命懸けで恋をしろ

「え・・・・長期出張、ですか?」
「ああ。是非、君に頼みたい。向こうの企業との共同研究で、期間は約2ヶ月半。もちろん成果が出なければ、それより延びるだろうが。行ってくれるか?」
「少し、考えさせてください。回答はいつまでにすれば宜しいですか?」
「そうだな・・・1週間後までに。これは研究テーマを含め諸々の資料だ。もし行ってくれるなら目を通しておいてくれ」

2度目だ−−−同じ過ちは繰り返すなと、そう言われたような気がした。9月の中旬、上司から依頼されたのはアメリカへの長期出張。もちろん、あの時とは違う研究だし、期間も短い。何人も社員がいる中で自分に声がかかったのは嬉しいことだ。

「(だからって、なんで今?一難去ってすらいないんだけど・・・どうしたものかな)」
「そこのおねーさん!」

20時の仕事帰り、聞き覚えのある声に思考が断ち切られた。前方に影が二つ−−−得意顔の風斗と笑顔の琉生がいる。外では風斗の名前は呼べないから手を振ると、駆け寄ってくる。

「どうして一緒なの?」
「仕事のメイク、やってもらったんだ。次の現場まで少し時間あるから、琉生兄を送るついでに散歩」
「これから?そっか、仕事頑張ってるんだね」

アイドルの仕事事情なんて分からないけど、風斗が頑張ってることは間違いない。頭はセットされてるから撫でずに、微笑みかけた。ところが風斗は予想外の表情を見せた。

「当然でしょ?まあ別に頑張ってるつもりもないよ。そもそも手を抜くなんてプロとして有り得ないし!」
「そっか・・・そう、だよね」
「風斗くん、そろそろ時間」
「え?うわ本当だ!じゃあ僕、そろそろ行くから。姉さんも、またね」

チュッと頬にキスをされる。さらりとやる所は要譲りだな、と思う。手を振って去って行く背中に心で御礼を言った。さっきの風斗の言葉−−自分が選んだ仕事で手を抜くなんて有り得ない−−当たり前のことなのに、弟から学ぶなんて私もまだまだ未熟者だな。

「姉さん、悩んでる。あ、この後うちに来て。要兄さん、仕事でいないから、ゆっくり話できる・・・ね?」

これは、断れない雰囲気。琉生は見た目もそうだけどエスパーっぽい。シャボン玉みたいなのに、いつも確信を突いてくるから怖いんだよな。父さんにメールを送ってから、琉生とマンションに帰った。リビングにいたのは、右京兄さんだけ。

「おや、珍しいですね」
「名前姉さんの、悩み相談」
「悩み?何かあったのですか?」

うわ、琉生・・・なんで言うかな。恋愛−−つまり要のことは、右京兄さんには一番相談したくない。要には人一倍厳しいからなぁ。私の悩みは仕事関係だけど、要のことがなければ二つ返事でアメリカ行きをOKしてただろう。相談するには要とのことを話さなければならない。でもまあアドバイスは的確だから、弁護士先生の意見も聞いておいた方がいいか。

「兄さん・・・琉生も、相談してもいい?」

出された紅茶を一口飲んでから、頭の中で論点をまとめる。二人とも急かすことはしないで待っていてくれた。小さく息を吸って言葉と共に吐き出す。

「実は、アメリカへの長期出張の話があったの。期間は2ヶ月半。それで、何を悩んでるかと言うと・・・・要のこと。気づいてるかもしれないけど、ひと月くらいぎくしゃくしてて。それをどうにかしようと思ってた矢先にさっきの話。このままだと、前の自分と同じ轍を踏むことになる」

一度、言葉を切った。さすがにこの二人だと、茶化してこない。光や椿だと絶対茶々を入れてくるもんな。
右京兄さんが眼鏡を上げて、口を開いた。

「出張の件、要のことは抜きにして、貴方はどうしたいのですか?」
「もちろん、行きたい」
「そうですか、ならば答えはひとつではないですか」

え、もう終わりなの。小一時間はかかると思ったのにおかしい。隣で聞いていた琉生が小さく微笑む気配がして、兄さんの言葉を引き継ぐように話し出す。

「うん、要兄さんと仲直り。それから、アメリカ。ひとつずつ解決すれば、いい。いつもの二人なら2ヶ月半なんて、へっちゃら」
「二人とも簡単に言ってくれるけど、中々ハードだからね。兄さんは昔からだけど、琉生まで厳しい」

出張は9月末から。それまでにケリをつける。まさか過去の自分を反面教師にするとは思ってなかったな。
マンションの階段を下りきって、要に電話をかける。メールよりも声が聞きたかった。3回コールしたあと『はい』と妙に他人行儀な声がした。

「要・・・今、大丈夫?」
「ああ」
「会って話がしたい。いつなら会える?」

電話から聞こえる声。それだけで泣きたくなった。
二度と間違いたくない、貴方を諦めたくない。電話越しに叫びそうになる。

「次の土曜日、時間はそうだな・・・夜の8時でいい?車で家まで迎えに行く」
「うん、分かった」

−−−−−

当日、昼間は暖かかったのに夜はやっぱり冷える。要は時間ピッタリに家に来た。玄関で手を振る父さんに会釈をしながら、助手席のドアを開けてくれる。車が走り出してからも終始無言だった。敢えて、どこに行くのかは聞かなかった。というより、分かっていた。

