甘いのは口内だけか



※長編夢主、拾玖話〜弍拾壱話あたり。

総司の病気のことを知ってから、暫く経った。もうだいぶ暖かくなって過ごしやすい日が増えたと思う。一方で心はそうはいかない。会う度に咳き込む姿に胸が締め付けられる。一緒にいる時は絶対に暗い顔をしないように心掛けている分、別れた後は一気に悲観的な気持ちが押し寄せてくる。ひとりで街を歩いて、雑踏に紛れ込ませるように息を吐く。ぽろと、涙が一筋頬を伝って、慌てて着物の裾で拭った。

苦しいのは、私じゃない。でも総司と同じくらい恐怖している。傍にいるからこそ、命の炎が少しずつ小さくなっていくのが分かる。風が吹いたら消えてしまいそうな炎を必死に守ろうとする貴方を、支えたいと思うのに上手くいかない。私にできるのは身の回りの世話や、総司の冗談に笑顔を見せることだけ。神ではないのだから、病を消し飛ばせるなんて愚かな願いはないけれど、せめて心だけは安らかでいてほしい。

「おや、嬢ちゃん。浮かない顔してるじゃないか。ひとつ、どうだい?」

昼間の街で、辛気臭い顔をしている娘など私しかいないだろう。振り向けば、初老の男と目が合う。出店だろうか、甘い匂いが鼻をつく。金平糖を頬張る総司の顔を思い出して、少し胸が軽くなった。そこには団子や羊羹とは違う、初めて見る菓子がある。薄い茶色は愛しい人の髪の色を思わせる。

「これは・・・なんですか?」
「何って、"かすていら"だよ。知らねえのかい?」
「かすていら」

言われたままに復唱する。元は農民の娘が知っているわけがないが、美味しそうなその名前は聞き覚えがあった。以前、原田さんや藤堂さんが話してくれたことがある。確か西洋の菓子で、卵でできているらしい。生憎持ち合わせは多くはないから、値段を見る限り買えるのは二つがいいところ。本当なら、土方さん達や太一にも食べさせてあげたいけれど仕方ない。今の私にとって譲れないのは総司しかいない。

「ふたつ、ください」
「はは!かすていらを初めて食うんだ、祝いにひとつ負けてやるよ!言いふらすんじゃねえぞ。ほれ、三つだ」
「ありがとう」

なんだか馬鹿にされた気がするけれど、一つおまけしてくれるのだ。ここは笑ってお礼を言うべきだろう。包装もどこか洒落ている。歩いて来た道を、そのまま戻る。総司の驚いた顔を想像して少し笑った。しかし、どうやって屯所に入れてもらおうか。普段なら総司か、事情を知っている誰かが門まで来てくれる。浮かれてそこまで考えていなかった。気が付いて歩幅が小さくなる。

「名前さん?」
「お前、帰ったんじゃなかったのか?」

はっと振り向けば、千鶴ちゃんと原田さんの姿。買い出しに行っていたらしく、大根や葉物などを抱えている。何はともあれ、ふたりに会えてよかった。嬉しさが表情に出ていたのか、原田さんが怪訝そうな顔をしている。急に恥ずかしくなかって、真顔に戻るよう努めた。

「あの・・・総司に渡したい物があるんですけど、もう一度中に入れてもらえませんか?」
「それは構わねえが……なんだ、菓子か?」 

私が持つ箱に目を向けて、にやにやと原田さんが笑った。この人は優しいけれど、たまに意地悪だ。もちろん総司ほどではないが、少し悔しい。まるで妹を見るみたいな目に戸惑いながら、頷いた。

「沖田さん、きっと喜びます」
「まあ、お前がやるなら何でも喜ぶんじゃねえか?」

夕餉の準備があるからと、千鶴ちゃんとは途中で別れることになった。総司以外の人の隣を歩くのは、ちょっと緊張する。この人は見目が整っているから尚更だろう。そういう意味では土方さんもかもしれない。

