「あ、影山くん、宿題だして?」

昼休み、ぐんぐんグルトを買いに自販機に行こうとしたら、今日日直の女子のみょうじさんが声をかけて来た。昼休み終わり直後の授業で提出せねばならない、数学の宿題。淡々と告げられたそれに、う、と声を詰める。
...実はやってない。やってないものは仕方ないと、しれっとやり過ごそうとしたけど、みょうじさんはどうやら真面目な人のようだ。他の人が日直のときは、宿題出してないやつに声をかけるのなんて面倒だからと、ろくにチェックしないまま集めたノートを先生に渡してしまうのに。
でも、俺がノートを出すのを目の前で待っているみょうじさんを適当にあしらうなんてそんな技術はないし、だいたい嘘つくなんて意味のないことしたって仕方ないから、正直に話すことにする。

「...悪い」
「え?」
「やってない」
「え」
「悪い」
「ええー」

みょうじさんはとても嫌そうな顔をした。眉根を寄せて唇を尖らせる。
そんな顔をされても、やってないものはやってない。昨日は家に帰ってすぐ、飯食って風呂入って、気がついたら寝ていた。疲れてたんだろう。だから大目に見てくれないだろうか、なんて、ちょっと怒っているようなこの女子にそんなこと言えるはずもなく。

「......悪い」

何を言えばいいものかわからず、もう一度謝る。愚痴でも言われるか、呆れられるか。まあ、やってない俺が悪い、仕方ない。と、彼女の言葉を待てば。

「......もう」

みょうじさんは、俺の予想のどちらでもなく、呆れたように息をついたのに、困ったように笑っていた。

どういうことだろうか。
首をかしげる俺をよそに、みょうじさんは俺を見上げて、いたずらっぽく言う。

「知ってる? 影山くん」
「......?」
「あの先生ね、宿題三回忘れたら部活行かせず居残りさせるよ」
「......!」

なんだと。そんな話初めて聞いたぞ。
思わず目をぱちくりさせる。

「知らなかったって顔だ」
「し、知らなかった」
「うん。でも本当だよ、この間林田くんが部活行かせてもらえてなかった」
「マジか...」

何を隠そう、部活で疲れてうっかり寝て宿題しなかったことは割とある。というか家に帰って勉強する気なんて全然ない。それでも一応は取り組んでみるけど、わからなくてほぼまっさらなプリントにしかならなかったり、まあ、要するにやってもやらなくても同じだと思っている。だから今回も深く考えてはいなかった。だけど部活に出られないのは困る。それは嫌だ。
ずんと落ち込む気持ち。なんとか回避できないものか。
思わず眉根に皺がより、唇に力が入る。
クソ、先生に謝ったらなんとかなるか?
部活に行けないなんて、そんなことがあっていいはずがない。時間がないんだ、どうにかせねば。
と、俺を見上げるみょうじさんは、やっぱり困ったように笑っていて。

「影山くん、なんか顔がクシャってしてる」
「......してねえっす」
「この宿題さ、そんな難しくないよ」
「......」
「だから、お昼休み頑張れば終わるよ」
「頑張れば...」

頑張ればって。頑張ってどうにかなるとでも言うのか。この俺にできるというのか。それは、無理だ!

「影山くん」

ぬああ、と頭を抱え込んだとき、不意に呼ばれる名前。みょうじさんを見ると、やっぱりどこか困ったみたいに笑っていて。

「手伝ってあげるから、昼休みの間に終わらせよう?」
「......」

終わるか?あと40分だぞ?俺が終わらせられるか?
ありがたい言葉だが無理だという考えから逃れられず素直に従うのはできない。けど、みょうじさんは追い討ちをかけてくる。

「部活行きたいんでしょ?」
「......ウス」

そう言われたら頷くしかなかった。

「よし、じゃあささっと終わらせてご飯食べよ!」

頷いた俺に、みょうじさんは満面の笑み。飯食う時間が残るかどうかは定かではないが、彼女はぱたぱたと自分の机に戻ってノートを出してきて戻ってくる。
まあでも助けてくれると言ってくれてるんだ、頼るしかない。そしてなんとしてでも終わらせて絶対部活に、行く!

「さ、じゃあ1問目!」

教科書とノートを開いて、机に座る。みょうじさんは自分の椅子を持ってきて、俺の向かいに座る。ものすごく腹減ったしぐんぐんグルト飲みてえし、でも部活に行けないのは嫌すぎるから、教科書の指定された問題文を読む。...やべえ、わかんねえ。

「...クソ」
「影山くん顔怖い」
「......わかんねえ」
「これはさ、このグラフがあるでしょ...」

そう言って少し身を乗り出して俺の教科書をペン先で指す。思ったより距離が近い。みょうじさんの髪の匂いがする。さらさらした髪。横髪を耳にかけながら、俺に説明してくれる。正直その説明は何言ってるかわかんねえけど、言われるがままに計算していく。

「ほら、解けた!」
「お、おお...」

俺が解いたというよりか、たぶんみょうじさんが解いたっていうのが正しい気もするけど、でも俺のノートに確かに答えが記された。すげえ、ちゃんと計算式が書かれてる、俺の字で。

「よし、次だよ!」
「お、おう」

勢いに乗って、みょうじさんは次の問題に取り掛かる。そしてああだこうだとみょうじさんは説明したり俺に思考を促したりしながら、どんどん問題を解いていく。
最後の問題が解けたのは、授業が始まる10分前。

「お、おお...!」

ノートにきちっと、全部の問題が解けて並んでいる。変な空白がない。こんなノート見んの初めてかもしんねー。
30分で終わるならやればよかった。いや、俺ひとりでは30分じゃ終わらねえか。
とにかく、おかげで宿題は無事完了した。間に合った。よし!

「これで部活行けるね!」
「あざっス!」

嬉しくてみょうじさんに大きな声でお礼を言うと、またみょうじさんは困ったみたいな顔で笑った。もしかしてこの表情は癖なんだろうか。この人の、笑顔。そう思ったとき、なんだか心臓がどきりとした。

「お腹空いたね!急いで食べなきゃね」

からっと笑って、みょうじさんは「じゃあね」と俺のノートと自分のノート、椅子を持って席に戻っていく。
...ああ、そうだ、飯!!
俺の思考はそっちに持っていかれて、その時はもう気がつかなかったけど。
プリムラ・リリック

みょうじさんの笑った顔を気にするようになったのは、この時が始まりだったと、思う。



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