。このまま進軍を許せば、ベレト先生の軍がいる。それを分かっているのだ。

後ろに控える自軍に合図を送って、自らも駆け出した。はっとして、馬を止めた彼の目が大きく見開かれる。先頭をきる私の姿を認めて、その唇が紡ぐのは私の名前。周りが戦闘に入るなか、私達は対峙した。

「あーあ、やっぱり俺もそっちに行けばよかったかな」
「命乞いなんて、フェリクスに怒られるよ」

5年前よりも精悍な顔つき、少し低くなった声、分け目の変わった髪。私はたぶん彼に惹かれていたのだろう。少なくとも、こうして敵として対峙して胸が痛むくらいには。

「そうじゃねぇよ。そんなに美人になるなんて、知らなかったってこと。ったく・・・・フェリクスの奴、地獄で会ったら覚えとけよ」
「構えて、手を抜くとか許さないから」

小さな音を立てて剣を構えた。スッと表情を殺し、槍を構える姿に胸が高鳴る。舌で上唇を舐めると同時に走り出した。大きく飛躍して、彼の左を取る。槍で受け止められたけど、予想通り。何度か打ち合い、その綺麗な顔に足技をお見舞いする。「ぐっ」と小さな呻きを漏らして、その体が落馬した。堪らず馬が走り去る。

「剣術は昔から凄かったけど、体術もかよ」
「シルヴァンもね。サボってたくせに、なかなかいい槍捌き」

剣と槍がぶつかり合う音が響く。強い。元々、体格には恵まれていたからか。鎧の上からでもかなり逞しくなったのが分かる。もし彼が、あの頃から真面目に稽古していたら私に勝ち目はなかっただろう。

大きく腕を斜め上に振り上げて、その槍を弾き返す。シルヴァンの手から逃れたそれが地面に転がった。透かさず拾おうとするのを許すほど甘くはない。槍と彼の間に身体を滑り込ませた。

「はぁ、はぁ、っ、さすがフェリクスが惚れ込むだけはあるな。兵の実力も申し分なし、か」

見渡せば、すでにシルヴァンの軍は残っていない。負けは決したはずなのに、その顔は清々しい。学生服を着ていたあの頃よりもよっぽど綺麗に笑っている。これもこれで胸糞悪いな。シルヴァンが空いた腕を上げる。

「なっ!?」

咄嗟に避けた。放たれたのは魔法。侮っていた。彼は才能があるって忘れていた。額を汗が伝う。彼の槍を左手に持って、息を整える。

「おいおい、二刀流かよ」

魔法と剣術じゃ射程が違う。次々に繰り出される攻撃を躱しながら、少しずつ距離を詰める。暫くして先に疲労が見えたのはシルヴァンだ。一気に接近する。腹を蹴って押し倒した。その体に跨って見下ろす。

「この距離で当てれば私を殺せるよ?」
「生憎、魔力がもうねえんだ・・・戦場じゃなきゃ、いい眺めなのによ」

仕方ないと力なく笑う。腕を上げて狙いを定めるは、左胸。最期の願いくらい叶えてあげる。

「覚えててくれたのか……戸惑うなよ、なんて余計な世話か。頼むぜ、名前」

大きく息を吸って、視線を絡ませる。そんな穏やかな顔しないでほしい。今さら戸惑うことはないけど、何か言葉を贈るのは難しそうだ。ああ、そういえば笑えって言われていたんだった。笑顔は苦手だけど、口角をあげてみる。

「−−−さよなら」

最期の顔はあまりに間抜け。何をそんなに驚いているのか。肉を抉る感覚なんて、何度も味わった。それなのに、貫く前に止めたくなったのは初めて。極めて極めて、極め抜いた剣術で、私は貴方を殺す。「ゴフッ」と零して、その口元から血が流れる。

「はっ、最期に見るのがお前の笑顔で、よかったぜ……な、んだっ、泣いてるのか」
「雨よ」
「はは、そ、うか・・・何も、見えねえ」

その瞳から光が失われる。また一つ、死体が増えた。せめて貴方のは少し綺麗な所に置いてあげる。柔らかな髪に指を通してひと撫で。

周囲の音が止んでいる。どうやら戦闘は終わったらしい。気配を感じて視線を上げると、傷だらけのフェリクスがこちらに向かってくる。私の傍らに眠る幼馴染の姿を見て目を細めた。

「行きましょう」
「ああ」

いつか終わりが来る。地獄で会えたら一度くらい並んで歩いてやってもいい。はらはらと頬を伝うのは、私だけに振る雨。これだけだった私に、恋を教えてくれた。癪だけど認めよう。だけど、涙を流すのは今日だけ。

「なんで止まらないの」
「知るか」

−−fin.−−



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