糸は一本ではない

目の前を通り過ぎたのは、なんだか久しぶりに見る昴の姿。名前を呼んでから、しまったと後悔する。うわぁ、悩んでるときの顔だ。

「名前姉・・・」
「なんか久々だね。これから練習・・・じゃないよね、マンションに帰るの?」
「いや、違う。あー、帰るは帰るんだけど、
「ねえ、昴。ご飯食べよっか?」

私の提案に狼狽える昴の腕を引いた。本気で抵抗されたらビクともしないだろうから、付いて来るということは提案を受け入れてくれたらしい。要とは違って、昴はフレンチとかイタリアンって感じじゃない。

「ラーメンでいい?それとも、もっとカロリー低いやつにする?」
「いや、ラーメンでいいよ」
「そ。じゃあオススメの店に連れて行ってあげる」

連れて来たのは味噌ラーメンが美味しい、私と父さんの行きつけだ。暖簾をくぐって、テーブル席に座る。

「せっかくのデートなのに浮かない顔ね」
「デートって・・・名前姉にはかな兄がいるだろ」
「要とはラーメン屋なんて来ないもの。ほら、好きなの頼んで。ライスと餃子も付けていいから」
「じゃあ、味噌チャーシュー餃子セット」

注文を済ませて、水を一口飲む。じっと見つめると、居心地が悪そうに視線を外された。絵麻ちゃん関係かな、と当たりをつけて直球で聞いてみる。

「絵麻ちゃんと喧嘩でもしたの?」
「ブッ、ゴホ!な、なんで分かるんだ・・・」

いや今のアンタを見れば、鈍い選手権の優勝者でもそうだって分かるわ。呆れながら昴の呼吸が整うのを待った。まあ、こういう所が可愛いんだけど。

「俺、殴っちまったんだ・・・」

小さく昴が呟く。でも確かに聞こえた声は、後悔が滲んで震えていた。しかし、殴るという単語と絵麻ちゃんが全然結びつかないんだけど。まさか彼女を殴ったわけじゃないだろうし。

「ごめん、全く話が読めない」
「なつ兄だ」
「・・・・・ああ、なるほどね」

それだけで頷いた私に、昴は驚いた顔をした。思い出すのは、絵麻ちゃんに合格祝いを届けに行った日のこと。あのとき棗の口元にあった傷は、この弟が付けたものらしい。なんかもう、何角関係なのかも分からなくなってきた。

「で、その原因が彼女ってことね」
「目の前にいたんだ、アイツも」
「うわ・・・・それは、昴も棗も悲惨だね」

好きな人の前でだなんて、殴るのも殴られるのも嫌だろうな。しかも相手は棗。ふたりは仲が良かったし、今はぎくしゃくしてるけど結局どうしたって家族だ。

「昴は後悔してるんだね」
「っ、ああ」
「何に対して?」

私の問に、昴はすぐに答えようとして言い淀む。迷える子羊おとうとを、この後悔のプロが救って進ぜよう。小さな後悔なら取り戻せる。大きな後悔だって走れば間に合う。

「なつ兄を、尊敬する兄貴を本気で殴ったこと、それから・・・アイツに見苦しい姿を見せたこと」
「うん、史上稀に見る見苦しさだね」
「名前姉、心の声が漏れてる」
「これは受け売りだけど、聞いて。バスケのこと、棗のこと、そして彼女のこと−−−全然別のことに見えても昴という糸で繋がってる。ひとつずつ、解決していきなさい。そうすれば、必ず糸口が見えてくる」

受け売りだけど、実践済みだから確証はある。私の言葉を享受する瞳は、自信に満ちたアスリートの目。
そこへタイミングよくラーメンが運ばれて来る。さすが店長、空気読んでくれてる。

「腹が減っては戦はできぬ。ほら、食べよう!」
「ああ、いただきます!!」

棗の後ろを付いて回っていた頃が懐かしい。ぶつかり合うからこそ、見えるものがあるといい。この衝突が痛みだけじゃなくて、何かもたらしてくれることを切に願う。

−−−−−

3月になったと言えど、まだまだ肌寒い。朝、仕事に出かける前に、要に電話をかけた。今日は要があのマンションを出る日だ。暫くコールが続いて、やっと繋がった。

「・・・んん、はい」
「完全に寝起きじゃない」
「名前?モーニングコールとは嬉しいなぁ」
「今日マンション出るって言ってたでしょ?少しでいいからウチに寄ってほしいんだけど」