「ほら、ここまで来ればひとりで行けるだろ」
「え…はい。でもあの、原田さんも良かったら一緒に食べませんか?連れて来ていただいたお礼です」
「いや、悪いが遠慮しておく。俺はまだ死にたくねえ」

唐突に飛び出した物騒な単語。様子を見るに冗談だと思うが、確かに総司は私が原田さんや斎藤さんといると不機嫌を露わにすることがある。いつも前触れがなく、時々驚いてしまうのも本当だ。大袈裟な話だけど、この世がどんなに変わろうと、私の想いは変わりはしないのに。でも未だ記憶が戻らない私が吐く言葉は軽い。だからまだ、それを伝えられていない。

「分かりました。では今度、お酒をお持ちします」
「……ははっ!おう、ついでに酌も頼むぜ」

砕けたように笑って頭を撫でられる。また無意識に目を閉じて、その温もりを享受してしまう。我に返ったときには、原田さんはいなくなっていた。乱された髪を手で整えて、総司の部屋へと向かう。物音がしないから眠ってしまったのかもしれない。

「誰、そこにいるの」

戸に手をかけようとしたとき、中から声がした。流石は新選組の組長だ。気配に人一倍鋭い。そんな総司が、戦闘においては圧倒的に弱者である私の存在に気づかないわけがない。棘々しい声音に少し怖くなって、慌てて顔を出す。私の姿を認めると、大きく目を見開いて名前を呼ばれた。

「どうしたのさ、忘れ物でもしたの?」
「まあ、忘れ物と言えばそうかもしれない」

はっきりしない物言いに首を傾げる総司の前で、箱を開けてみせる。私の手元を覗き込んでいた目が、また大きくなった。きらきらと輝いて見えるのは気のせいじゃない。刀を握ればあんなに強いから、こんな風に子供みたいな顔を見せられると胸がきゅっと苦しくなる。言葉するなら、たぶん愛しいと言うのだろう。

「かすていら。私、食べたことないの。今日の帰りに街で見つけてね。総司と一緒に食べたいなって思ったから」
「……本当にそれだけ?」

怪しむ様な問いに狼狽える。鋭いのは気配に対してだけじゃない。総司は周りをよく見ている。私が隠すのが下手なのもあるけれど、敵わないなと思う。優しい指先が私の頬をなぞる感覚に、はっとする。真新しい涙痕に、総司が気づかないわけがない。

「総司といると楽しい。でも、時々すごく苦しくなる」
「僕のこと、嫌いになった?」
「違う、自分の弱さや不甲斐なさを突き付けられるから」
「ああ、残念。釣られて、好きだって言ってくれるかと思ったのに」

ぐっと顔を歪める私とは対照的に、総司はくすくすと愉快そうに笑った。本気で悩んでいるのにこの調子だ。いや、だからこそかもしれない。誰より苦しくて怖いはずなのに総司は私を気遣ってくれる。私はそれを享受するだけで、相手を想う振りをして考えているのは自分のこと。駄目だな、本当。

「君はきっと、僕の代わりに泣いてくれてるんだよ。僕は泣けない。だから、一緒にいる間に僕の心が君に流れていってしまうんだ。他の誰かが僕を見て涙を流すと胸糞悪いのにさ・・・名前の涙はとても綺麗に感じるんだから不思議だよね」

隊士の人が、総司のことを可哀想だと言うのを聞いた。今はもう巡察に出ることすら難しいから、いくら土方さん達が隠そうとも限界がある。私の気持ちが、その人達とは違うのだと胸を張って言える日が来るだろうか。同情などではなく、貴方がいない未来が怖いのだと、伝えられるのはいつだろう。総司にとって命を懸けられるほどのものが、私にとっても尊いものとなるように、今はただ生きるしかない。その先に待つのが光か闇かは、いくら目を凝らしても見えないのだから、ひたすらに走れと言い聞かせて。