「外で話そう」

車が止まる。私が頷く前に要は外へ出ると、乗る時と同じようにドアを開けて手を差し出してきた。こんな風にエスコートされるのは久しぶりで調子が狂う。素直に手を取ると、潮の匂いが鼻をくすぐった。やっぱり海か。付き合っていた頃はよく来たものだ。繋がれた手は解かないまま、砂浜を暫く歩いて立ち止まる。

「訊きたいことがあるの。私に嘘は通用しないから、正直に答えて」
「分かった」
「あの子・・・絵麻ちゃんとキス、したの?」
「え?・・・っ、ああ、確かにキスした」

最初の質問にはどうして知っているのか、という顔をした。当たり前か、私が夏祭りに行ったことを要は知らない。あの日祭りに行った4人にも、別に口止めはしなかった。だけどどうやら誰の口からも漏れていないらしい。

「彼女のことが好きなの?妹としてじゃない、女の子として」

二つ目の質問に、要は狼狽えなかった。目を逸らすこともしないで、真っ直ぐに私を見ている。それだけで答えが分かる気がした。

「俺が女として愛してるのは名前・・・君だけだ。他の女にキスしておいてどの口が言うのかっ、
「そう、それならいい」
「は?」
「だから、いいって言ったの。私と別れてる間のことだし、そこまで縛れないでしょ。私だって弟達にキスするんだから、要のこと責められない」

ぽかん、と口を半開きにして私を見る。これのどこが兄弟一のイケメンなのか。まあ、あれだけ悩んでいたわりに淡白だなとは思う。でも他の誰でもない、要が言うことなら私は無条件で信じられる。

「私も、貴方を愛してる。もちろん、兄としてじゃない。一人の男性としてね」
「名前・・・っなあ、抱き締めてもいい?」
「今更許可を取るなんて、しおらしくて逆に怖い」

迷子みたいな瞳で訊いてくるから笑ってしまう。今まで散々、好きな時に抱き締めてきたくせに。両手を広げて見せれば、息が詰まるほどに強い力で包まれる。

「随分待たせちゃって、ごめんなさい」
「いや、俺の方こそ酷いことをした。君は熱に浮かされていたのに、嫉妬心のままにキスをして犯そうとしたっ、決して許されることじゃない」
「ああ、あの時の・・・私それ夢だと思ってた」
「は、夢?」

2度目のぽかんが出た。まあ確かに己が煩悩を断ち切れないなんて坊主失格かも。腕の力が緩んだ隙に、少し距離を取った。手を伸ばして、要の唇をなぞる。

「上書きして。あの日のキスも・・・あの子とのキスも塗り替えてくれればいい」
「っ、そんな殺文句、どこで学んできたの?」
「要からじゃない?」
「ははっ、さすが俺だな・・・目、閉じて」

言われるまま瞳を閉じれば、髪に指が通る感覚。両頬に添えられた手が優しい力で引きよせる。一度確かめるみたいにそっと触れた唇が震えているのに気がついて鼓動が高鳴った。

湧き上がる恋情を伝えたくて首に腕を回して、その上唇を食むように口付ける。頬に添えられていた手が戸惑うように僅かに動いた。波の音を聴きながら、次第に深くなる口付けに身を委ねる。触れては離れてを繰り返して、5回以降は数えるのをやめた。

「ん、は・・・・名前、っこれ以上は、

夢中になっていたせいで、自分の息が上がっているのに気づかなかった。肩に手を置かれて身体に距離ができたことに寂しさを感じる−−−もっとしたい。要は違うのだろうか。

「頼むから、そんな目で見ないでくれ・・・場所も弁えず押し倒したくなる」

髪をかき上げながら、少し枯れた声で言われて我に返る。うわ、なにこれ。鼓動が激しく脈打って苦しいのに、ずっと感じていたい。だけどそんな恥ずかしいこと言ったことないし。最中なら兎も角、外でそんなこと思うなんて自分でも信じられない。数秒、なんとも言えない雰囲気が漂って堪らず口を開いた。

「あー、えっと・・・もう一つ言わないといけないことがあるんだけど」

そう、右京兄さんと琉生が言っていた。ひとつずつ解決する。せっかく想いを伝えられたのに・・・違う、そうじゃない。証明してみせる、この愛は本物だということを。3年前あのひの私に笑われないように。

「2ヶ月半、アメリカに行くことになった」
「・・・そんなことだろうと思った。それで、今回はどんな言葉を残して行くの?まさか『さよなら』じゃないだろ?」
「傷に塩を塗るのやめて、同じ轍は踏まないから。じゃあ・・・行ってきます?」

私の挨拶に、要は満足そうに笑って頷いてくれた。本当はもうひとつ、心に居座る不安がある。辺りは暗いのに、表情に影が宿ったのを要は目ざとく見つけた。

「実は私も、あの夏祭りに行ったの」
「そういうことか、やっと合点がいったよ・・・名前は一緒に向き合うって言ったけど、できれば今の祈織を見てほしくなかった」

悔しそうに呟く声が波に攫われていく。優しかったあの子の変化に戸惑う私を心配しているのだろう。だけどそこまで弱くはない。砂浜を歩き出して、車に乗り込んだ。時刻は午後10時を過ぎている。移り変わる景色を眺めながら、要に言った。

「ねえ。もしも私がいない間、祈織に何かあったら、
「手遅れになる前に止めるさ、俺の全てを懸けて」
「・・・懸けるものを見誤らないでね。犠牲の方が大きかったら意味がない」
「っ、ああ、そうだな。肝に銘じておくよ」


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とヒロインの関係が好き