いつもの茶化しはスルーだ。実は今日、半休を貰っている。もちろん要を見送るために。二日三日の小旅行なら別に必要ないけど、今回はそうじゃない。具体的な期間は分からないと言われている。つまり、要がもういいと思うまでということ。だから、ちゃんと顔を見て見送りたかった。

「分かった。じゃあ、また」

たったそれだけ。でも声音で分かる−−−笑ってた。その声だけで何年でも待っていられる気がする。いつからこんなチョロい女になったかな、なんて思うけど今の私も嫌いじゃない。

仕事から戻って、洗濯物を畳んだりしているうちに要がやって来た。ばっちり袈裟を着込んでいる。思わず「うわ、胡散臭い」と言ってしまった。その一言に込められた私の思いを悟って、要が苦笑する。

「仕事、休んでくれたんだ・・・・名前?」

覗き込もうとしてくるから、抱き着いて胸に顔を埋めた。息を飲む気配がしたあと、優しい手つきで髪を撫でられる。

「要がいないと泣けない。だから、笑って待ってる」
「いつも手厳しいくせに、たまにそういうことするから堪らないんだよな・・・・今よりもっとイイ男になって帰って来るから、期待して待ってて」

身体を離して、微笑む。手を小さく振れば要も笑ってくれる。背中を向けて去っていく姿を見たことは、今まで数えるくらいしかない。だって、いつも見送られるのは私だったから。なんだかもうすでに泣きそう。何歩か進んで「あ!」と声を上げて要が立ち止まる。振り向いて私の前まで戻って来た。

「何?」
「これ、渡しておく。いつでも使って」

怪訝な顔で見つめれば、手に小さな物を握らされる。視線を落として間抜けな声が漏れた−−−鍵だ。たぶんマンションにある要の部屋の鍵。

「いや、なんで?だって要いないじゃん」
「そのままにしてきたから、俺の匂いが恋しくなったときとか枕に顔を埋めてっ、
「いやいや変態か・・・・でも、持っててあげる」

鍵を握り締めた私を見て、要が笑う。そうして油断していたら耳にキスをされた。ふっと息を吹きかけられて小さく悲鳴を上げる。一発殴ってやりたい衝動をぐっと抑えた。ギュッと抱き締められて囁かれる。

「帰って来たら、また抱かせて」
「なっ!?」

落とされた爆弾に顔を上げるとすでに要は歩き出していた。また翻弄されてる。はぁ、とへたり込んで口元を覆う。対抗心を燃やすことじゃないのに悔しい。それと同時に、要が帰って来たときのことを考えると胸が高鳴った。

−−−−−

「わあ!名前さんも来てくださったんですか!?」
「うん、光に呼ばれてね。改めて、卒業おめでとう」
「なんか絵麻、名前に対しては肉食じゃね?」

私の手を握ってブンブン振る絵麻ちゃんに、椿が不満げに言う。今日は彼女と侑介の卒業パーティー。「面白いもの見せてやる」と光に誘われたのだ。また何か企んでるのかな。

「あ!侑介、ちょっと」
「なんだよ、名前姉?」

警戒しながら近寄ってきた弟の手に紙袋を握らせる。侑介は補欠合格だったから、まだお祝いをあげていない。純粋にお金でもいいと思ったけど、この子は金遣いがあまりよくないからやめた。ニコニコと何も言わずにいると、侑介が怪しむように袋を覗き込む。

「お祝いだよ。中々のセンスでしょ?」
「マジかよ・・・・やべえ!さすがだぜ姉貴!!」
「ちょっと、その呼び方やめて」

焼肉屋の割引券と、侑介の好きそうなジャケットを2着。1つは新品で、もう1つは父さんのお下がり。正直あの父が若かりし頃、これを着ていたと知ったときは度肝を抜かれた。目をキラキラさせている弟の頭を撫でてやる。

乾杯をして、料理を食べ始める。今日は当然だけど、要も祈織もいない。やっぱり少し寂しいな、なんて。ふと、絵麻ちゃんが棗を見ているのに気づく。光が言ってた面白いことって・・・・。

「姉さん、寂しい?」

はっと横を見ると、琉生が覗き込んでいる。その声が聞こえたのか、他の面々も私を見た。うわ、なんか恥ずかしいんですけど。光に至ってはニヤついてるし、まさか面白いって私のことなの?