「笑っていてほしいけれど、僕の前で自分を偽ってはほしくない。君が泣くときに、その涙を拭うのが僕じゃないなんて、耐えられない」
「っ、我が儘ね。それじゃあ、ひとりで泣くならいい?」
「駄目だよ。今度泣くときは僕が抱き締めてあげる」

腕を引かれて、体同士が密着する。耳をその胸に押し当てて、聴こえる鼓動に安堵した。意地悪なことを言われても声音はどこまでも優しい。今より平坦な道が目の前に現れたとしても、私は貴方がいる方を選ぶ。幾度も立てた誓いを胸に刻んで、大きく息を吸って感じた甘い匂いに当初の目的を思い出す。

「ところでさ、これ食べてもいい?」
「そう、よね……食べましょう」
「この前、隠れてお酒を飲もうとしたら土方さんに見つかってさ、すごく怒られたんだよね。だから、お酒の代わりに甘い物食べようと思ってたんだ」

さも嫌そうに言っているけれど、嬉しいんだろう。煩わしいと思う反面、ふたりはお互いを信頼している。そう言ったら不機嫌になりそうだから、やめておこう。すっと総司の前にかすていらを差し出す。暫く待っても手が伸びてこなくて顔を上げると、意地悪な表情が見えた。

「僕は体調が悪いからさ、食べさせてよ」

嘘つきと突っ込みそうになったけれど、確かに総司は病人だ。普段は病人扱いされるのを嫌がるのに、調子がいい。仕方ないなと思いながら、一つ手に取って口元へと近付ける。微笑を解いて、総司が口を開けた。柔らかい生地が吸い込まれていく。匙を使って食事をするのを手伝ったこたはあるけれど、こうして食べさせるのは初めてだ。だからか、どうしても唇に視線が引き寄せられる。最後の一口が呑み込まれる寸前に手を放す。否、放そうとした。手首を掴まれて、望み通りにはいかなかった。

「ちょっと、総司……っ、ん」

目の前の光景に頬が熱くなっていくのが分かる。手にあった分のかすていらは、もうない。私の指先に付いた甘い欠片を、熱い舌が舐めとっていく。仔猫がするような仕草なのに、羞恥心でどうにかなりそうだ。身体が硬直して、手を引っ込めることができない。されるがままの私を目を弧状にして総司が見つめる。舌と指が触れ合う音で、耳が溶けそうだ。

「抵抗しないと、このまま食べちゃうよ」
「調子に……乗らないで!」

やっとの思いで腕を振り解く。後退った先は襖戸で、嫌な汗が出てくる。完全に翻弄されている。強い口調とは裏腹に身動きのできない私の姿が、楽しそうな翡翠色の瞳に映った。いつのまに布団から這い出たのか、逃げ道を塞ぐように部屋の隅へと追いやられる。

「今度は僕が食べさせてあげる・・・ほら、口開けて」

総司の左手が私の顎を掴む。食べさせるとか言ったのに、総司は自分の口にかすていらを咥えた。結局、自分で食べるなんて最後まで意地悪だ。むっとして視線を逸らすと、許さないとばかりに強引に目を合わせられる。気付けば、視界一杯に総司が映る。

「なに、するの」

呆然と紡いだ直後、口内に甘さが広がった。口にしたことのない味に感動する暇などない。押し込むように食べさせられる。最後の一欠片を互いに食んだあと、疲労にも似た感覚に襲われた。一瞬の油断が命取りなのは戦場だけで十分なのに、総司は見逃さない。息を吐いたのも束の間、その舌がぺろりと私の唇を這う。力の抜けきった身体はされるがまま畳に転がされた。

「いつもの強気はどこ行っちゃったのさ。そんな顔するの、僕の前だけにしてよね・・・ねえ、さっきのお菓子より、名前はもっと甘いのかな」

耳元で囁かれる声は、意地悪なのに優しい。首を伝う息遣いにぎゅっと目を閉じた。ひとつだけ残ったかすていらを食べる時間はなさそうだ。



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