「要がいないことは寂しいけど、大丈夫だよ」
「みたいだな、名前が嘘ついてたらぜってー分かるし。俺らより頑丈だよな、お前」
「だから、かな兄の恋人やっていられるんでしょ?」
「そう言われると、説得力あるな」

私を気遣う兄弟がいる中、幼馴染達は通常運転だ。本人が目の前にいるのに言いたい放題。でも知ってる、本当は心配してくれていること。未だ暗い表情をしている琉生を抱き締める。この子は皆と血が繋がっていないから、上の兄達に甘えることはあまりない。

「ありがとね、琉生。大好き」
「あー、ダメ!!かなかなに言われてるの!名前ちゃんが浮気しないように見ててって!!」
「あっははは!信用ないな、名前」
「だからって、弥に頼むのは卑怯じゃない?」

ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める兄弟達に苦笑する。そのあと風斗のテレビ中継で半ばお開きになった。片付けを手伝ったら帰ろうかなと思っていると、光が私の腕を引く。連れて来られたのはテラスで、目の前でタバコを吸い始める。え、なんで連れて来たわけ?

「思ったより元気だな、つまらない」
「ご期待に添えず、すみませんね。それより面白いことってなんなの、私のこと?」
「ああ、こっち」
「は?」

もの凄いゲス顔でテラスの奥へ。訳が分からないけどとりあえず黙って従うのが吉。すると目の前に紙切れを差し出される。まず目を引いたのは表。

14行3列で構成されている。一番上の行には左から順にE、G、Oの文字−−−これは項目、頭文字か何かだろう。Eの列には上から1〜13の数字、Gの列も同様だけど数字は1〜8まで。つまりGの数字1つに対してEの数字が2つ付されている行もある。そしてOの列は一番小さい3から大きいのは200で、空欄になっている行もあるけれど、規則性はないように見える。

何かの暗号かな、と思った。けれどトップにあるタイトルを見て線が繋がる−−"Brothers Conflict"−−そこにはそう記されている。4のところに配当がないから、光にとってこの衝突はあくまで余興。私が3も配当がないのを見て安心したことに、きっと光は気づいてる。

「どうして私に見せるの?」
「さすが!数字には強いわね」
「茶化さないで、答えて」

私が問うと、スッと紙を回収される。そんなに個数は多くなかったから、大体頭に入れた。あとで書き出さないと忘れそうだ。

「第2レースには、俺も参戦しようと思っててね」
「なっ・・・・光が?本気なの?」
「もちろん。だから名前には、傍観者を継いでもらおうと思うんだけど、どう?」

参戦とは、つまり光も彼女を取り巻く輪に入るということ。信じられなくて絶句してしまう。目を見開く私を楽しそうに見つめる。

「それは無理」
「へえ、どうして?」
「応援してる番号がいる。客観性がなくなるでしょ。それに私は、光みたいに性格曲がってないから」
「・・・・それ、誰のこと?」

私の返答に、今度は光が驚く番だった。スッと目を細めて聞いてくる。こわっ。それにしても、この顔は本気で知りたがってるときのやつだ。それなら教えてあげない。

「推理してみてよ、得意でしょ?」
「くっ、はははは!やっぱり要が骨抜きにされるだけはあるな。あんたが誰に賭けてるのかも含めて、これからが楽しみだ」
「ねえ、光。ひとつ教えて−−−傷つけるために、やってるんじゃないよね?」

静かなテラスに私の声が響く。確かに、衝突の要因は彼女の存在。だけど返答次第では、その髪千切ってやる。光はまた面白そうに口角を上げて言った。

「違うよ。あいつらは俺にとっても大切な兄弟だからな。まあ、面白いのは否定しないけど」
「そう、それならいい」

そして、テラスから出て行こうとしたときに耳を掠めた言葉。その意味を、分からない振りをした。理解すればまた傷つくことになるから、無意識にそうしたのだと思う。

「気をつけろよ、第2レースはこの表通りってわけじゃないからな。余所見してると3番、奪われるぞ」

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とヒロインの関係が好き